恋愛かくれんぼ

恋愛かくれんぼ・デートノート2011⑫

投稿日:2021年7月14日 更新日:

【デートノート⑤ 2011.9.6〜9.18 50時間】

(T子記す)

「これからどうするつもり?」なんて、うるさいこと言わずにおこうと心に決めて、三浦海岸へ向かった。

あいつ、今回は改札口ではなく駅前のベンチで読書しながら私の到着を待っていた。

去年よりもだいぶ痩せた。

食べられなくなった。

それが心配。

飲みすぎ、吸いすぎも心配。

近づいていって、「おじさん」と声をかける。

昼間からやっている居酒屋が数軒、駅前にある。

このまえとは違う店に入る。

まぐろ、ほっけの塩焼き、とってくれるがあまり食べられない。

Kは酒、私はビール。

私の大荷物を見て、「パソコン持ってきたのか、ちょっと貸して」とKは自宅のメールをチェックする。

あちこち遊びに(ネットサーフィン)行っているから、迷惑メールが1000件近くも、とK。

アメリカのサイトも覗いているのだとか。

仕事関係では、試写会パーティ招待のメールもあったのに、ほとんど無視。

返信もしない。

藤原○也って演技力があってすごいよね、あの子の力でつまんない映画も最後まで楽しめた、と私。

あいつとは俺、デビュー当時から組んでいる、蜷○に負けない使い方をすると宣言した、○也も俺を信じて、ずっと一緒に飲んでた。

(とKはあれこれあれこれ昔話をして涙うっすら)

おまえ、桐野夏生が東電OL書いてるって言ったな。

『グロテスク』という作品だよ、とネットで調べてあげる。

Kはこの情報を石○監督に報告するのだろうか。

☆☆

そして私は下田逸郎のセクシィをかける。

どういう曲なのか、何度も聴いてやっとわかったの。

俺ちゃんと練習したんだぞ、おまえ18の頃に下田逸郎好きだった。

でもこれ新しい曲でしょ。

違う、東京キッドブラザーズの頃からの歌。

私はPCを操作して、あしたのジョー、荒木一郎のミッドナイトブルースもかける。

ほかのお客さんの迷惑にならないように、とKが気を遣っている。

「スクランブル」の原稿の一部、「それとは別格の恋人が頭の中に棲みついている」の件を読んで聞かせる、Kは老眼で読めないと言うから。

あと、参考図書の「悲しみよこんにちは」を見せ、「パリ・ロンドン放浪記」人物描写イメージ素材としてのスーチンの絵を見せる。

「これいい。デフォルメが効いてる」とKも気に入ってくれた。

☆☆

私がかつて広告の仕事をしていた時代の自社宣伝パンフから、「男と女のスクランブル」と題して書いたショートエッセイ、また、横浜の某クライアントのPR誌に書いた「ハマネスク」というフレーズなども見せ、「小説のエッセンスは全部ここに入っている」と示す。

Kは私の創作メモ3枚をちらりと見て、「俺の字じゃん」と言う。

違うけど、筆跡そんなに似てるかな。

☆☆

そして私は乳がん仲間5人と主治医の○○先生を囲んで写した写真を披露。

この先生、素敵な人でしょ、みんなで広尾のフカヒレ料理屋へ行ったときの写真だよ、私たち一人ひとりが先生とツーショット写真撮ったのもある、ほらこれ、仲よさそうでしょ。

先生はおまえが一番好きみたいだ。

そう?

おまえが一番美人だからだ、こういう写真は大事にとっとけ。

○○先生が『アエラ』に載ったときの写真も以前見せたのに、覚えてないのね。

先生は台湾三世で、東大出身、尊敬する人はビンラディンと赤尾敏とマルコムX、高校時代は遠隔操作で化学実験室を吹き飛ばした、それから、おっぱい定期検査するときに、こっちの顔を見る。

いいじゃん、愛がある、俺も医者になったらそうやって患者を治す。

「この先生、私に気があるのかな」と患者に思わせることは大事だよね、でも本当に気があるのかも。

☆☆

カズオ・イシグロの話題。

私も読んだけどつまんなかった、短篇はいい、書きすぎないところが「沈黙の文学」といわれて高い評価らしい、アンジェラ・カーターのクリエイティブ・ライティング受講生だった、私はカーターの本を読みたくてロンドンで買った、でもむずかしい英語だからスラスラ読めない、翻訳は悪い、彼女の文体はラテンアメリカのマジックリアリズムに通ずるらしい、文学の賞金で日本にステイして銀座のクラブでバイト、そのホステス経験からフェミニズムに目覚めて「ナイト・バタフライ」という短篇を書いた。

欧米のやつらにとって、バタフライといえばまず蝶々夫人を連想するだろ、おまえが翻訳しろ。

☆☆

ところでさ、「野坂の本を送る」と簡単に書くおまえ、どうかしてるぞ。

いけなかったかな、まず送っていいかと聞くべきだったのね。

実家にいるのに単行本送られても困るだろ。

だから文庫にしたよ。

お袋一人じゃ受け取れない。

古本屋から郵便で届くよ。

☆☆

おまえ民宿なんか泊まったことないだろ。

あるよ、学生の男の子に連れていかれた、車はよかった、でもホテルじゃなくて民宿だったから、洗面所は廊下にあるし、布団も自分で敷かなくちゃいけなくて、なにこれって感じだった。

な、そーゆーこと言うだろ、でもその男の子はきっとワイルドな子だったんだよ。

今回おまえにはたぶん無理だと思うから他をあたった、海にせりだすバルコニーが付いていて、風呂につかりながら日の出と日の入りが見られる部屋。

そんなのがあるの? コートダジュールみたいじゃん、でも日の入りが見られるなんて嘘でしょ。

嘘じゃない、ただ1泊2千円というテーマで来てるのに、そこは値段が1万5千円以上。

いいよ、それで。

☆☆

フランスパン、バゲットを買って行きたいとKが言う。

スーパーで買出ししていこうという前ふりか。

ポンパドールもサンジェルマンもないでしょ、と私。

ある、一軒だけ、探しておいた、とK。

駅前の京急ストアで買い物をするが、やはりポンパドールもサンジェルマンもない。

まあ、それはいい。

ぶどう、ハム2種(Kはボローニャソーセージみたいなのが好き、私は鎌倉ロースハム)

こういうのが好きなの。

わかるけど。

サラダ、ドレッシング、私の自宅用クレージーソルト、バゲット、クロワッサン、酒、スペイン産スパークリングワインの白とロゼを買う。

コートダジュールで飲むならロゼでなくちゃ。

☆☆

タクシーにする? ホテルまで歩いてどれくらい?

2キロ。

じゃ歩くのは大変だ、タクシーにしよう。

☆☆

着いた先は結局ラブホテルだったが、白亜の建物でロビーも明るく開放的、なかなかいい感じ。

穴場ホテル。

3階の1万7千円の部屋にする。

ダブルベッド、ソファの前に壁掛け式の大型テレビ。

「夕方になったら風呂にはいろう」とKが言う。

それまではソファでおしゃべりしながら飲む。

いい眺め、いい部屋だよね、と盛り上がる。

「ドブ板トランジット」、どう書き出したのか思い出せない、途中で方向転換したことは覚えている、一人称なしも意図してやったわけじゃなく、自然にああなった。

翻訳されたら一人称がつく、だったら意味ない。

それは翻訳家が悩めばいいこと、英語でも一人称なしにできるかも。

☆☆

私は「パリ・ロンドン放浪記」の28頁を読んで聞かせる。

どん底にいてなお平然と歩いていく、再生でも復活でもなく、カタストロフィのカタルシスとは解放感、それを私は「スクランブル」で書きたいのだと伝えたかった。

小説の中で、「仕事がない」と自分で言うな、第三者に言わせろ、とK。

だけどフリー同士はお互い自分の弱みを隠すから、と私。

バイト初日から泣くのもだめ。

だけど泣いたんだもん、あそこで泣いておかないと、ラストでカタルシスを迎えられない。

☆☆

フランス映画の話題。

エディット・ピアフの映画、主演の女の子よかったね、特にピアフが年とってからの演技すごかった、美術もよかったね、子供時代のピアフを可愛がる娼婦たちの衣装も抜群だったねと盛り上がる。

