【デートノート⑥ 2011.11.11〜11.13 46時間】
(T子記す)
三田文学編集長と面談の後、すぐにKに電話。
まだ学校にいる、と伝えた。
メモを見ながらいろいろ話したい、相談したい、私今日は帰るから3、4時間、渋谷で会おう、ということになった。
渋谷駅周辺の居酒屋で飲みながら話す。
話題はもちろん、ドブ板トランジット三田文学掲載にあたっての修正について。
編集長にどう提言されたか、私はどう応えるべきかという問題について。
その詳細は複雑なので、ここに書くことは省略。
☆☆
Kは元気がない。
精彩に欠けるという印象。
横須賀から世田谷に戻ってのこの約2ヶ月間にずいぶん弱ってしまった感じ。酒とストレス、家にいられらずに遅くまで外にいることが原因なのだろう。
☆☆
もう1軒行こうということになり、電車を乗り継ぎ、下高井戸へ。
下高井戸と明大前はK宅の最寄り駅。
車中で。
この電車は女房も使っている、いるかもしれない、とK。
そしたら私、いつも仕事でお世話になっている者ですと挨拶する。
出て行けと言われた、末娘の大学進学が決まり、金融公庫融資の手続きも済んだ、もう用なし、というわけ。
私が奥さんの友達だったらこう言う、ほんとに別れるのは大変だよ、何年もあと引くよ、別れてやっていけるのか、家賃の安いマンションに引っ越すしかないよ、と。
☆☆
下高井戸商店街、K行きつけの店で飲む。
常連さんとも話し、気に入られる。
「T子、おまえよっ」とKは大きな声で言い、自分の女だとアピールする一瞬があった。
さらにもう1軒、近場の音楽バーへ行き、カウンターで飲む。
☆☆
私は電車で帰るために、タクシーで自由が丘まで行こうとした。
その直前にKがちらりと言った、「渋谷あたりで遊ぶか」と。
タクシーのドアが閉まる寸前に私がその台詞を繰り返したので、Kすかさず車に乗ってきた。
で、円山町のラブホテルへ。
☆☆
チェックイン。
Kは体調すぐれず、それでもいろいろ話をして、私がマルクス社会主義の歴史的必然について言及したので、その話題がしばらく続いた。
夜中にルームサービスでカレーをとった。
それを食べながら、テレビを観ながらの会話。
高校に入ったとき、バトン部に入部しないかと声をかけてきたのは○○さんだった、その集まりで連れていかれたのが追浜駅前の喫茶店、2階だった、そこで私ははじめてあなたに会った、私の前にあなたが座った、面倒くさそうな人だなと思ったが、なぜか気になった。
(この話を熱心に聞くK。そりゃそうだろう、お互いに一目惚れだったと確認できたわけだから)
その数日後、あなたは私の教室に来て手招きした。
俺、「一発やらせろ」と言わなかった?
そんなことは言わない、部活の集まりがあるから来いということだった、それからしばらくして電話がかかってくるようになった、そのころ私はつきあっている人がいたけど、あんたのほうへ行きたかった、でも当時の男が行かせてくれなかった、そして高校2年の6月北海道修学旅行、戻ってきたらもう男とつきあいきれなくなった、もうやだ、と伝えた。
急に大人になっちゃったんだな、とK。
(高校1年と2年の前半、この1年半は、Kと私はしょっちゅう電話で話していたけど、本格的につきあっていたわけじゃないのね。キスはしたけど)
(高校2年の夏休み、逗子で一緒に過ごしてから、私はKの恋人になった。「そうなるまでに随分がんばった」とKは言っていた)

Kはいよいよ家庭破綻、別れ話になっている件をむしかえす。
それを私に伝えるのは、なぜ?
