クリエイティブ・ライティング

超短篇小説「法螺吹き女王」

投稿日:2022年9月21日 更新日:

Study and Actual Work of Creative Writing

クリエイティブ ライティングの探求と実作

先日、久しぶりに小説を書こうとしたのですが、「ストーリーを考えてもつまんないな〜要はイメージと文体だよな〜」と思っちゃったので、「クリエイティブ・ライティング」というものを勝手に研究し、同時進行で実作をしていきました。

その結果として、12篇の短い小説が誕生しました。

各篇に通奏低音のように流れるのが、横浜の南東部を流域とする大岡川という川の存在で、この川が思念したり語ったりすることから、大岡川を主人公に据えた掌篇集とも言えます。

12篇のうちの1篇をここに掲載します。ご高覧を賜りますなら幸いです。

法螺吹き女王

昼飯のあとは腹がふくれて河豚になり、水底へ降りて休むことにした。やがて目の前に、食いつかずにいられぬ何かが見えだし、何の考えもなしに食いついた。しまった一本釣りにかかったと思う間もなく、支離滅裂な思考ごと引き上げられ、見ていた夢は跡形もなく消えた。もはや何も思い出せない。

水を一口飲み、ベランダに出てタバコを喫う。ここは六階なので、下界よりも勢いよく空気が動く。煙は風と共に去りぬ。空を仰ぐと、口が裂けるほどの大あくびが立て続けに出た。顔面運動でほうれい線が消えてくれないものかと思う。

向かいに建つマンションの玄関口にタクシーが停まるのが見えた。滅多に車の通らない路地に侵入し、近隣住民の微睡みを破るのはどこのどいつだ。こっちはもう醒めたからいいけどよ。

向かいの玄関に、白いカーディガンを羽織った女性があらわれた。空の車椅子を押していた。

タクシーの運転手が車を半周してドアを開ける。なかから黒いロングドレスが出てこようとしている。何度も見かけたことのある婆さんだった。運転手は婆さんの頭に手をやり、薔薇のコサージュをあしらった大きな帽子が脱げないようにしてやった。婆さんがドレスの裾を踏んでけつまずくのを密かに願っているような顔で、足元の注意を促した。はっきり見てとれたわけではないが、そうに決まってるという気がした。

「どうもすみません遠くからすみません」とカーディガンの女性が運転手に謝り、婆さんを車椅子に座らせる。

「で、いくら? ですか?」と女性が聞く。

「高速代込み?」

「そうですね」

「帰りの高速代もかかりますけど?」

「かかりますよね」

「全部で八千五百円になりますけど」

「あ、それじゃこれで。お世話様でした本当に」

「お釣り持ってきますから今」

「おかあさん大丈夫なの? 気分は? 気持ち悪くない?」

女性は婆さんの実の娘のようで、婆さんのほうにかがみこんで尋ねている。運転手はまた車を半周し、さらに半周してお釣りとレシートを女性に手渡す。それから最後の半周を回って運転席に乗り込み、発進するとすぐに見えなくなった。車椅子の婆さんと娘もマンションの奥へ引っ込んだ。

女の徘徊老人とは珍しい。家族の知らないうちに遠くまで行ってしまって保護され、迎えに来られますかと電話がかかってきて困った家族が何とか頼み込みタクシーで送り返してもらったはいいが金がかかって仕方ない、とてもじゃないがやってられないというのは、爺さんの介護に手を焼く家庭から漏れる話だったはず。婆さんたちはそんな面倒をかけない代わりに、物盗られ幻想に駆られることがよくあるらしい。見境なく人を泥棒扱いし、自分は被害者だと信じ込んで騒ぎ立てるというから傍迷惑も甚だしい。

向かいの婆さんもその気があったようで、駅前の紅茶専門店で見かけたときは、ちなみにこのときも黒いドレスと帽子で着飾っていたが、ちょっと化粧室へ行っている間に杖がなくなった、さっきまで隣のテーブルにいた男が持っていったに違いないと若い店員に苦情をぶつけて困らせていた。それで年嵩の女性店長が出てきたのだった。

「お客様、何かお困りですか」

「黙って持ってった。どうしてくれるのよ」

「は?」

「持ってかれた、盗られちゃったって言ってるの」

「杖、ですか」

「あれがなくちゃあたくし歩けないでしょ」

「それは困りましたねえ」

「それともあなた車椅子持ってきてくれる?」

「車椅子、でございますか」

「うちにあるから一台」

「おうちにどなたかいらっしゃいますか」

「いますよ、娘と孫が二人」

「このお近くですか」

「近いでしょ、すぐそこだもん」

「電話をかけてみましょうか」

「孫はいない、塾があるから」

「娘さんは?」

「娘はいますよ、ひとり」

「それならよかった。とりあえずお電話して伺ってみますから」

「あの子に聞くの? 何聞くの?」

「ですからどんな杖なのか伺ってみませんと」

「さっき隣にいた男が怪しい、ぜったい怪しい」

店長は婆さんをなだめすかして電話番号を聞き出した。そして婆さんの娘に確かめると、今日は杖を持たずに出かけてしまったらしい、今気がついたとのことだったので、盗難については一件落着となった。しかしこの危なっかしいお客をひとりで帰していいものだろうかという懸念が残る。

