クリエイティブ・ライティング

超短篇小説「もうひとつの横浜迷路」

投稿日:2022年9月25日 更新日:

Study and Actual Work of Creative Writing

クリエイティブ ライティングの探求と実作

先日、久しぶりに小説を書こうとしたのですが、「ストーリーを考えてもつまんないな〜要はイメージと文体だよな〜」と思っちゃったので、「クリエイティブ・ライティング」というものを勝手に研究し、同時進行で実作をしていきました。

その結果として、12篇の短い小説が誕生しました。

各篇に通奏低音のように流れるのが、横浜の南東部を流域とする大岡川という川の存在で、この川が思念したり語ったりすることから、大岡川を主人公に据えた掌篇集とも言えます。

12篇のうちの1篇をここに掲載します。ご高覧を賜りますなら幸いです。

もうひとつの横浜迷路

厳冬のある晩、橋の上から川面を眺める女がいた。踵の高い靴をはき、上背もあるので、かるく背伸びをしただけで腰のあたりに欄干がくる。そんな女が身を乗りだして川をのぞきこめば、まさに身投げ寸前の格好になる。

けれど女はそう簡単に落ちはしなかった。橋の欄干にもたれたり、しゃがんだり、また身を乗りだしたりを繰り返していた。ぐらぐら揺れるからだをもてあましているようだった。たまに奇声を発することもあった。酩酊、大酔どころか、正体をなくすほどの泥酔であった。

女の動きは次第に粗暴になり、欄干からぐいと大きく身を乗りだすことがあった。すると頭が川のほうへ引っ張られた。女は前のめりに転落していった。

そこへ偶然、男が通りかかったのだった。この男のほうもいくらか酒を飲んでいた。だが、思いもよらぬ椿事に突然出くわした衝撃で酔いも吹き飛んでしまった。男はあわてて周囲を見回した。間の悪いことに、人通りはまるでなかった。午前零時をまわっている。この時刻では船の交通も途絶えていた。

そのとき男は、もう長いこと放置されたままの小型船が一艘、すぐ先に浮かんでいることを思い出した。暗がりに目を凝らすと、日頃見慣れたいつもの川岸に、朽ち果てたボートがたしかにある。

「あそこまで泳げばいいのか」

そう、それぐらいなら何とかやれそうだった。男に勝算が立った。人が死ぬかもしれない、一刻をあらそうのだと思うと矢も楯もたまらず、男は女のあとを追って川へ飛び込んだ。

女は激しい水飛沫をあげて暴れていた。その動きが一瞬止まったのは、助けが来たことに気づいたからだった。女は男のほうに手を伸ばしてきた。男もその手をとってやろうとした。女の様子からすると、泳ぎはまったくだめというわけではなさそうだった。うまく誘導してやればボートまで泳ぎきることができるかもしれない。

ところがそうはいかなかった。女がしがみついてきたのである。男は女にのしかかられて水面下におしやられた。それで度を失ってしまった。男は女の手をふりはらった。女はいっそうしがみつこうとした。ふりはらう。しがみつく。男と女は絡みあい、もつれあい、あがくしかなかった。そうしてもがけばもがくほど、苔色をした暗い水底めがけて沈んでいく。

しかし沈むだけ沈んでしまうと、男はかえって冷静になった。水中で手探りして女を引き寄せ、力いっぱいに抱えこんだ。足は水を蹴りつけた。これはうまくいった。みるみる浮上し、水面に顔が出た。男は女の顎をつかみ、空を仰がせた。

「呼吸するんだ。力を抜け。しがみつくな」

男はそう命じながら、左腕で女を横抱きにした。そして右腕と脚力を使って水をかきわけた。女も今はもうじっとしていた。これなら、いくらか扱いやすい。

けれど男が水をひとかきするごとに女の重みが増していく。女は寒さと恐怖に支配され、全身硬直しているのだった。こんなものを抱えたまま、果たして泳ぎきることができるだろうか。ボートまで、あと何メートルあるだろう。すぐ目の前に見えているのに、なかなか距離が縮まない。思うように前へ進んでくれない。

苔色の濁り水が男の視界をふさいだ。鼻といわず口といわず、穴という穴から、この世のありとあらゆる混濁がからだに流れこんでくるようだった。やがて頭がぼんやりとしてきた。体力の消耗が激しい。男は何度となく力尽きかけ、もうだめかと思った。そのつど、女を放しそうになった。気配を読んだ女はいっそう力をこめてしがみつき、重く強くのしかかってくる。これに耐えながら泳ぎ続けるには、泣きたくなるほどの力が要った。

男は力の限りに泳いだ。長い時間をかけ、ようやくボートにたどり着いたが、そのときにはもう体中がしびれて何の感覚もおぼえなくなっていた。芯から力が抜けきったかと思われた。

それでもなお、やらねばならないことがあった。男は渾身の力を振り絞って船上によじのぼり、甲板からロープを探しだして川に投げ入れた。直後、再び水中に戻った。女のからだにロープを巻き、引きあげてやるためである。