年末年始に郵便局でのバイトが決まっている件も聞く。
そのことは奥さんも知っているはずのなのに、それでも出ていけというのはなぜなのだ。
なんでだか知らねえよ、とKは言うが。
私としては、こう応えるしかない。本当に別れられるのだろうか、かなり大変なことなのよ、今の私の力では面倒みきれない、だから奥さんには悪いが、できるだけ居座ってほしい、どうしても家にいられなくなったら私のアパートの隣室を借りて住めばいい、家賃安い、リフォーム済みできれい、エアコンと冷蔵庫がついている、洗濯機は私のを使えばいい。
この提案に対するKの反応は、「ま、そうなったときに考えよう」ということで、あまり乗り気ではないみたい。
ではどうだったら良いというのか。
来春、私が群像新人賞を獲って作家デビューし、忙しくなる、売れる、ふたり力を合わせて書いていく、Kも自分の作品を書く、それがベストであると私は思っているし、Kもそこに一縷の望みを繋いでいるから、私は「きっとそうなるはずだ」と、つい力説してしまう。
☆☆
ボディタッチはいつも私がやってあげている全身マッサージのみで、セ○クスはなし。
それでいい。
一緒にいられれば嬉しいのだから、ただ並んで眠った。

翌朝、Kが言う。
東京で乗っていない電車は1つだけ、東武鉄道、箱根の登山電車みたいなもの、それに乗って紅葉を見に行きたい。
私は同業の女の人たちとイスラエルの女の子を2人連れて川治温泉へ行ったことがある、あなたひとりで行きたい?
一緒に行きたいね、とK。
(素直に即答した。私うれしい)。
だけど、一緒じゃないとお金ないからでしょ。
☆☆
歩くときは腕を組む。
これだけで、全身つながっていることを実感。
いろいろ大変な時ではあるが、ふたりとも気分は悪くない。
ただし、以前ほど心がときめかない、恋心が燃えない。
そういう時期はもう過ぎたのか。
お互いの思いを確認できているからこれでいいのかもしれないが、2ヶ月ぶりに会ったのに会話が弾まない、盛り上がらない。
毎日のように連絡とりあっているから、しんみりしっとりした感じ。
楽ではあるが、ハレではなくケの感覚。
やはり現実が重いのだ。
☆☆
渋谷から銀座線で浅草へ。
浅草から東武鉄道で鬼怒川へ。
鬼怒川からバスで日光へ。
日光から日光鉄道で宇都宮へ。
私は初めて訪れる場所ばかり。
そういうところを引っ張り回しているんだもん、とK。
私は初の景色を目にしながら、漫然と小説のことを考えている、考えることで熟成が進むに違いない、このほうがいい、飲みながら話しても埒があかないのだから。
☆☆
宇都宮ホテルチェックイン。
仙台に似た感じの街。
屋台街を散策。
ホテル隣の中国料理店で食事。
☆☆
私は飲むと食べられないのでお茶にした。
私は家族4人で撮った写真を見せた。このとき弟はまだ大学生、私は30歳ぐらい、両親は今の私たちくらいの年齢だった。
Kはじっと長いこと、写真を見つめていた。
そして、「うちの家族写真かと思った」と言うのでびっくり。
うちの父とあいつのお父さんが似て見えるなんて!
うちの母とアメリカへ渡った叔母さんが似ているのは知っていたけど。
☆☆
ホテル部屋で横になり、楽に過ごす。
マッサージをしてあげた。
これが効いて、Kはトイレへ。
それでだいぶ楽になったらしい。
☆☆
セ○クスはしなくていい、それほど熱い気分じゃない、一緒にいるだけでいい。
☆☆
話題はもっぱら、Kの体調不良のこと、ひいては『沈香も焚かず屁もひらず』に及ぶ。
過敏性腸症候群と呼ばれる心因性の「疾患」もある。
自律神経系のアンバランスな状態が引き起こす。それは現代病ともいわれる疾患である。
腸に特に器質的な病変がないにもかかわらず、下痢や便秘を繰りかえし、腹痛や腹部膨満感が起こったりする。
ストレスなどの刺激に、腸管が過剰に反応して症状が出る。
過敏性腸症候群は「脳腸相関」による病態といえる。
これまで、「過敏性腸症候群に腸の炎症はない」とされてきた。
しかしKの場合は、実際には炎症が起こっているのではないか。
腸壁に便がふれている間は腹痛があるが、排便後はおさまる。
☆☆
Kは頻繁にトイレ。
下痢ではないと言うし、もう何年もこういう状態が続いていると言うが、私の知る限り、症状はひどくなっている。
酒、煙草、仕事・金・家庭問題のストレス、消化吸収力の低下のせいで太れない。
食欲減退もあり、痩せてしまった。
改善すべきこと多数。
もう長くない、死んじゃうだろう。
もっと生きてよ、これからなんだから。
☆☆
群像新人賞の賞金50万円で旅行しよう、ひとり25万の予算でね、私が行ったことのないところがいい。
うん。