「お客様、杖はご自宅にあるようですよ」

「なんで? なんでうちにあるの?」

「娘さんがそうおっしゃっていましたから。持って出るのをお忘れになったようですね」

「あら、持って出なかった?」

「おうちに戻られたらありますよ。お確かめになってください」

「困ったねえ」

「でもですね、おうちに戻られたら杖があることわかりますから」

「歩けないからねえ」

「杖がないと歩きにくいですか」

「膝が痛くて」

「先ほど化粧室へいらしたようですけど」

「化粧室?」

「歩いていらっしゃいましたよ」

「だから杖があれば」

「お客様、ですから杖はご自宅に」

「あたくし持って来なかった?」

「お客様、お水でもお持ちしましょうか」

「お紅茶もう一杯飲みたい」

「それですとお会計の料金追加になりますが」

「お金とるの? なんで?」

「店の商売ですから」

「じゃいらない」

「ただいまお水をお持ちしますね。それでお客様、おひとりでお帰りになれそうでしょうか。じゃなかったら娘さんに来ていただきますか。うちとしてはタクシー呼んでもいいですけど」

「すみませんねえ、いろいろ心配してもらって。ありがたいわねえ」

そこへ運ばれてきた水に婆さんは少しだけ口をつけると、「今度来たら冷たいのにしよう」とか何とかぶつぶつ言いながら布製ハンドバッグから財布を取り出し、アフタヌーンティーセットの代金を支払った。婆さんの意見は正しい。この店ではベルガモットの香り高いアールグレイのアイスティーが一番人気なのだ。

お釣りを受け取るときに婆さんは「店長さん、あなた店長なんでしょ、それじゃあ悪いけどやっぱり車を一台都合してもらえないかな。え?車椅子じゃなくて、今言ったタクシー。ついでに娘に、おかあさん今車に乗ったから下で待っててって伝えてやってちょうだい」と命じた。

その場にいた客の大半が聞き耳を立てていた。「あんたはいったいどういう了見でそんな我が儘を言うか」と婆さんの肩を揺すってやりたい思いにかられた客もいただろう。しかし店長はおとなしく従ってタクシーの手配をし、婆さんの娘にも電話を入れた。婆さんを車に乗せるまで、つきっきりだった。

それで婆さんは味をしめたのだろう。誰か車を呼んで乗せてくれる人がいれば無事家まで送り届けられる。そうか、この手でいけばいいのだ、と。ぼけ老人でも、それくらいの心得があっておかしくはない。殊に婆さんの場合は、黒いロングドレスと帽子で杖をついている姿が人目をひくから、町内を遠く離れても、なんとかなりそうだ。歩けなくなってぼんやり佇んでいるのを見れば、大丈夫ですか、何かお手伝いしましょうかと声をかける人がきっといる。婆さんに難癖つけられ盗った盗らないにならないかぎり、人はあれこれ心配して手助けをする。

特別扱いされるのがあまりに気持ちよいのでやみつきになった婆さんは、無益な妄想から抜け出し、徘徊するほうを選んだのではあるまいか。現に婆さんとはその後、蕎麦屋、あんみつ屋、駅ふたつ先のデパートでも遭遇したが、何か荷物をなくしたとか盗られたとか言って騒ぎを起こしているのは見たことがない。

認知症が進んでも、人はおそらく最後の最後まで、快感を求めて動く生き物なのだ。長生きするもしないも、快か不快かで決まる。

作者による解題

この作品をつくるにあたって念頭においたのは「穿ち」です。辞書にならって言うなら「穿ち」とは、江戸中期の戯作文学に見られる重要な表現法のひとつで、穿つというのは穴をあけて中を覗き見ること、もしくは現状を打ち破るべく突破口をあけることです。

外からは窺い知れない世相風俗や、人々が隠しておきたがる短所や欠陥を容赦なく抉り出し、あげつらい、こきおろし、笑いのめすこともまた穿ちです。

ひとしきり笑ったあとで、これは鏡に映った自分の顔でもあると気づき、また笑ってしまうという運びになれば、穿ちは成功したことになります。

元来、人間は不完全で滑稽でいかがわしい生きものなのだから、お互いにまずそのことを認め合おうじゃないか。傷つけ合わない限り、それぞれが好きなように生きたらよいではないか。とお気楽に構え、結局はすべてを肯定する鷹揚な心、つまりは明朗気質の何たるかを、穿ちの技法で追求してみました。

関連記事→超短篇小説「爺さんと世間」

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