クリエイティブ・ライティング

超短篇小説「ユーフォリア」

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Study and Actual Work of Creative Writing

クリエイティブ ライティングの探求と実作

先日、久しぶりに小説を書こうとしたのですが、「ストーリーを考えてもつまんないな〜要はイメージと文体だよな〜」と思っちゃったので、「クリエイティブ・ライティング」というものを勝手に研究し、同時進行で実作をしていきました。

その結果として、12篇の短い小説が誕生しました。

各篇に通奏低音のように流れるのが、横浜の南東部を流域とする大岡川という川の存在で、この川が思念したり語ったりすることから、大岡川を主人公に据えた掌篇集とも言えます。

12篇のうちの1篇をここに掲載します。ご高覧を賜りますなら幸いです。

ユーフォリア

午後四時をまわっても、空はまだじゅうぶんに明るい水色。羽毛のようにふくらんだ純白の雲が群れをなしてたなびいている。雲の移ろいを眺める贅沢。心地よい物憂さ。そこはかとない恍惚。わけもなく幸せな気持ちがわいてくる。

通りに面した、硝子張りのカフェテラス。見ると、オレンジ色のリキュールを傍らに、ひとり静かに本を読む女性。美貌に翳り。翳りの兆し。それでも人の目を奪わずにはおかない。品があり、きっと学があり、さらに情があり、たぶん金もあり、華のある女。そんな印象。年齢を重ねて、ほどよく成熟した人物。威厳と風格。近寄りがたいというわけではない。ゆきずりの相手にも親しみを示す人のよさ。にじみ出ている。ほがらかさ、くつろぎも。

しばらくして、西の空で色が変わりだす。厚みをもった白雲が底のほうから、見る間に薔薇色に染まる。雲は刻一刻と色を増す。薔薇色の輝きに橙や紫の濃淡が入り混じる。このまま燃え上がるのではないかと危ぶまれるほどの豪奢な光輝。人々は足を止め、舗道や橋の上など思い思いの場所に佇んで、しばし見とれる。

美しすぎる薄暮。夕映えの祝祭。歓喜のひととき。幸せがあふれだす。やがて地上に薄墨色が迫り、あたりは急にすとんと落ちたように暗くなる。軒先に客を集めて賑わっていた花売りの屋台、色とりどりの果物を並べた店にも、誰も寄りつかなくなる。一軒、また一軒と店仕舞いをして路上から消える。日没を合図に、街は昼の顔から夜の顔へと生まれ変わる。

灯りが夜をつくる。橙色の光を放つ街灯が点々とともる。大通りの瀟洒なブティックやレストランから路地裏の一杯飲み屋に至るまで、そして通りの向こうの家々やアパートの窓にも灯りがつく。

カフェに男があらわれる。七十前後とおぼしき銀髪。男は何のためらいもなく女の前に座る。そして女の手をいかにも大切そうに握って顔をほころばせる。女はちっとも嫌がらず、それどころか、男が今こうして目の前にいるだけで嬉しいのだといわんばかりに目を潤ませる。女はときどき、男のほうにそっと手を伸ばしては、額にかかる髪をかきあげてやったり、目尻の皺に触れたりする。男は、女のしたいようにさせている。女にはそのことがまた嬉しくてたまらないらしく、とうとう人目もはばからず男の首ったまにかじりついてしまう。女はむさぼるように男の匂いを吸い込み、陶然とした目つきで言う。

「気のすむまでやらせて。わたしがもう飽きたと言うまで、好きにさせて」

男はよけいなことは一切口にせず、気前よく自分を明け渡す。女に身をあずけ、やりたいようにやらせてやり、ますます夢中になってしがみつく女の背をそっと撫でながら、あやしている。傍目にも甘美な抱擁。女は幸せではちきれそう。官能の夢想に溺れかかっているようにも見える。夢心地の錯乱と狂乱。