東南アジアでは韓国・香港・台湾以外のところ。
バリ。
そう、バリがいい、パリとバリは絵画を通じてダイレクトにつながっていた時期がある。
ウブド。
そう、ウブドに行きたい、ケチャも見たい、もう30年前に仕入れた情報だけど。今もそう変わっていないはず。
(この旅行の話に、Kは喜んでのってきてくれた)

翌朝、宇都宮から品川へ。
グリーン車で、約2時間。
あまり話さずに、静かに過ごす。
俺は景色を見ているだけで考えが広がる。
私は外国でなら地図も交通路線図も熱心に見るけど、日本ではやらない、美しくないから。
☆☆
あんたも慶應の夏期スクーリングに、もぐり学生になって聴講すればいい、人文地理学がいい、そのての本を読みたがる女性は多いから、そういうの書いてよ。
書ければな。
鎌倉近辺に実朝の子孫が大勢いるはず、という発想も面白い。
あれは人文地理学というよりも文学、妄想。
☆☆
おまえ、好き嫌いでものを言うな、評価するしないも言わなくていい、自分が評価される側にまわると覚悟決めたんだろ、文学として残る作品を書かなければ意味がない。
古典として残るのは、研究者がいるから、と私。
違う、絶対性があるからだ、とK。
書いたものを高く評価されれば誇らしいが、それよりも、文章とその作品世界を愛されたい。
おまえは言葉を変えて同じことを何度も言う、女房もいつも同じことばかり言うから話にならない。
☆☆
私はこのあと、品川で取材がある。
それまでの2時間半、Kがつきあってくれる。
さらに私の仕事が終わるまで待つようなことを言われたが、私は今日はもう帰ると伝えた。
☆☆
居酒屋風の店で、朝昼兼用の食事。
Kはここでも1合飲む。
が、飲みきれない。
酒は手酌で、新聞数紙を読みながら、あまり話もせずに食事をつまむ男。
くつろいでいる。
だから女も楽にしていた。
☆☆
駅前にある喫煙スペースのベンチで時間をつぶす。
このときが今回のデートのハイライトか。
いきいきとした会話がよみがえり、コミュニケーション充実、双方の事情を確認しあうことができた。
今回Kが話したかったのは、このことなのかもしれない。
すなわち。
出て行けと言われた。(だからおまえと、と言外に滲ませている)
女がいなくても生きていけるけど、私がいるとずいぶん違うでしょ。
うん(即答)。
私もあんたがいるといないでは大きく違う。
(お互いに、このひとしかいない。このひとが一番なのである)

携帯電話の支払いをしないと明日止められる、おまえ、あと1万くれるか、と言われ、うん、と即答。
電話代いくらなの?
8千円。
それじゃ2千円しか残らない。
本を買ったら終わりだ。
だったらあと1万ね、と追加で渡した。
電話代高いね、メールのせい?
それは千円くらいで済んでる、通話が高い。
私にはあまりかかってこないけど。
俺ほかにいないもん、おまえにかけるのは、たまだけど1時間くらい話すから。
☆☆
このまえ家に帰ってから、一言も口をきいていない、用事があればメモ。
仲が悪い夫婦の例はいろいろ見聞きしたが、お宅は最悪、ゼロのうちよりもひどい。
子供の学資に金融公庫から200万借りても、半分は生活費に回っちゃう。
どこのうちもそうだよ。
だけど奥さん、本気で別れるつもりだとは思えない、拗ねてるだけじゃないのかな、男が働かず、もう何年も口もきかない、セ○クスもしてくれない、これは地獄でしょ、だけど好きで一緒になったのだから手放さないでしょう。
そんなことはない。
女房は俺のこと大好きだからって、あんた言っていた。
そんなこと言わない、あいつは俺のこと大っ嫌い。
言ったよ、女房は将来ボケそうだけど、そうしたら悪い思い出は全部忘れてニコニコしてるだろうって。
それは言った。
本当に別れる気なら、あんたは離婚届を預けてあるのだから、奥さんも捺印して役所に出すでしょ、もう夫ではないのだから出ていってくださいと言うでしょう。
俺にまだ映画の仕事が入るんじゃないかと思っている。
そんな、ひどい。
また仕事が入るなんて幻想だ、ということがわかっていない。
奥さんは、あんたを追い出してやっていけるのかしら。
家賃の安いとこに引っ越すってさ。
当然だよね、それで娘さんたちもアルバイトして家にお金入れれば、やっていけるか。
娘たちは自分の奨学金を返していかないといけない。
☆☆
もう長くない、そんなに生きたくない。
いつもそう言って、女を心配させて、脅かしている、だめよ。
☆☆
とりあえず横須賀の実家に戻れないのかしら。
無理だ、妹とも決裂した。
だけどお母さんは「いてもいい」って言ってくれたんでしょ。
いや、無理だ。
年末年始はお母さんのところに行ってあげないの?