Kはピアフが子供ながらにラ・マルセイエーズを歌うシーンで感動して泣き、そのあとも泣きっぱなしだったと言う。

☆☆

次第に酔ってきて、何を話したか記憶に残らなくなる。

何かの拍子に結婚に関する話題にふれたとき、「しようか」とKが言った。

ソファに隣あって座っていた。

私は聞こえないふりをした。

☆☆

夕暮れが近づいて、ふたりでバスにつかる。

コートダジュールならマントンという地に、コクトーのステンドグラスで飾られた教会がある、そこで海外ウエディングっていうのに憧れた、そんな話をする。

マントンか、その情報いただいておこう、とK。

お風呂からあがって、セ○クスしたはず。

でも記憶は茫洋として。

どうはじまったのか、そこからしてわからない。

フ○ラしただろう、きっと。

しかし、いつものように長い時間をかけてではなかったような気がする。

彼が私のをなめだした。

シッ○スナインになった。

やがてク○ニだけの体勢になって、「このままチェックアウトするまでずっとなめてあげる」とKは言った。

Kは私の腰の下に枕をあてがい、わりと上手にクリ○リスをなめあげた。

何も考えまい、ただ感じていよう、この気持ちよさを満喫しようとする。

うれしい、幸せ、と思うが、ピークに向かって昇っていかない。

申し訳ない気持ちになり、「もういいです」と腰を引く。

「なぜ、どうして」と言われるが、ほんとにもういいんです。

そのあとインサートだったのかな。

記憶おぼろ。

それなりによかった、とは思う。

☆☆

ダブルベッドに並んで寝て、またおしゃべり。

15、16の頃もこうやって一緒にいたよね。

うん。

という会話だけはちゃんと覚えている。

☆☆

なおも飲み続けたのか、何か話をしたのか、記憶がよみがえったら記すとして、今は空白のまま措く。

☆☆

目覚めたとき、Kが背中を丸めて隣にいた。

ちょっと驚いた。

この感覚、はじめて。

以前なら、眠っている間もKの存在が頭にあった。

今は、Kの存在も何もかも忘れて、Kの隣で眠ることができる。

ダブルベッドでも大丈夫になったということ。

そのことを言葉にしてKに伝えた。

☆☆

ソファに移って、いろいろ食べた。

食べられた。

ハムにレタスを乗せてKの口に運んだ。

幾度も。

ブドウも口に入れた。

ルームサービスの朝食も届く。

でも私はだんだん気分が悪くなり、トイレで3回吐いてしまう。

I throw up twice. And coming third.

☆☆

私はベッドに横になってテレビを眺めている。

今日は土曜日、テレビで旅番組をやっている?

チェコ。

ドナウ川なの?

違う、支流だけど別の名。

ロシアのほうへ行けばアムール川でしょ。

東欧の太鼓が映し出された。

あれは、元は韓国から来た。

パンソリ?

そう、パンソリ。

☆☆

ルーマニアを旅したときの話。

私は家ではクイーンサイズのベッドで寝ていたから、ドラキュラの棺桶みたいに狭いベッドでは毎晩落ちてしまい悲鳴をあげていた、うちは家具の中でベッドが一番高くて50万もした。

Kはベッドが苦手で、布団で寝ているとのこと。

☆☆

テレビのレポーターの女の子の言葉遣いやイントネーションを、ふたりして正す。

くま、じゃなく、くま。

びちゃびちゃ、ではなく、びしょびしょ。

笑。

☆☆

私はしばらく誰とも寝ないつもりだったから、アンダーヘアを短く刈り込んでいた。

長いときはわからなかったけど、白髪があるのが見えた、とK。

だからあるって言ったでしょ、白髪。

☆☆

「和火」という花火づくりを取材した番組を、Kは熱心に見ていた。

映画になるな、と。

プロデューサーなんていう職業は、半年仕事して半年は失業者。

☆☆

おまえ昨日の朝、はじめて社会経済のことメールに書いてきたな、はじめてだぞ。

☆☆

洗面所で顔をつくっていると、Kのすすり泣きが聞こえる。

びっくりして見に行くと、東京ガスのCM、母が苦労しながら子にお弁当つくって数年後の、最後の日、空になったお弁当箱に「ありがとう」と一言書かれたメモ、それに泣けたのだと。

かなり泣いていたな。

☆☆

Kはいつも首にかけているタオルがないと言うから、部屋中探してあげた。

だが、見つからない。

それがチェックアウトのときには首にかけている。

タオルあったの?

あった。

「タオルが唯一のおしゃれポイント」とKは言うが、あれがないと汗も涙も拭けなくて困るのだろうな。

☆☆

朝もセックスしたのだった。

でもいつ?

かなりよかったことは覚えている。

フ○ラやク○ニではなく、イン○ートが長かった。

Kはずいぶん頑張ってくれた。

☆☆

ゆうべは、手を軽く縛られて、お尻をぶたれたのだった。

Kは力をこめないから、さほど痛くない。

痛みが快感に変わる瞬間もない。

だめだ俺、すぐ面倒になっちゃう。

それで良いのではないかしら。

男が自分の女に手荒くできるわけがない。

つい手加減しちゃうでしょ。

でもその殻を破って男の力でぶつから女はぐっとくる。

痛みが快感に変わる、と私は講釈をたれた。

「だからあいつ(私のかつての同棲相手)と長続きしたのね」とKは言った。

☆☆

今朝のセックスは、Kが朝立ちマラを私に握らせて、昔みたいに力強くのしかかってきて、つながって、私は脚を閉じたまま動くから、クリ○リスがこすられて、上になったり下になったり、そんなふうにずっとやっていれば、「こういう感覚はじめて」と燃えてくる。

お互いにずっと顔を見合わせて、目を見つめあって、私はKの左の目の奥の奥まで覗きこんだ。

Kの顔は下から見上げるとだいぶ老けている。

それが哀れでならない。

でも、いい男であることに変わりはない。

いとおしくて、何度もキスをする。

ベッドに寝かせて、頬、首すじ、耳となめあげる。

それで思い出したけど、ゆうべも今朝もマッサージをしてあげたはず。

そばにいればつい手が出て、あいつの足を揉んでいる。

首、背中、腰、足と全身マッサージだってしてあげる。

それが習慣になってしまった。

☆☆

話は戻ってセ○クスのこと。

「あれで死期を早めたというほど頑張った」とKが言う。

それは本当にありがたいことです、でもなぜ急に頑張りだしたのでしょうね、私に惚れ直したというなら大歓迎だけど。

☆☆

チェックアウトは10時。

海岸を眺めながら歩き、三浦海岸駅行きのバスを待つ。

ベンチに腰掛けて、いつもの調子で会話。

なに話したっけ?

何を話していても楽しいから、楽しかったという記憶だけが残る。

☆☆

バス車中での会話。

イタリアン・ネオリアリズムは好き? と私が聞いた。

「鉄道員」とか「自転車泥棒」とか、好きだよ、とK。

やっぱりね、私はあんまり好きじゃない。

パゾリーニ、フェリーニ、ヴィスコンティもいい。

フェリーニは最高よ、あれこそトランス・ロマネスク、じゃなくてトランス・チネチッタ?