女は歯を鳴らして震えていた。その胴まわりをロープで縛った。そしてまた男は苦心して甲板にのぼり、我ながら恐ろしくなるほどの底力をふるってロープを手繰った。女も必死にはいあがろうとしていた。歯を食いしばってロープを握りしめ、船体の脇腹に装着する係船用具を足がかりにしていた。

そんな女の姿を見て、男は思わず驚きの声をたてた。あれほど悪あがきしたにもかかわらず、足にハイヒールの靴が残っていたのである。

「なんて女だ」

男は怖気をふるった。だが、ここでひるんではいられない。男は手の平の皮がいたましくむけるのも厭わずに、力の限りに女を引きあげた。

次に男がとりかかったのは、女の着ているものを脱がせることだった。女のコートは水を含んでずっしりと重く、その下に着ていたジャケット、セーター、スカート、薄い下着類も、何もかもが水の重さだった。はぎ取るのにひどく手間がかかった。

「気をしっかり持て。今すぐ救急車を呼ぶ」

死人のように青ざめて横たわる女の耳元でそう怒鳴ると、女の白い喉がふるえて勢いよく水を吐き出した。このまま死んでなるものかと、からだがそうさせているのだった。

男は最後の力をあまさず絞りきる覚悟で、甲板にあった帆布らしき襤褸を広げ、おのれの身に巻きつけた。それが精一杯だった。男は、裸の女の上に覆い被さった。女はぴくりとも動かなかった。気絶したのだろう。次の瞬間、男も意識をなくした。

失神状態からもどったとき、あたりは白みかけていた。薄明のなか、ポンポン船の蒸気音がかすかに伝わってきた。男は声をかぎりに叫んで救助を求めた。間もなくレスキュー隊がやってきて、ふたりを救急医療の場へ運んでいった。

その後一週間ほどで体力が回復した。収容先の病院から警察に通報がいったらしく、調書作成に応じなければならなかったが、男女双方の供述に矛盾はなく、特に問題となるようなことはなかった。

以前と変わらぬ日常が戻った。

男は大岡川沿いに建つビルの一室にいた。会計事務の仕事を営むために数年前から借りている部屋だった。女の一件でしばらく営業を休んだものの、そのぶんの遅れはほどなく取り返していた。体調も悪くなかった。

ただひとつ困ったことに、あのとき助けた女が訪ねてきたのだった。女は、救急病院にかつぎこまれるなどして予定外の出費がかさみアパートの家賃を払えなくなった、しばらくここに泊めてもらいたい、仕事もなくて困っている、ぜひ雇ってくれとせがむのだった。

「ふざけるにもほどがある」

男はあきれはて、こういう輩は黙殺するしかない、と慎重に身構えた。断るにせよ、怒るにせよ、追い返すにせよ、何事かものを言えば、女はすかさず言葉尻をとらえて食い下がってくるに違いない。その執拗さと機を見るに敏なことは、あの晩の救出劇でいやというほど思い知らされた。男が体力の限界を痛感して手をゆるめかけると、女はたちまちそれを察知し、よりいっそうの力をこめてしがみついてきたではないか。そんなことができるのなら、なぜ自力で助かろうとしなかったのかと、いまだに腹立たしい思いがくすぶっている。

ただ男には、どうしてそういうことになったのか、おおよその察しはついているのだった。あのとき女は、身勝手にも一蓮托生を決めこんだのではなかろうか。あなたとわたしは死ぬも生きるも一緒だと言いたげに、うっとりと快感におぼれるまなざしが向けられるのを、男は疎ましく、いらだたしく感じていた。うつろでありながら、ねっとりとした視線だった。女がようやく自力を発揮してロープを握りしめ、般若の形相で甲板によじのぼったのも、今にして思えば、男に追いつきたい一心からであったように推測される。さらにいうなら、女が自ら水を吐いてみせたのも、男が生きるなら自分も生きる、なんとしてでも生き延びると、無意識のうちに誇示するためだったかもしれないではないか。だとしたら、なんというやっかいな女を助けてしまったことか。

「家賃が払えなくなりました。泊めてください」

「仕事がありません。雇ってください」

平気でそんなことが言えるのも、とてもまともな神経とは思えなかった。一蓮托生を夢みるのはいいかげんにしてもらいたい。それは勘違いというものだ、おまえはとんでもない誤解をしている、目を覚ませと、どやしつけてやりたかった。

だが女は見るからに切羽詰まっていた。もうどこへも行くところがない、わたしを見殺しにするなと、なりふりかまわず喰らいついてくる。その図太さ、ふてぶてしさ、狡猾さ、そして痛々しさを前にして、男は自然と言葉少なになっていくのだった。

男の寡黙。そこに一縷の望みが残されていることを感知した女は、さらに歩を進めて攻め込みにかかり、自分のような女をそばにおくといかに役立つか、いけしゃあしゃあと並べたてた。

「仕事を手伝うのはもちろんのこと、掃除、洗濯、炊事、なんでもやってあげます。二十四時間いつでも好きなように使ってもらっていいんです。だいじょうぶ、お給料なんか安いものですよ。それにあなた、まだお独りなんでしょう。さみしそうだから、相手になってあげます」