だから郵便局のバイトだってば。
あ、そうか。
☆☆
あんたにこのまえ会ったのは中華街で、あのときはまだ元気だった、そのまえの汐入の中華料理屋ではよく飲んだし、語る語る、それがこんなになってしまった。
あんたが横須賀から東京に帰ったのはいつだったか。
9月25日。
(違う。それはあなたが私に、結婚しようか、とメールを寄こした日。帰ったのは本当は20日。わかっていて、わざと間違えている?)
☆☆
体の具合が悪くて起き上がれないのに、家族は心配してくれなかったの?
誰も、全然。
ふてくさって寝ているんだろうと?
そうそう!
可哀想に。
☆☆
奥さんは一言も口をきかないのか、私は機嫌悪くなって黙ってしまっても、2週間と続かない、いつしか元に戻っている、だから相手はひたすら耐えて、私の機嫌が直るのを待っていた。
そんな相手、つまり元つれあいは、大学在学中から東京新聞に勤めていた、辞めさせなければよかったか、でも給料を全部使ってしまって、一度も家に入れたことがなかったから。
☆☆
私の貯金、この1年で200万ほど目減りした、稼ぎが足りないせいだね、私の資金が底をついたらあんたも困るでしょ、共倒れになる、だから貸したくても貸せない。
それに私、弟にカードローン精算させるために約100万貸している、数ヶ月前は弟が事故にあってずいぶん心配させられた、無事でよかった、保険が3桁の額おりた、それでも私に返済されない、子ども育てているから仕方ない。
弟は契約社員になれてよかった、中途採用なのに月40万の給料、これは助かる、だが人間関係がむずかしいと悩んでいる、だから私が作家になって秘書として雇いたい。
秘書として働いてもらう弟に40万、私が40万、そしてあなたにはコンサルタント料として20万、それが私の願望だよ、あんたも月20万あればやっていけるでしょ、楽勝だよね、私もそうなりたいぐらいだよ、贅沢しなければやっていける、書いていける、足りない分は自分でなんとかしてよ、私の相談役のほかに自由に仕事をして稼いでいい、書いたものを売っていけばいい。
だけどそうなれるとは限らない、だから校正の資格をとって、保険をかけるのが賢明、私自身もそうしようと思っている、あるいは、人材派遣のオフィスに登録するのもいい、短期長期の派遣、外注扱いで在宅ワーク、いろいろある。
(この提案に、Kはちょっとその気になってくれたか。しかし)
それより、おまえ群像獲るんだろ?とKは言う。
獲るよ、百歩譲って、獲れなくても編集部から電話がかかる、きっとそうなる、三田文学もそうだった、会ってもいないし原稿送っただけなのに、私のこの才能を捨て置くことはできないのだ。
おまえはいいなあ、そういう才能があって。
私の才能に嫉妬してるの?