こんなふうに幅広く話せる相手は俺しかいないだろ。

いるよ、広く浅く、あるいは深く、いろんなこと知ってる友達はほかにもいる、だけど私にはあんたが一番合う、ほかの人は書かないから。

書かないんじゃなく、書けないんだ。

☆☆

三浦海岸駅から三崎口までバスで行く、とKは主張する。

でもバスはない。

三崎口まで電車で1駅なのだから、と京急にする。

ホームで電車を待つ間も話は弾む。

私、これを言うと人格疑われるからあまり言わないようにしてるけど、子供を見て可愛いと思ったことがない、自分の子だったら違うのかもしれないけど、甥や姪にも可愛いと思えなかった。

いるよ、そういう人、そういう人もいるってことわからなきゃだめだと、俺も女房に言ったことがある。

私は猫や犬の仔を見ると、んもー可愛いなっとメロメロになる、だけど女友達や男友達が我が子に夢中になっているのを見ると、ふーん、そういうものかなと思うだけ。

☆☆

三崎口駅前の中華料理屋、あすなろ。

ここのラーメンは抜群にうまい、とKが言う。

ニュースキャスターの安藤優子も食べにくるらしい、たぶんこのあたりに隠れ家があるのだろう、この店は水もうまい、聞けばふつうの水道水だというけど、高台にあるから水が濾過されているんだ。

私、入店したときは食べられるコンディションだったが、またもビールを飲まされ、もう食べられない。

肉野菜炒めを少々つまむだけ。

☆☆

文学の話をしても、なんだか乗らない。

だって、私が何か言うたびに、Kがいちいち否定するんだもん。

殊に、自作について語ると否定される。

意味がない、と。

「スクランブル」でこれから書こうとしている中華街彷徨のシーンや三把刀について話したときも、「意味がない、主題とどう関わるのか見えていない」と。

「おおいなる嘘にしろ」とKは言う。

「主人公を学校の先生ということにしてもいい」と。

だめだよ、そんなの、あれは私小説ではないけれど、Based on Real Storyなの。

五木寛之はおそらく日本最大のベストセラー作家よねと私が言ったことに対しても、「青春の門が累計2千万部だからどうした、おまえは意味がないことばかり言っている、青春の門を書くまでの五木に価値があるのであって、それ以降はだめ」とK。

あら、五木さんが仏教に傾倒してからの作品、大河の一滴、他力なんかも、ゴーストに書かせたかもしれないけど内容はいいわよ。

だめだ。

☆☆

Kは機嫌が悪い。

ついさっきまでよかったのに。

私はだんだん帰りたくなってくる。

身体もしんどい。

☆☆

妹のMちゃんは結婚前に男にひどい目にあわされて神経を病んだらしい。

俺は東京のアパートで新婚だったけど、妹を引き取って面倒みた。

そう言ってKはラーメンを食べながら、また涙を見せた。

☆☆

「おまえには関係ない」と言うので放っておいたが、Kは隣席のお客に、「すみません、さっきから聞こえているんだけど、サッカーできない子もちゃんと面倒みてあげてこそコーチじゃないですか」と絡み出す。

「うちの息子、最初は何もできなくて、一人で砂場で遊んでいるだけ、それだけだった。できない子もいるんだよ。それをわかってやれ」とKが声を荒げる。

隣席の男達は終始無言。

その連れの女性は、うん、うんとうなずいて聞いてくれていた。

やがて男のひとりがたまりかねた様子で、「こっちにもこっちの話があるから」と声をあげる。

私はわけがわからず、「そうですよね」とその男性に微笑んだ。

男性も私を見て微笑んだ。

これで大事には至るまい。

K君、気持ちはわかるが、酒に振り回されるようになったのか。

昔ならいつもこのあたりで喧嘩になって、強そうな男に殴られていた。

「今日おまえがいなければ、もっと違う言い方をしていた」とKは言うが、あほみたい。

隣の客が帰ろうとすると、「○○高校でしょ?」と、Kはまたもちょっかいを出す。

「いや全然違うから」と相手にされない。

その男性と私は再び、もめる意志なし、と目顔で確認しあう。

そういうタイプの男性でよかった。

あの人たちは殴ったりしない。

そういう男性じゃない。

わかるもんか、そんなこと、とK。

あとで聞けば、「言ってよかった」と、Kは一仕事した気でいるのだから呆れる。

でも私はこの男のそんなところ、ではなく、この男の存在そのものが好きなのだから、嫌いになれない。

無関心になれないのだから仕方がない。

Kは店でもう一杯飲もうとするが、「よそへ行こう」と無理やり連れ出す。

親父さん、また来ていい?

もちろんですよと見送られて、Kまた涙。

☆☆

おまえ、もう帰れ、とKが言う。

店にいたときからそう言っていた。

バスターミナルのベンチで日にあぶられながら、これからどうしようか、ふたり黙然としたまま。

帰れ。

帰るときは帰るわよ、あんたはとにかく三浦海岸の宿に電話しなさいよ。

だめだ、予約とれなかった。

じゃどうするの。

逗子に行くなら行ってもいいよ。

それでバスに乗り込んだ。

衣笠行き? なんだかよくわからないけど、とにかくガラ空きで貸切り状態。

それで気分をよくしたのか、Kは宇崎の歌、「裏切り者の旅」を歌い出す。

私も好きな曲だから一緒に歌う。

これで一気にご機嫌になる。

色あせた写真の中におまえのなきがらが。

違う、なぎがお。

まだ生きてる。

笑。

曲の2番までフルコーラスで、歌詞あまり間違わずに歌えた。

Kもだいぶ聞き込んだのか。

☆☆

三浦・横須賀のバス路線に不案内の私は、Kにまかせきり。

祠のような小さなバス停で、「最後はこういう場所がいい。写真を撮ってくれ」とKは言い、ベンチに横たわって死んだふりをした。

☆☆

林あたりで、また乗り換え。

むずかしいだろ。

むずかしいよ、パリの地下鉄とバスはよくできている、サイン計画が統一されていてわかりやすい、そのあたりのグランドデザインがとても素晴らしい。

ばか、あっちの路線は簡単なんだよ。

☆☆

林の自衛隊宿舎、父上が勤務していた会社なども見える。

裏手に入り江がある。

「うちから海が眺められたら、俺はやっていけたと思う」とK。

その海へ、昔うちの弟も一緒に連れていってもらったことがあるよね。

そんな話をしながら、逗子へと向かうバスに揺られる。

「風光明媚なのはこっちの席」とKが勧めてくれた。

「ミシェル・フーコー・メイビー」と、つまんない冗談が出る。

だって私うれしいから。

逗子の海が左手に見えだして、「葉山のラ・マーレ・ド・茶屋に寄りたい」とわがまま言ってみる。

また乗り換えなきゃだめだよ。

そんならいい。

海の見えるテラスでコーヒー飲みたいのか。

フレッシュジュースが飲みたい。

いつもアンフレッシュジュースだから。

(ばか。それに飲んでないよ)

☆☆

逗子の街へと近づいて、なんだか振り出しに戻った感じ。

あの夏の逗子の、まだ高校生だったあたしたち。

京急の逗子駅はここだよ、おまえ降りるなら今だよ、降りないの? 帰らないの? 俺なんかに引っ張りまわされて可哀想だな。

私の行動は私が決める、たとえ引っ張り回されたとしても、自分の責任で引っ張りまわされてる、だから心配しなくていいの。

逗子駅のひとつ手前で降りよう。

☆☆

そして逗子駅に向かって商店街を歩く。

Kは逗子をおしゃれな町だと言う。

かなりお気に入り。

私は鎌倉へは来るけど逗子までは来ない。

本当に久しぶり。

☆☆

Kは、ここへ来るといつも寄るというお惣菜店でタラの干物ほかあれこれ買う。

「おまえ持ってく?」と私にも梅干を買って持たせてくれた。

ブティックのショーウインドウを見て、「さりげなくおしゃれ」とKは誉めまくる。

「逗子の女性はブ○ジャーがおしゃれ」って、どこ見て言ってんだ。

書店で「なぎさホテル」を手に取り、めくってみる。

駅に辿り着く。

「浅○さん(高校時代の私の同級生、逗子在住だった)いませんか〜、KとT子さんが来ているんですけど、出てきてくれませんか〜」とKは大声を出す。

ばか。

逗子駅前の商店街、今きた道を戻る。

☆☆

中南米風のしつらえで、ドアも窓も開け放しにしているカフェに入り、道ゆく人々を眺めながら飲む。

まずはグァバのフレッシュジュース。

Kはウォッカをストレートで。

チャーミングな看板娘にチェイサーをどうするかと聞かれたKが、「こいつのジュースがあるからいい」と言ったのが耳に心地よい。

さっき買った梅干を千切って、私の口に入れてくれる。

うまいだろ?