どう言われても聞き流す余裕が最初のうちはあった。だが同じことを二度、三度、五度、十度とやられると、さすがにもう黙っていられなくなった。「お帰りください」が、すぐに「帰れ、帰りやがれ」になった。力ずくで追い出しもした。それでも女は何時間でも廊下に粘っている。そして男の顔を見ればまた性懲りもなく、「泊めてください、雇ってください」と押し入ろうとする。

こんなことが許されていいのだろうか、と男は頭をかきむしった。もはや事務所を移転するしか打つ手はない。だがそれはあまりに面倒だった。警察に届けるのも外聞が悪い。となると、納得のいかないまま根負けするしかないのだろうか。

女は、男が弱りきって二進も三進もいかなくなったことを読み取った。隙を突いてさっと手荷物を運びこむと、まさに押しかけ女房のようなかたちで事務所に居着いてしまった。そして結局、見様見真似で会計の仕事を手伝いだしたのだった。

しかし、やらせてみると、女は意外にもよく働くのだった。目を瞠るほどの働き者で、しかも驚くほど有能だったといってよい。経験を積んだ者でも一日がかりになるはずの面倒な計算を、初手から時間内にこなしてしまったのである。

「だから言ったでしょう。わたしを雇って得をするのはあなたのほうですよ」

と女は薄笑いをした。そのうえ女は疲れ知らずであった。人あしらいもうまいため、取引先の接待に重宝した。通常の業務を終えたあと、顧客のご機嫌をとりながら飲み食い歌につきあうということを連夜のごとくやらせても、いっこうに根をあげなかったのである。夜どれほど遅くなろうとも、翌朝はけろりとした顔で、いつもどおりに仕事をはじめていた。日中、雇い主の目を盗んで寝ているということもなかった。そして仕事の退けどきになればまた、率先して接待に繰り出すというふうだった。

これには男も知らず知らず感化されていった。

「いまどき願ってもない拾いものだったかな」

泥酔して川へ転落という奇矯な行動についても、いつしかこう考えなおすようになっていた。

「あんなことがあったあとにしては、立ち直りが早すぎる。ということはだ、あいつにしてみれば、あの晩は勢いあまってついやりすぎてしまった、となるのかもしれない」

実は、といって女自身が打ち明けてくることもあった。

「酔って喧嘩をしたり店の看板を壊したり、人騒がせな前科というか武勇伝というか、そういうものならいくつもあるんです。べつに恥とは思っていませんよ。女も暴れるときは暴れます。なにかと生きにくい世の中ですからね。でもさすがにあのときは、とうとうここまでやってしまったかと、我ながら苦笑しました」

苦笑いですむこととは思えなかったが、ともかくも、「失意の末に投身を謀った女、それでも死にきれなかった女」と悪しき烙印を捺したくなる気持は日毎に薄れていった。強引、執拗、恥知らず、と三拍子そろった鉄面皮ではあるけれど、そしていつ何をしでかすかわからない粗暴な女ではあるけれど、そんな並外れた怪女がいてもいいじゃないかと、みとめる心情にさえなってくるのだから妙なものだった。

妙なら妙なりに、いつしか馴染む。それでも男は、一度確かめておかずにはいられなかった。

「あのころ君は、誰かに惚れていたんじゃないのか。そいつにこっぴどくふられて、いっそ死んでしまおうとしたのでは」

訊かれた女は一瞬、眉をしかめた。だがすぐに態勢をたてなおし、こんな話題に似つかわしくない晴れ晴れとした笑みをうかべて、こうこたえるのだった。

「そういえば、そんなこともあったような気がしますね。でも川の水をいやというほど呑んだせいか、なんだか憑き物が落ちるみたいに惚れ病いは消えちゃいました。あれは苦い恋によく効く薬です」

作者による解題

都市名を都市コードで表すと、たとえば東京ならTYOとなります。空港コードというものもあり、たとえば成田国際空港はNRT、東京国際空港(羽田空港)はHNDです。横浜には空港がないので空港コードを持ちませんが、港湾コードや都市コードならありそうで、あるとすればおそらくYHMでしょう。

横浜、横濱、よこはま、ヨコハマ、YOKOHAMA、のほかに「YHM」と新たな字面を加えると、景色がちょっと違って見えます。街を歩いているとき、地図を思い浮かべるときも、その地形が何やら暗号でも秘めているような気がしてくるのです。

横浜港に接する埋立地エリアは地図上に整然と直線を描いていますが、そこから少し街なかへ入った一帯は、大岡川・中村川・堀川の水脈と共に大中小さまざまの道が入り組んで、さながら迷路のようです。いや、迷路と言っては大袈裟ですが、初めて訪れた人が目的地へ難なく辿り着く造りでないことはたしかです。

そんなハマの大路小路や細路地、坂道を、長年にわたって行き来するうちに、文でスケッチをしてみたくなりました。見たまま聞いたままに写生するのではなく、平穏な街の景色を不穏に描き、すれ違う人々を訳あり男女に見立てて書いたら面白いだろうと思ったのです。

関連記事→超短篇小説「東の海に沈む夕陽」

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