K笑、そこまで気楽に考えられる才能がうらやましい、と。
Kと私と弟、この3人に必要な月100万を印税で、ということは月1000万の売上げがあればいい、1冊千円として、月1万部か、売れるでしょ。
K笑。
「愛されてお金○ちになる」シリーズ3部作は100万部に届く勢いだった、だから大丈夫、あとは講演に出かけて稼いでもいい。
☆☆
出版の企画書ってどう書くの?とKが問う。
企画書なんか要らないかも、ずばり原稿があれば充分。
(Kは文筆業に移行したがっている。ともかく1冊、出したがっている)
エロ関連の本なら、○○企画を紹介する、すごく仲のいい友達のダンナが編集長で経営側の人となっている。
映像関係の知り合いが何人も、名前を替えて書いている会社だと思う、とK。
☆☆
新人賞は一度しか獲れないだろ?とK。
何度でも可、三田文学出身の先輩が連続して3つの賞を獲得し、各社から小説出している、ライトノベル風になってしまっているが。
☆☆
私は群像と小説すばる、両方の新人賞を獲る、コミックとライトノベルが屋台骨を支えている出版社でなければ純文学を養ってくれない、だから講談社と集英社。
☆☆
私が読みたい小説はもう売れない、絶版ばかり、開高健ですら絶版になったものがある、倉橋由美子の一連の短篇、あれこそトランス・ロマネスク、倉橋と大江健三郎はデビューが同時期、ふたりとも大学新聞の懸賞小説から出発、それがかたや生前から絶版、かたやノーベル賞。
倉橋由美子のダンナは、映像プロデューサーだろ、数日前に詐欺で訴えられた、取材費と偽って300万もらっていたらしい、厳しいご時世だなあ、とK。
☆☆
Kは10年前に一度破綻している、自己破産。
デフォルトって、やっぱり自己破産のことだったのね。
あのころは車持っていたし、車庫だけで3万5千円、無理してそんな生活続けていれば破綻するよな。
わかるよ、あの時代のこと、どんなだったか。
生活費のほかに、借金も返していかないといけない、今は石○監督に200万、おまえに60万か、そのうち100万になっちゃいそうだけど。
勝手に決めないでよ。
あとは年金と健康保険の滞納が30万ずつ。
それぐらいなら返していけるでしょう、もっとあちこちに多くの借金があるかと思った。
☆☆
うちで一緒にというのは狭苦しくて無理、ふたりともつらくなる、だから隣室に、といっても私が面倒みるわけじゃない。
☆☆
あなた一人暮らしをしたことあるの?
半分。
一人はいいよお、気楽で快適。
俺は和室4畳半でいい、こたつで書いて寝て。
うちのアパートはフローリング。
俺一人になれば仕事もやる気が起きる(とKは明るい笑顔)、今は居場所がないからできない、やる気にならない。
ストレスの最大原因は家族から受ける圧迫でしょ。
それよりも、働かないこと、金がないこと。
(↑この言葉を信じて、見守るしかない)

(T子記す)
去年の今頃、Kはそれほど私にご執心じゃなかった。
私はまだ小説を書いていなかった。
その後、年が明けて私は書きだし、作家になる可能性が高まった。
だからKは私との距離を縮めたのだろう。
私の生活力、経済力のほかに、文筆業の窓口になってやれるのが私なのだ。
そういう理由で私に決めた、ということであってもいいが。
↑来春、群像新人賞受賞できるかどうかを見届けてから行動を起こしたほうがいい。
☆☆
Kも昔から私を好きだったことに変わりはない。
去年の初冬、そして今年の夏と、デートをして、一気に心身ともに強く結ばれたという実感がある。
せっかくまた仲良くなれたのだし、結婚しようかと言ってくれたのだから、このままずっと交際を続けたい。
問題があるからといって、縁を切れる相手じゃない。
生涯の恋人なのだ。
良いときも悪いときも、ともに助け合い、力を合わせて乗り越える。
そして、もっともっと良い思いをしたい。
待つことも大事。
Kのほうから動いてくれるのを待つ。
私がお膳立てをしてはいけない。
きちんと段階を経ていかなければならない。
郵便局の仕事を終えて、来年早々に変化を起こすのもありかと思ったが、やはり来春の新人賞決定まで待つべきだろう。
来年4月、Kは針のむしろの家を出て、別居する。
離婚が成立するまでの間、Kは私の隣人となり、私の隣室で仕事をする、書く。
経済状態を好転させ、ふたり引っ越し。
だけど同居はちょっとつらいかな。
お互いにプライベート空間が要る。
新人賞の賞金で海外旅行というのは薔薇色の夢。
結婚はどうするかな。
入籍するには覚悟が要る。
「何も問題もない、結婚しよう」と笑って言えるようになりたい。
一緒になりたい、一緒にやっていきたい。
みんなにも認めてもらいたい、ふたり一組で正々堂々と世間を渡っていきたい。