うん、おいしい。

私もマイヤーズのラムでキューバなんとかっていうカクテルをつくってもらう。

飲めばたちまち楽しくなる。

それでつい口がすべって、「なぎさホテル」はパラパラとめくってみただけだが、小説家の文章じゃない、ライターの文章みたいだと言ってしまった。

これにK怒る。

Kは最初の1行から涙が滲んだそうだ。

おまえには黄昏がわからない。

わからないよ、黄昏ていないもん。

おまえがライターとして書いてきたものになんか何の意味もない、今おまえがやってるのは小説もどき。

というのをはじめとして、カチンとくることをいっぱい言われた。

さすがに頭にきて、ぐっと睨みつけた。

誰に向かって口きいてるのよ。

でもそれ以上は言う気がしない。

私は大人だからすべて呑み込む、と告げた。

Kはまだからんできたが、いつしかまた仲良くおしゃべりできるムードに転じている。

「なぎさホテル」は30年前の女性と再会するんでしょ、こっちは40年だから勝ってるじゃん。

ばか、そういう話じゃねえよ。

☆☆

この飲み屋の看板娘に声をかけ、しばし雑談する。

彼女の両親は私たちくらいの年齢らしい。

そして彼女は明るくて屈託がなくて、おしゃれが上手で、人当たりもいい。

私はどうしてああいうふうにできなかったんだろう、昔はなぜあんなにふてくさっていたんだろう、男が悪かったんだ。

俺?

違う、そのまえの男。

Kは看板娘と並んで写真撮らせてもらう。

私が撮った。

おまえ写真ヘタ。

でも私に撮らせてくれたじゃん。

あんた写真映りが悪い、実物のほうがいい。

見せてみろ、いいんだよ、これで。

Kは、俺たち同じ高校で15のときからの知り合いで、と看板娘に説明している。

そういうのっていいですねえ、と彼女は如才なく言ってくれる。

私のことを「素敵」と誉めてくれたりもする。

それはともかく、Kが私を「いい女なんだ」と言うからたまらない。

☆☆

私たちがよく冗談で口にする、ダニーのエプロン姿の話。

料理をしているときに男が腰のあたりにじゃれつくのが女の夢、ダニーも一度あれをやってみたかったのよ、しかも、わざわざ裸になってエプロンつけて。

K笑。

私はオハラで悪酔いした、あんたが連れてきた友達をあんたと間違えて家に連れ帰った、あのときなぜ止めてくれなかったのよ、でもわりとおとなしい子でよかった、朝はっと目覚めて気がつき、あの子をすぐに帰した、おとなしく従ってくれた、アレやったのかどうか覚えていない、あんなふうに酔うなんておかしい、ダニーがドリンクの中に何か仕込んだのか。

☆☆

Kがトヨエツと1日中ビールを飲んだ話。

俺はロケ現場でいつも俳優に間違えられるから、オーラ消してる。

でもさすがのあんたもトヨエツには負けるでしょ、あっちはプロだもん。

まあな、あいつもナルシストだけど。

☆☆

ほかにもたくさん話したのに、そのすべてをここに再現することができない。

時が流れるせいで、いろいろ忘れてしまう。

☆☆

逗子には泊まるところがない。

どうしようかね、私がこうしたいと言っても聞き入れてもらえないから、あんたに任せるしかない。

おまえが「こうしたい」なんて言ったことないぞ、「観音崎の美術館に行きたい」って今日はじめて言った。

でも観音崎へは三笠から船で行こう、次の機会にね、ということになったんだよね。

☆☆

横須賀線で横須賀へ向かう。

私たちの、振り出しの振り出しに戻る旅。

駅のエスカレーターで、Kは私のお尻にさわる。

あんたね、腰に手を回すならいいけど、お尻のくぼみを撫でるのはやめてよ。

☆☆

横須賀線車中での会話は味わいがあったなあ。

時が流れたせいで。

あと酒のせいで。

ぽろぽろ取りこぼしてしまったのが惜しい。

芥川の「蜜柑」についてKが何か語っていたというのは思い出せる。

それよりも、私たちの長いつきあいについて何か語り合ったような気がするのだが、どんなことを言い合ったのだろう。

悪くない話だったことだけは確かだ。

☆☆

横須賀駅に降り立ち、私はこう言った。

あたしもうあきらめた、あんた以外の男を好きになってうまくやっていこうとしたけど、うまくいかない、やっぱりあんたじゃないとだめ。

☆☆

駅前ですぐにはタクシーに乗らず、ベンチに腰掛けて一服。

雨がぽつりときた。

台風だ、いいぞ降れ。

おだやかな気分で、そして満たされた心で、なつかしい横須賀駅にいる。

こんな日がくるとは思わなかった。

ベンチに深く腰掛けなおすと、私の背にKの腕があった。

ぴったり隣に寄り添っている。

「本町のホテルヨコスカへ」と女性ドライバーに告げてタクシーに乗り込む。

横須賀もだいぶ変わったね、外人がいなくなった、素人の女の子が米兵を追っかけてやってくる、なんて3人で話していると、ドライバーさんは私より4つ年上の横須賀っ子と判明した。

気さくで、おしゃべり好きの様子。

75年頃、私はオハラっていう店にいたの、と私は昔話を楽しむ。

☆☆

ホテルは満室で、断られた。

Kが言ってだめなら私が、とフロントにかけあってみたが、やはりだめ。

外に車を待たせてあったので、また乗って米が浜のホテルへ。

「あそこで酒一升飲んだ女がいた」とKはさかんに言うが、それは私じゃない。

おまえだよ、覚えてないのか、フェイクファーを着てきた。

「まあ、着ていたものまで覚えてるの?」とドライバーさんが口をはさむ。

フェイクファーを着ていたなら私だけど、そんなに飲んでない、オハラにいた頃はよく行ったよね、あのホテル、福助ホテルにも行った。

福助はあまり覚えてない、連れていかれただけ。

福助はオハラのみんながよく使っていたの。

そうか、あのときの米が浜、覚えてないのか。

とKはすごく残念そう。

それよりさ、ドライバーのおねえさんが私たちのこと仲がいいねって。

そうよ、ふたりが駅前のベンチに座っているのをずっと見ていたけど、しっとりとけあって、いい雰囲気だった、よだれが出るほどうらやましかった、とドライバーのおねえさん。

それは正しい、よだれ出ましたか、とK。

私、すごくうれしい。

心舞い上がる。

☆☆

米が浜のホテルに一応はチェックイン。

ウェルカムドリンクのコーヒーを飲む。

おまえ魔法使いみたいな格好してんなよ、とKは、私の黒いワンピースをからかう。

私は魔法使いなんかじゃなくて、中華街の魔法とドブ板の魔法にかかってんの。

案内された別館というのがしょぼいラブホテルで、私が顔をしかめていると、Kはホテルスタッフに怒ってくれた。

ラブホテルならラブホテルと最初から言え、これのどこが別館だ、おかしいだろ、詐欺だろ、キャンセルしてこい。

それでまた、通りへ出てタクシーを拾い、ドブ板へ戻ることになる。

さっき、ドブ板のラブホテルに空室のサインが出ていたから。

どうせなら、あっちのほうがいい。

ああやって怒鳴る俺、かっこいいだろ、頼もしいだろ、とK。

まあね、私はただついていくだけだから楽だよ、ああいうとき、「どうしようか?」って私の顔みるような男と一緒にいるのは嫌だった。

(でも本当は、ちゃんと頼りになる男も、もっと頼りになる男も、そもそもトラブルに巻き込まれないようしっかり事を運ぶ男も私は知っている。ただ、そういう男に本気で惚れなかった、深くつきあえなかった)

☆☆

ドブ板のあのラブホテル、いつ頃できたんだろう、私は知らなかった。

できたての頃、君の後輩を連れてっちゃった、ついてきちゃうんだもん。

め○ちゃんでしょ。

あら、知ってたの、とK。

わかるよ、あの子があんたを見て好き好き光線送っていたから、あんたが何もしないはずはないと思った。

あの子、あんな顔して、けっこうあれなんだ。

(私むかついて帰ろうかと思った。でも当時私は関係なかったのだから怒るのは筋違い)