そのあとふたりはカフェを出て、川のほうへ歩いていく。川沿いの桜は今まさに満開で、春爛漫というよりもむしろ爛熟。熟しきって崩れる寸前。あと一歩で頽廃。妖しいまでにしっとりとして、胸苦しい眺め。夜桜散策は恋心と官能をくすぐる。たとえ愛人を伴わずとも。

ふたりは手をつなぎ、川の上流へ向かって歩く。女の寝室はおそらく、飴色の光で満たされている。エミール・ガレのアンティークランプ。ブラウンにイエローが溶け込むまろやかな色合いの曇り硝子。花や草木や昆虫の図柄が浮き彫りにされ、そこだけ小豆色に染められている。女の寝台にはシルクサテンのシーツ。蜂蜜と同じくらい艶やかな光沢。そしてベッドサイドのナイトテーブルにはシャンパンとコニャック、チョコレートとオレンジ。女は真裸に真珠の長いネックレスだけをつけ、残忍にも栗色の獣の毛皮をまとう。女の白い乳房は脂肪の塊。男の紅紫の陰茎は血の塊。女の陰核もずっしりと充血している。目に強欲な光が宿る。生殖とは無縁の純粋なアムール。小さな死に近づく残酷な情事。女は場末の踊り娘のような動きを見せて寝台に横たわる。夜の饗宴がはじまる。女も男も無茶な欲望と野望の炸裂に没頭する。音楽をかけていても、もはや何も聞こえない。ただ快楽のなかに失墜していく。男は好きな女の皮膚の下にもぐりこみ、女になりかわる。女は好きな男の皮膚の下にもぐりこみ、男になりかわる。今夜はどんなこともできるのだと、ふたりは思っている。

ある橋のたもとで、ふたりは立ち止まった。それから橋の中央まで歩を進め、欄干にもたれて川面を覗き込んだ。川岸に並ぶ桜の老木はどれもみな、川に覆い被さるように、水面近くまで枝を伸ばしている。

「こんなふうになっちゃうのは何故だと思う?」女が男に訊いた。

「木が水分を欲しがって、水面すれすれまで寄っていっちゃうんだろうなあ」男は自信なさそうに言う。

「ううん、そうじゃないの。川の水は太陽光を反射してキラキラ光るでしょ。それをお日様だと勘違いして枝がせり出していっちゃうんですって」

男は大きくうなずき、「さ、あとちょっと」と声をかけ、再び女の手をとった。ふたりが辿り着こうとしている場所は、そう遠くはないようだった。

作者による解題

ユーフォリア(Euforia)とはイタリア語で、「幸福感」や「陶酔感」を意味する言葉です。「多幸感」と訳されることもあり、そうなると意味は微妙に変化して「過度の幸福感」となり、これは主に薬学の分野で用いられることが多いようです。

しかし薬物など使用せずとも、多幸感が得られることもあります。滅多にないことですが、「ああ、いいなあ。たまんないなあ。しびれちゃう」と身もだえしたくなるような、あの感覚をご存じの方は多いでしょう。

作者の場合はどんなとき、どんなことに強い幸福感と熱狂的陶酔があり、耽溺しやすいだろうかと想像しながら列挙し、そうしたイメージの数々が一連なりの流れとなるよう綴りました。

これをやってみてわかったのは、美しい夕陽や好みの異性を前に陶然となったり感嘆に耽ったりする快感とは別に、その情景を言葉で表現することに没頭すると、時を忘れる愉悦がある、ということです。

利点はほかにもあります。ユーフォリアを集めて言葉の標本箱に閉じ込めておけば、いつでも好きなときに取り出して眺めることができるのです。どちらかというと少女趣味で、自己愛の強い人間がやりそうなことですが、ものを書くことの喜びというのは、案外こんなところにあるのではないでしょうか。

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以上が、作者自身による解題です。

さまざまな文学技法を思いつくかぎり模倣するなかで、作者はクリエイティブライティング探求の快感をむさぼりました。読者にとっても「むさぼるように読んでしまう魅惑のテキスト」となっているかどうか。これはもう、そうであってほしいと祈るばかりです。

関連記事→終わりなき推敲──目指せ珠玉の一篇

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