Study and Actual Work of Creative Writing
クリエイティブ ライティングの探求と実作
先日、久しぶりに小説を書こうとしたのですが、「ストーリーを考えてもつまんないな〜要はイメージと文体だよな〜」と思っちゃったので、「クリエイティブ・ライティング」というものを勝手に研究し、同時進行で実作をしていきました。
その結果として、12篇の短い小説が誕生しました。
各篇に通奏低音のように流れるのが、横浜の南東部を流域とする大岡川という川の存在で、この川が思念したり語ったりすることから、大岡川を主人公に据えた掌篇集とも言えます。
12篇のうちの1篇をここに掲載します。ご高覧を賜りますなら幸いです。

甘くない男
川がある。二階家の食堂がある。歩き疲れている。店に上がって珈琲を注文する。午後二時だった。
窓辺の席に中年の男がいた。銀縁の眼鏡をかけている。外光を頼りに新聞を読んでいる。腕が長い。おそらく背も高いだろう。やや長めの髪に白いものが混じっている。淡いブルーのシャツにネクタイはない。下はベージュ色のコットンパンツ、素足にデッキシューズのようなものを履いている。このあたりの人なのかもしれない。
男はウェイトレスを呼び止め、グラスワインを追加した。この店のハウスワインなら、たしかにいける。キリッと締まった辛口、爽快な香り、澄みきった湧水に植物の緑と光が映り込んだような涼味。そんな白が運ばれてくる。男はさっそく口をつけ、煙草にも火をつけた。乳白色の靄が立ち籠める。
男はひとりで、そこにいる。外の景色に目をやらず、周囲を見回すこともしない。ただ前を向いている。新聞はもう読んでしまった。この日何杯目かのワインをやり、大きな煙を吐くことが、男の仕事だ。
ウェイトレスが動き回っている。席は八割方うまっているので、客の求めに応じるのに忙しい。男は我関せずの様子だったが、ウェイトレスが自分のほうへ少しだけ近寄る一瞬をとらえ、ランチはまだあるかと声をかけた。ある、と返事があった。
男がさっきのを飲み干すのとほぼ同時に、ランチの皿がテーブルに置かれた。男はまた一杯頼む。
新しい白を待つ間に、男は皿の中を眺める。イタリア料理の店ではあるが、昼定食はごく一般的な洋食盛り合わせのようだ。肉やフライの脇に千切りキャベツとマカロニが添えられている。別の皿に米飯が盛られている。男はこのメニューに馴染んでいるらしかった。特に期待もなかったし落胆もない、といった風情だ。
ウェイトレスが来て、去った。男は料理に手をつけようとしない。食事を始めるのは、まだ先だ。
男は卓上に用意された塩の小瓶を手にとった。キャベツに振りかける。肉とフライにも振る。手はなかなか止まらない。出が悪いのだろうか。しかしいくらなんでもかけすぎだろう。いや、男が好む塩加減にするには、これくらいしないとならないらしい。男はゆっくりと、淡々と、塩をおろしている。
次に男は胡椒の瓶を取り上げ、皿の上で振りおろした。三度やって、やめた。香辛料はこれで充分なのだろう。
男がいよいよナイフとフォークを握り、食事にとりかかった。前を向いて静かに咀嚼している。ウェイトレスが気を利かせてやって来た。男は空いたグラスを渡す。それでまた一杯、ということになる。
そこまで見届けて、店を出た。

作者による解題
レストランへひとりでやって来た中年男が、グラスワインを何杯も飲み、ランチを注文し、料理にやたらと塩をふりかける。そんな光景を目のあたりにしたことがあります。ですからこの作品に書いたのはすべて実際にあった出来事ですが、事実をありのままに描いているわけではありません。あのときの記憶をハードボイルドのタッチで再現してみたい、と作者は気負ったのです。
ハードボイルドとは皆様ご存じのとおり、無駄を削ぎ落とした短文で、簡潔に、スピーディに、心理よりも行動に重きを置いて描写する作風のことです。ハードボイルド派の作家といえばヘミングウェイ、ハメット、チャンドラーなどの名がよく挙げられますね。
海外ミステリーや犯罪小説とハードボイルド文体は切っても切れない関係にあるようです。謎の事件、冷酷で非情な女、感情に流されずに行動するクールでタフな男の私立探偵──。こうした魅力的な題材は、できるだけ明晰に客観的に、一切の批判を加えずに描くことで、素晴らしい効果をあげるのです。
本作「甘くない男」の作者は、日常の卑近な例もハードボイルドになりうると思い込んでいます。よってこれからも、折に触れハードボイルドを気取って書いてみるに違いないと思われます。