あのとき、おまえいなかったもん。

そうだよね、だから私がとやかく言うことじゃないよね、で、したのは1、2回? 見栄はらないでほんとのこと言いなさい。

俺がすぐにほっぽっちゃった、放置プレイ、得意だから。

それはいいけど、うちの○○(かつての同棲相手)があの子にぽうっとなっていたので私頭にきた、ふざけろよ、と、そのあとうちの弟があの子とつきあってたし、私のまわりの男みんなが手を出しそうで、嫌だった、結局は弟があの子をふってくれたから良かったけど、ほんとによかった、弟だけは私のもの。

(だけどK君、千人の女と寝ても何一つ覚えてないと言ってたくせに、わりとよく覚えてるんじゃん)

(タクシーの中であんな会話をして、運転手さんに失礼だったかなと、私は後に反省。運転手さんの人格、というか存在そのものを無視しているみたいだもの)

☆☆

ドブ板のホテルはその名をGoddess、つまり女神という。

私のことじゃん。

チェックインしようとしていると、入り口で米兵が数人、騒いでいる。

Kが、「おまえ、大変だからちょっと来てみろ」と言う。

何事かと出ていくと、黒人の若いセーラーが酔いつぶれ、同行の白人兵が3人がかりで介抱していた。

こいつら、酔いつぶれた仲間をホテルにぶちこんで逃げようとしている、とんでもねえ、他人事とは思えない、なんとかしよう、とK。

それで私が白人の子に、「日本の911を呼ぶか」と聞いた。

「それは困る」と相手は言う。

じゃMPを呼びなさい。

それもできない。

なぜなのよ、いいわ私が電話するから。

やめてくれ、仲間が今、MPをグラビングしに行ってるから。

それよりも電話したほうが早いでしょ。

いいんだ、このまま待つ。

あんたたち船は何?

ジョージ・ワシントン。

全員同じ船なの?

そうだけど、こいつとは今日はじめて会った、トゥーマッチトラブルで、もうやってらんない。

というような状況であることをKに説明する。

Kはとても心配そうで、「そこの自販機で水でも買ってきてやれ」と私に小銭を渡す。

MPを探しに行った子たちが戻ってきた。

だがMPはいない。

アメリカ人っていうのはまったく要領悪いんだから、でもこの子たちにはこの子たちのやり方があるから任せようよ、彼らは水の代金もちゃんと払おうとしたよ、だけど私がいらないよと断ったんだ、ほら見て、彼らは仲間に水飲ませているじゃん、酔いつぶれていても反応があるじゃん、さっきは急性アルコール中毒かと危惧して救急車呼ぼうとしたけど、反応あるから大丈夫、こういうのってドブ板じゃよくあること、昔は日常茶飯だった、だから酔い潰れた客の財布から勝手にお金を抜いて、みんなよく飲んでたなあ、豪快だった、でもあの頃、あんなに酔い潰れが続出したのはダニーが酒に何か仕込んでたからなのか。

Kはホテル入口にしゃがみこみ、動こうとしない。

そこへ、日本人の若い男が通りがかり、「どうしましたか、大丈夫ですか」とセーラーたちに英語で話しかけた。

みんな心配して寄ってくる、やさしいね、それにしても彼、英語がお上手、バイリンガル登場?

はい、バイリンガルです。

聞けば、彼は日米ハーフで、基地の中の学校で育った、そのあと日本の高校を出て、今はドブ板のハンバーガーショップで働いている、と明かしてくれた。

けっこういい男、性格もよさそう。

おにいさん、あたしと飲みにいこうよ。

でも僕、帰りのバス代しか持っていなくて。

いいよ、私が持ってるから。

そうだよ、こいつ金持ちだよ、とKがしゃしゃり出る。

「あのときのおまえにMOJOを見た」とかなんとか、Kは後にそんなことも言ってたな。

「でもその前に僕、すぐそこの店で電話を借りてMPを呼びます」とバイリンガルの男の子が言う。

そうね、そうしてちょうだい、私は荷物を部屋に置いてくる、あんた持っていくものはないの?

ない、おまえのカードだけあればいい、とK。

あんた、あの子が逃げちゃわないように見張っていてよ。

と言いおいて部屋にあがり、急いで化粧を直した。

降りていくと、もうMPが来ていた。

Kが酔いつぶれ黒人を揺さぶる。

「やめろ」とKはMPに制された。

じゃ行こう、もう大丈夫だよ、と私。

白人セーラーはKに何度もサンキューを言っていた。

握手。

Kはそれだけじゃ足りなくてハグしてた。

☆☆

すぐ近くのバーに腰を落ち着ける。

「彼女があんたのこと気に入っちゃったみたいだから」とKは私の向かいの席に座り、私とバイリンガルを隣あわせにしてくれた。

このバイリンガルは○という名の24歳の可愛い坊やで、性格もなかなかよろしいようだし、英語はちょっと黒っぽくてヒップホップ系、カリフォルニア系の軽いノリもあり、私それでもいいから個人教授をお願いしようかな、クィーンズイングリッシュでなくていいから、でもできればアメリカ東部の英語を指導してちょうだい、と言う。

それから横浜のYMCAスタッフになることオススメなのだけれど……それらのことについては、ここではどうでもよろしい。

肝心なのはKと私のことだから、以降の成り行きはざっと書いておくことにする。

☆☆

Kの伯母さまたち二人は、米軍関係の人と結婚して葉山に住んでいた。

そして渡米した。

バイリンガル○君の住まいは葉山で、母親のいる家は武山、その出身は長崎ということで、Kといろいろ共通項あり。

☆☆

ドブ板にフィリピーナの店員が増えた。

Kがそのお尻をさわるので、○君が代わりに謝っていた。

そのことで私はKを責めたが、「俺平気だもん」と言う。

あんた、もしあたしがよその男にお尻さわられたらどうすんの。

別にいいんじゃねえ。

○君はある店のフィリピーナが好きなんだけど、口説けない、このままでいいかと思っちゃう、と打ち明けてくれた。

それはだめよ、でも男って、好きな女ほど口説けないよね、だったら、ぐずぐずしているのも手かも、そうすれば女のほうが焦れて、のしかかってくるかもよ、私はいつもそのパターン、うんと冷たくされて、でも時々うんとやさしくされたら、夢中になっちゃう。

女の気持ちはわからない、とK。

○君の父親はネイティブアメリカンの血が混じるクォーターとのことで、○君もインディアン最後の伝説をモチーフにデザインされたオイルライターを愛用している。

インディアンはそのルーツがモンゴルにあり、とKは話しだし、○君に自身のアイデンティティについて問うていた。

☆☆

Kの希望で、2軒目はAサインバー風の店へ。

今夜はどこも米兵で賑わっていて、昔みたい。

でも今はドル80円。

ドル100円で固定されていた時代も長い、とKは言う。

それは私の知らない時代。

その頃、Kはベースの中で窓拭きのバイトをしていたのだと言う。

☆☆

私はCC(カナディアンクラブ)の水割り、KはMOJOというカクテルを飲む。

私は昔EMクラブでチェリーブランデー&コークをよく飲んでいたことをふいに思い出した。

☆☆

そろそろ○君を帰したがるK。

私にペ○スをおしつけてくる。

○君はもう1軒行きたそうだったけど、私たちは食事をテイクアウトしてホテルに戻ることにする。

○君がいろいろ面倒みてくれて、自分のバイト先であるTSU○AMIという店を紹介してくれた。

そこでタコスをオーダーする。

出来上がって「タコスのお客様〜」と呼ばれたとき、「うちのだ」と私はKに聞こえるように言った。

○君は最後に手持ちの小銭を数えていたけど、まさか私にたかろうとしたんじゃないよね、と後でKに聞いたら、「不明」と首を振っていた。

☆☆

ラブホテルは閉塞感があるから好きじゃない。

特にKは嫌がる。

閉所恐怖症の気味があるらしい。

☆☆

私だけバスを使う。

湯船につかると、思わず「あーあ」と声が出る。

それを聞いて、Tちゃんおもしろいね、とK。

息子みたいな年の若い男を食っちゃうんだから、と。

食わないよ。

☆☆

風呂あがりの髪が乾くまで、ソファでくっついておしゃべり。

あたし、あんたの了解を得ずに若い男を誘っちゃった。

怒らないよ。

あの子24、その年なら私はもう所帯もって落ち着いていた。

結婚したんだろと、Kは言ったが、してないよ、こいつと結婚しちゃいけないと思っていた、と私は明言。

☆☆

おまえ、さっき黒人を見捨てようとした。

見捨ててないよ。

俺はああいうときは絶対に何とかする、今日はおまえがいたから頼った、英語喋れるから、だけどおまえは最後まで面倒みようとしなかった。

だから見捨てるつもりなんかなかった、と状況判断の経緯について何度も説明するが、Kは私が見捨てようとしたと言ってきかない。

黒人差別だ。

とんでもない。

だがあの酔い潰れがかっこいい白人だったら対応が違っただろ。

そう言われるとそうかなという気もするけど。

笑。

☆☆

私を愛してくれる人たち(家族や親戚、友人たち)の話をすると、Kは「俺なんか誰も愛してくれない」と言う。

(私がいるじゃん)

あんたから家族のこと聞くと、私だって言ってやりたいことがある。

おふくろに?

