Study and Actual Work of Creative Writing
クリエイティブ ライティングの探求と実作
先日、久しぶりに小説を書こうとしたのですが、「ストーリーを考えてもつまんないな〜要はイメージと文体だよな〜」と思っちゃったので、「クリエイティブ・ライティング」というものを勝手に研究し、同時進行で実作をしていきました。
その結果として、12篇の短い小説が誕生しました。
各篇に通奏低音のように流れるのが、横浜の南東部を流域とする大岡川という川の存在で、この川が思念したり語ったりすることから、大岡川を主人公に据えた掌篇集とも言えます。
12篇のうちの1篇をここに掲載します。ご高覧を賜りますなら幸いです。

悪趣味な関係
川向こうの老舗デパートへ
君を訪ねていった
外で働く君がどんなふうか
一度見ておきたかった
君は朝からずっと忙しかったが
ようやく休憩がとれて
今は地下の社員喫茶室にいると
ほかの売り子に教わった
ざわめいていた
女が群れていた
換気が悪い地下の部屋いっぱいに
嬌声の弾丸が飛び交っていた
君のオレンジ色のスカーフが目につく
惜しいことに似合っている
だが君は厚化粧だ
顔に白粉が浮いている
君は若い女の同僚と笑いあい
気取った手つきで
小さなサンドウィッチをつまみ
うまくもなさそうにかじっている
右手にパン 左手にタバコ
君はそれを交互にやる
天井めがけて煙を吐きだす
そしてエスプレッソを流し込む
奇妙で素敵な流儀だ
しかしここでは誰も
君のやりかたに注意をはらわない
君は見過ごされている
そんな君は滑稽だ
じつにみっともない
たった半年で変わってしまった
君だってわかっているだろう
どうして好きになったのか
なぜ口説いたのか
情けなくて憎らしくて
絞め殺したくなるときさえある
まともな人間のふりなどするな
せめて作り笑いはよしてくれ
相槌を打つのもやめちまえ
できれば何も喋らずにいてほしい
わたしだって時には昔のように
君を独り占めして
君の無関心と悪趣味を
愛でたいんだ

作者による解題
ゴダール映画『女は女である』の挿入歌に、本書作者には初耳のシャンソンが使われていました。映画を観終えた後も心に残っているので、調べてみたところ、歌っているのはあの有名な歌手シャルル・アズナブール氏で、作詞をしたのも彼なのでした。
「おまえは滑稽でみっともない。いつもふくれっ面だ。楽しくやりたいのに…」で始まるこのシャンソンは、夫が妻への不満をこれでもかと並べ立て、「それでもともかく、おまえは私の女房だ」ときて、最後はこう締めくくるのです。「優しさを見せてくれ。かわいい娘に戻っておくれ。幸せだったあの日のおまえに。時には昔のように、おまえのことを愛したいんだ。のらくら者でも、おまえのことを」。
男性と生活を共にした経験のある女性なら、たいていは耳が痛くなり、胸にグサッとくるでしょう。しかしそれでホロリとなって日頃の行ないを改めるかというと、そう簡単にいかないことが多いのです。
本書作者の場合は、件の歌詞が気になって仕方ないので何度も聞き返し、字幕の文字を書き写し、どういうわけか強引に誤読をして、「このシチュエーションを、自分ならこう解釈する」と、まるで別物へと書き換えてしまいました。このような読み換え・書き換えのことを「トランスクリプション」と言うそうです。
一般に、トランスクリプションとは会議や取材などの際に収録した音声言語を文字に書き起こすことで、別名「テープ起こし」とも言います。
文芸の世界で言うところのトランスクリプションは、パロディ(模倣と茶化し)やパスティーシュ(文体模写)と同類の、批評精神あふれる行為、具体的には分解分析と再構築のことで、これもひとつの文学技法とされているようです。