おかあさんには私は何も言えない。

じゃあ妹?

Mちゃんのことはよくわからない、私はあんたの東京のご家族に言いたいのよ、奥さんと娘さんたちに、もっとKを大事にしてやってよと、今この状況でその生活はないでしょう、みんな大事なものを手放してダウンサイジングして生き延びようとしてるのよ、と。

☆☆

昔ふたりで泊まった米が浜のホテルのことはあまりいい思い出じゃない。

私が望むように大事にしてもらえなかった。

愛されていないんだという感傷だけが残っている。

今はそういうこと気にしてないけどね。

☆☆

Kは駅で私を待つ間、ときめいていたのだと言う。

あんた、ときめくの? まあ意外、なぜ? 怖いの? 私に何を言われるかわかんないから怖いんでしょ。

☆☆

俺はソファに寝るから、おまえベッドで寝ろ、とKが言う。

早くあっち行って寝ろ、ハウス、おまえ疲れてるんだから、昨日は4時から起きてるんだから、顔くちゃくちゃなんだから、ハウス。

それでも私たちはソファでくっついて飲みながら、足マッサージをしながら、お喋りを続ける。

私は誰と暮らしてもいつもこんなふうよ。

俺はこういう会話が成立したことない。

じゃつまんないじゃん。

つまんない。

まだ足痛いの?

痛いよぉ。

甘えちゃって。

☆☆

その夜、そして翌朝、いっぱい話したけど、何の話だったのかな。

思い出せる限り挙げてみると、私は恍惚のブルースで、いとこのウーちゃんは伊勢佐木町ブルースで吼える、私は横浜歴30年だけど、ウーちゃんは生まれたときからだからすごい。

恍惚のブルースはアルツハイマーの歌かもね、「あなたがこんなにした私」で聴いてる男どもは引くけど、「私は貝になりました」でまた戻ってくる。

それ、いただき、とK。

「この世の果て」をウーちゃんとふたりで歌うと、とろける。ウーちゃんとはあんたとより長い、弟とも長い、血縁だし、濃い、こういう私サイドの人の前で私のことをけなすと、みんな怒るよ、どうせ会う機会もないだろうけど、会えばきっと喧嘩になる、「Kが私にこういうのを書けとうるさい」と言ったら、ウーちゃんなんか、「自分で書けばいいじゃん」ともう怒ってた。

高校時代同級生だった男の子と友人宅で飲み、帰りの電車の中で私が「気持ち悪い」と言ったら、その子は鞄の中を空にして、「ここに吐け」と言ってくれた話。

君には君のファンがいる、とK。

Kも小中学校時代の同級生の話をしていたなあ。

同窓会で会ったら、女の子たちみんな太っちゃって、ピンクレディやキャンディーズを歌いながら踊ったりするからショックだった、とK。

私が心変わりして「別れよう」「次いくから」と言い出すと、男は急に私に狂いだす、なぜなの、元から私に狂っていたなら、もっと大事にしてくれればよかったのに、男の気持ちがわからないから、なぜそうなるのか教えてよ。

おまえ、いい女だと思うよ、とK。

今夜はドブ板が賑わっているので私もうれしい。

久しぶりにドブ板でばかやった、今日は2つも仕事した、満足、俺はちっとも変わっていない、とK。

あたしも変わっていないでしょ。

おまえはね、ちょっといい女になったよ、だけどおまえと結婚しようとすると大変だからいろいろ考えるだろ。

誰が? 男全般が?

いや俺なら俺でいいんだけど。

そりゃ考えちゃうだろうね、私は結婚してもすぐに離婚したいと言いそうだもん。

☆☆

俺、文学を体系的に勉強したことがない。

私だって、だめよ。このまえは、やっぱり滅茶苦茶なこと言ってしまった、フランス革命とパリ・コミューンはだいぶ時代が離れているのに。

だろ? パリ・コミューンはナチスと共産主義が歴史に登場してこないと出てこない。

? 違うだろ、ま、いいや、うち帰ってから教科書見よう、あなたは社会科学のなかで地理学が一番得意なのよね?

☆☆

連合三田会に行く日が決まったの、船旅が当たったら、ほんとに行く?

行かねえよ、その頃は俺も忙しいかもしれないだろ。

じゃ、売っちゃう。

あの若い男と行けばいいじゃん。

やだよ。

☆☆

翌日の早朝、Kは非常階段から外に出たらしい。

フロントから電話があり、「お連れさまはお部屋にいらっしゃいますか?」

出かけたようです、そこにいるなら上げてください。

寝ていたのに起こされて、ドアを開けてやった。

ありがとう、とKは言った。

あとで聞くと、新聞を買いに行ったわけでもない、何しに外へ出たのかわからないんだと。

☆☆

再び寝ていると、「Tちゃん、おれ寒い」と言うので、急いでエアコンを切った。

Kは「毛布」と言いながら隣にもぐりこんできた。

Kの身体がこんなに冷えちゃった、やだ、どうしよう。

Kは(うれしそうに少し笑って)別にどうもしなくていいよ。

濡れているだろ?確かめちゃおうっ、と触ってくる。

あれ?濡れてないぞ。

と今度は自分の朝の硬いモノを握らせる。

私はしばらく握っていたけれど、Kの身体を温めてやりたくてバスに湯をはった。

嫌がるKを無理やり起こして湯につからせた。

そんなこんなで、やがて朝のセ○クス。

ゆうべはしなかったし。

このときもフ○ラさせなかった。

しなくていいよ、とKは言った。

私が上になってイン○ートした。

最初はちょっときつい。

それがいい。

セッ○スだんだん合ってきた感じ。

だんだん良くなる。

私は頭を空っぽにして、身体で感じることがやっとできるようになった。

大好きなひととつながっていることを楽しむ、味わう、堪能する。

そうすると良くなる、夢中になる。

いっぱいキスをする。

遠慮しない、したいだけする。

私はずっと腰を動かしている。

気持ちいいだろ? これだよ、ここだよ、とK。

それはGス○ットのことなのかしら?

高まっていく。

時間を忘れてしまう。

耳元で何かささやかれて、私はこう答えた。

もう誰とも寝ないよ、と。

どうして?

もったいなくて。

それから私、「好き」と声に出して伝えた。

ずっと一緒にいたい、いつも一緒にいたい、とも伝えた。

Kは私の身体の反応を感じ取っている。

よし、いかせてやる、と上になる。

それもまた気持ちいいし、うれしいけど、上になられると長く続けられない。

遠慮するな、いっちゃえ。

でも、いけない。

Kを下にして随分長くやったから、もういいかな。

よかったのよ、ほんとうに。

このセックスのあとだったかな、Kがトイレについてきて、おしっこするところをどうしても見たいと言うので見せた。

そのあと、お○っこの穴がどこにあるか、言葉で教えてやった。

お○っこの穴はクリ○リスの前にあるんだろ、とKが勘違いしていたのには驚く。

そんなこと考えたこともないんだから仕方ない、とKは言うけれど。

それはともかくとして、ぶったり、おしっこ見たり、これまで私としたくてもできなかったことを次々やろうとしているのだろうか。

だとしたら、かわいい。

☆☆

私の小説の中のある1節、「熟睡中に性交渉を迫られた」にKは反応する。

それは性交渉じゃない、と。

そうか、性交渉ではなく「性行為」を迫られたとしたほうがいいのね。

俺は強姦できない、ともKは言っていた。

☆☆

男ってさ、こうやって女が隣に寝ているだけで若返るでしょ、いわゆるフェロモン効果でさ、と私。

もっと若いのじゃないと、とK。

歳とってて悪かったね。

笑。

☆☆

俺シャワー浴びる、おまえのジュースまみれだから。

うん。

そのままにしとけって?

そんなこと言わない、だけど私のはサラッとしてるらしいよ。

うん、サラッとしてる、俺が好きになる子はみんなサラッとしてるの、女房もそうだけど、サラッとしていて匂いもない。

ベタッとしてる人なんかいるの?

いるよ。

(この会話で奥さんのこと持ち出すということは、まだ愛なり情なりあるということね。「嫌いじゃない」とは言っていたけど、そんな心理状態で本当に離婚できるのかしら?)

☆☆

おまえ、おしゃれな下着つけてくるって言ったのに。

言ってないよ、持ってるって言っただけだよ、三浦の民宿に泊まるのに、そんなの着ていくわけがない。

だけど俺に会うんだぞ、俺に。

そうか。

なのにボクサーパンツなんかはいてきやがった。

じゃ今度ね、でもピンクの下着はあまり似合わないの。

おまえ昔からピンクは似合わない、白にしろ。

自分で見ていいなと思うのは、茶色いボディスーツ。

それ、俺も見たことあるよな。

うん。

☆☆

ここ、もうやだよ、とKが言い出す。

じゃ、おんもに出よう、と私。

うん、まだ早いけどチェックアウトするよ、でももうちょっと時間かかるよ、顔かくから。

俺がかいてやろうか、マスク。

マスカレード、あの曲歌いながらあんたに抱きしめられるとは思ってもみなかった。

俺は横浜ホンキートンクブルース、はじめて歌うから練習させてくださいって歌いに行った、千円で飲める店、友達の娘が来て感激した、あの曲おまえうまくはないけど歌いこんでるなと思った。

もう30年歌ってるから。

そんな話をしながら、ざっとメイクをしただけなのに、「Tちゃん美人になった」と言ってくれた。

そ、愛されたあとは、とってもいい顔になるの。

☆☆

早朝の本町通りを歩く。

私がいた「オハラ」は今、「リトル・アムステルダム」という店になっている。

ガラス越しに中を覗くと、オハラだった当時のままの奥行のある空間が見えた。

カウンターも昔のままだった。

☆☆

いつものことだけど、腕を組んでヨタヨタと、支えあいながら歩く。

こういうときの私たちには宇崎の曲がぴったりくる。

百恵も合う。

三浦海岸では私、「恋のかけら」を口ずさんだ。

それは宇崎かな、とKは言った。

今朝は百恵の「イミテーション・ゴールド」をふたりで歌う。

それから私は「サクセス」を歌った。

「絶体絶命」は私に合わない、ああいうシチュエーションになったことがないので気持ちがわからないと私が言ったら、それは阿木燿子さんに聞いてくださいとKに返された。

☆☆

ダイエー・ショッパーズプラザは開店20周年。

これができてすぐ、Kは軍港の見えるバーで飲み、ロケにも使ったとのこと。

臨海公園、今はヴェルニー公園。

横浜の山下公園の真似した? と私。

こんなのどこにでもある、とK。

☆☆

ベンチで一休み。

そこで、軍港めぐりの乗船場を偶然見つける。

あれ見てこい、俺ここで待ってるから。

窓口でスタッフに聞いて、当日券の売り場に並ぶことにした。

行列。

隣に並んだのは、逸見から来たという女性。

その女性と私がおしゃべりしていると、「おまえ子供じゃないんだから静かにしろ。こういうときはできるだけ目立たないようにして、存在感を消せ。パンツ見せてしゃがむな」とKに言われた。

パンツ見えてた? でもいいじゃん、見えるところにいたのはあんただけなんだから。

そうか。しかし、こうして並んで待って、ひとつ前の人で売り切れなんてことないだろうな、俺とおまえの運命だよ、そういうこともあり得る。

大丈夫ですよ、と窓口にいたスタッフの女性が笑う。

さらに1時間近く待つ。

足が痛い、とK。

あんた痛風じゃないの?

心も痛い、これに比べれば足の痛みなんかどうってことない。

あたしが作家になったら、あんたにも1億円。

1億なんて要らない、俺は今300万でいい。

だけど、あちこち借金があるから、それを返さないと。

☆☆

ようやく乗船。

約45分間の軍港クルージング。

Kも私も夢中で軍港の景色を見ていたが、あいつはやっぱり泣き出した。

「掃海艇、第二次大戦の爆弾が今も海中に五千発」というナレーションを聞いたあたりでぐっときたんでしょ。

俺はジョージ・ワシントンが見えたときからもう感激してた、俺たちはこういう街で育ったんだ、簡単に反戦だの平和だのと言えるもんか。

ミッドウェイもそうだったけど、ジョージ・ワシントンは船そのものがまさに滑走路、だけど全速力で走っていないと飛行機が発進できないとは知らなかったなあ、もっと近くで見たらびっくりするだろうね、横浜の大桟橋でクイーン・エリザベス号を見たけど、巨大なビルみたいだった。

「吾妻倉庫地区という島は、緑の丘の内部がくり抜いてあり、燃料の保管庫になっている、軍の機密が詰まっている」ということをKは知っていた。さすが。

私は長崎の軍艦島にも行ってみたい、熱海の先生がロシアに渡って写真に撮った軍艦墓場も見てみたい、Kと一緒に。

軍港クルーズ終了。

☆☆

汐入駅からドブ板へまわる。

数歩先を行く私がKを振り返ったとき、ふたりニコッと笑みをかわした。

一福食堂へ行ってみるが、日曜なので休み。

じゃ仕方ない、と駅前の中華料理屋が開いているかどうか、私が見に行っている間、Kは路上のベンチに寝ていた。

ここでこうやっている俺、かっこいいだろ、ボロボロで、死にそうになってる俺、かっこいいよな。

おめでとうございます、と私は足をもんであげる。

私、涙は出ないが鼻水が出る。

身体の中で泣いているのだ。

中華料理屋で、またも飲む。

今朝はホテルでタコスの残りを少し食べ、水割り缶を飲んでいるから、もう入らない。

それでもビールをなめ、冷菜をつまむ。

チャーシューが美味い、硬いけど噛むと味が出てくる、とKは絶賛。

「私もう飲めない」と言うと、「じゃ紹興酒にするか」と男っぽい言い方をするKが素敵。

紹興酒、要らない。

でも俺が要る、とKはグラスで頼み、結局5杯も飲んだ。

☆☆

私は少し疲れて寡黙。

聞き役にまわる。

Kは饒舌になり、映画の現場の苦労話を涙ぐみながら語って聞かせる。

沖縄ロケのAサインバーという映画で出会った人々のこと、写真やってる女性のこと、その他諸々。

命をけずるような大変な仕事、好きじゃなければできない仕事、と私は感想を述べた。

連合赤軍を描く映画を途中で降りた件についても聞いた。

やはりヒーローとして描きたかった、そうじゃなきゃ意味がない、とK。

☆☆

短歌の闘いについても聞いた。

新聞紙上で安易に平和を詠う短歌おばさんがいて、Kは「こいつをなんとかしなきゃいけない」と発奮したのだとか。

それは正しいと私も思う。

だけど、短歌の人って、わりと安易に固有名詞を象徴的に使うでしょ。たとえばボードレールとか。

それが私は気に入らない。

その人自身がボードレールじゃないのだからね。

するとKは、「今ここで反論はしないが、10年ちゃんと短歌を勉強してから言え。簡単に結論づけるな。だからおまえの書くものはつまらないんだ」と怒る。

☆☆

Kは「娘の花嫁姿を見ることもないだろう」とメールに書いていたけど、見られるよ、見に行けばいいんだもん、たとえ離婚したって、父親は結婚式に出ればいい、子供さんたちはもうみんな独立するんだからいいじゃん、親子の縁は一生なんだからいいじゃん。

おまえ簡単に言うな、だから書くものがつまらないんだ、少しは悩めよ。

私はそんなダサいことで悩んだりしない、私には私の悩みや葛藤がある。

資本主義的な葛藤か。

違うよ、一般ピープルにはわからない悩みと葛藤があるの。

それはそれとして。

おまえがデビューすると、その余波でみんながまたちゃんと書けるようになる、とKは言う。

私の余波が及ぶのは、せいぜいあんたまでで、あんたの知り合いの女の人たちは私には関係ない。

おまえもいつかそいつらと縁ができて関わりあうようになる。

やだよ。

俺んとこに、シナリオライターだったおばさんから連絡があった。

あんたのこと愛して、今も忘れられずにいる女は何人もいるんでしょ、私みたいな馬鹿な女がほかにもいるっていうことよね、でも、あんたがまだ若くてきれいで勢いもあった頃を知ってるからこそ、みんなは今も愛してくれてる、ここから愛しはじめるとなると、どこまで愛し続けられるか疑問だね、短いつきあいならあるかもしれないけど、深く長いつきあいとなると、どうだかね、ま、やれるものならやってみな。

K笑。

そしてKは、私がトイレに立つたびに私の頭をさわった。

これも愛情表現。

☆☆

私が作家として書けないところを、あんたが書くのよ、業務提携しようって約束したじゃん。

絶対に口外しないという約束で、な。

いいのよ、出版社のほうでは全部わかってるんだから、みんなやってることだもん、三島だって川端だって、作品の一部はゴーストが書いたという説がある、社会的なことはあんたに書いてもらうとして、「T子さん、それはやっぱり自分で書かなきゃいけませんよ」なんて言う編集者はいないだろう、書けないものは書けない、政治経済歴史を書けないからレベルが低いとは私は考えない、あんたは私と提携して、「ここまで書けるなら、ご自分の作品を書いてください」と編集者に言われるようになる、そうなりゃもう賞も何も関係ない。

俺はまず編集者のおねえちゃんとできて……。

そんなことできっこない、出版社は作家の先生のお陰で儲けさせてもらってるんだから、私が作家になったら、そのときの私の力にもよるけど、私が怒るようなことを出版社がさせるわけがない。

☆☆

ところで、と私は話を続ける。

「ドブ板トランジット」は、三田文学に掲載されたらもう他誌に応募できない、だから新しく別の作品書いて受賞デビューするしかない、そのあとでトランジットは単行本にするという流れ、その際に、出来事・事件を加筆する、あんたは私が妊娠して黒人の子か白人の子か日本人の子がわからないのがいいと言ったけど、それは違うと思う、米兵が何かやらかして一波乱あるというのがいい、単行本にするときはあんたがそれを書いて、合作にすることに私は抵抗感などない、ちょっと書き直したくなるかもしれないけど。

直していいよ。

映画にするなら、あの当時のドブ板はもうどこにも存在しないのだから、セットをつくってほしい、「ポンヌフの恋人」のセットはすごかった。

あれな、よかったよな。

それでさあ、とKも話を続ける。

俺に100万くれるなら、おまえのかわりに10日で新作書いてやる。

じゃ、まず書いてみて。

K笑。

10日で書こうが1ヶ月かかろうが、私にも出版社にも関係ない、問題はクォリティだよ。

質は高いよ、おまえきっと怒るよ、おまえの書いたものよりこっちのほうがいいとみんな言うよ。

そしてKは、これから自分が書くつもりでいる作品の構想をいろいろ挙げる。

小説、ルポルタージュ、ノン・フィクション、評伝なんかも混じる。

「小泉を撃て」は時局にあわないから、ずっと先に書けばいいとのこと。

今は原発、横須賀の軍転法と原燃のことを書くのがいいが、資料を集めきれない、調べるのに1年かかる、こういろいろ話してもおまえが理解できるのは5分の1だ、俺はお前の10倍勉強し、10倍本を読み、遊びはおまえの10分の1だから、いろいろわかってるんだ。

とKはおっしゃっていたが、私は急に、猛烈に眠くなる。

むずかしいこと聞いたから眠くなったんだな、とK。

☆☆

おまえ、俺のこと書け、ドブ板に俺とのことが出てこないだろ、だから広がりがないんだ。

(と言ってKは、早くも自分の描写をはじめる)

あんた、まったくナルシストだね、だったら私の視点で自分のことを書くのが一番いいよ、私があんたを書くと別物になるから、あんたはあんたの気に入るように自分を書きなよ、それが一番いい。

ばか、そういうことを言うもんじゃない。

☆☆

そしてKは続ける。

おまえ、やっぱり着物にしろ、パンツはもともと穿いてないからちょうどいいし、俺が着付けしてやるから。

美容院で髪をアップにしなきゃならない。

いいじゃん、そのままで。

そういうわけにはいかない、それに着物だと5歳は老けて見える。

5歳老けても、5歳きれいに見える。

自分ひとりで着られないものを着るなんてナンセンス。

☆☆

Kはホテルハーバーに電話を入れる。

私は帰るつもりでいることを伝えてあるので、Kはシングルの部屋を予約した。

でも私に帰ってほしくないらしい。

世間は3連休だから、おまえ明日も休みだろ、とK。

そうなのかな。

今夜は粋なおねえちゃんでも探しにいこうかな、でもいないんだよな。

☆☆

私、朝から缶入りの水割り飲んでいたから、もう飲めない、つらい。

あんなものよく飲めるよな。

おいしいよ、水割り。

酒臭い口で俺の唇を吸った、何度も何度も。

あんただって飲んでいたじゃん。

酒臭い息で、はあはあいって。

いいじゃん。

☆☆

なに? おまえ今晩も泊まるのか?

泊まらないよ。

だから三崎口で帰ればよかったんだ、さっさと帰れと言ったのに。

あのとき、あんたが三浦海岸の宿をとれていれば帰ったよ、でもとれなかったから、心配で。

おまえ、やさしいよな、やさしい、とK。

あと30分で帰してあげるよ、さんざんつきあわせて悪かった。俺みたいなのに出会っちゃって、おまえ可哀想だな。

あんたに出会わなくても、私はきっと似たようなのにひっかかっていたと思うよ、だから、あんたのせいじゃなくて私のせい、あんたは私に出会えて本当によかったね。

はい、そうです。

みんなに聞いてごらん、良かったねって言われるから。

はい。

あとさ、KとTのどっちがより馬鹿だと思います?って、みんなに聞いてまわりたいよ、私は絶対に勝つ自信がある。

☆☆

俺、電話切っておこう、おまえのメールうるさいから、面倒なこといろいろ書いて寄越すから。

「じゃどうするのよ」と言われるのが一番つらい、とKは言っていた。

それなら、その言葉はもう言うまい。

今日はもう、私からメールしないよ、「どうしてますか、元気ですか」なんて、私がメールすると思ってんの?

K笑。

☆☆

店を出て、私はそのまま駅へ行こうとする。

Kはホテルへ行こうとする。

じゃね、と言うと、Kはがっくり肩を落とした。

だけど、どうしろっていうのよ。

そりゃ私だって、お別れのキスと抱擁ぐらいしたいけど、もう身体が離れちゃったよ。

今さら駆け寄るのも、なんだか間が悪い。

じゃあね、気をつけてね、と手を振った。

あいつは、よそ向いてうなずいていた。

☆☆

上大岡で乗り換えたとき、Kから電話があった。

メールを送ろうとして、間違って電話しちゃったんだって。

なに、ありがとうのメール? それならわかった、オーケー。

ありがとう、ずいぶんつきあってくれて、とK。

こっちも、ありがとう、と私。

えーと、無事にチェックインして、ベッドイン。

オーケー、もう寝なよ。

寝る。

うん、じゃね、おやすみ。

関連記事→恋愛かくれんぼ・デートノート2011⑬

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