【デートノート⑦ 2011.12.3〜12.4 24時間の逢瀬】
(T子記す)
改札前で私を待つKを見て、別人のように思えた。
また痩せた、やつれた、精気がない、落ちぶれてる、なんとかしろよ、せっかくの色男が台無しじゃん。
☆☆
歩いて野毛へ向かう。
Kは元次郎のシャンソンの店を確かめたがるが、店の主が死に、店ももうないはず。
☆☆
大岡川沿いを散策。
パリのサンマルタン運河に似ているよ、と私。
Kからは、阿部薫を偲んで六郷土手へ行った件の報告。
☆☆
吉田橋から福富町方面へ、コリアン系の飲食店が立ち並ぶ裏道を通る。
俺80年代に戻ってる、MOVE誌をやってた頃の感覚だ、とK。
30年も若返ったじゃん、と私。
というか、まったく同じことやってる。
進歩がない?
☆☆
吉田町、ギャラリーで森○美の写真展をやっていたので、入ってみる。
ボージョレ・ヌーボーをごちそうになり、3人で歓談。
腰を据えてしまった。
平岡正明、山崎洋子、小○光政さんは小○紙工の専務で昔は闇屋のみっちゃん、森○出夫、ダディ渡○、ハッスル○島さんなど共通の知り合いの名が出て、森○美氏とは初対面なのに親しく会話。
Kは私とのことを、自分と同じ追浜高校を卒業して、彼女は橫浜で30年いろいろやって、今は書く仕事、と言った。
私はKについて、映画のプロデューサーで三浦市の仕事も企画した件などを話に出す。
☆☆
野毛大道芸は混迷か。
平岡さんという求心力を失ったせいだろう。
彼は挑発的でアジテーションの天才で、理論武装して集団をまとめるにあたって欠かせない重要な存在。
喧嘩も強かった。
税務署跡地利用の件で「劇場をつくろう」の会議を風呂屋でやったときも、反対派の人と言葉でやりあった、うまかった。
「プロだぞ、論争の」とK。
反対する奴がいればしめたもの、かえってまとまりが強まる、と平岡さんは言っていた。
☆☆
写真展の会場を出た。
あの写真家うるせえ、とK。
言うと思った、だけどあんたおとなしくしてたじゃん、と私。
俺も本牧ジャズ祭の実行委員やらないかとひっぱられたことがある、80年、な、でも俺めんどくさくて。
わかるよ。
(そのときKが橫浜進出、というか横須賀ではなく橫浜に深く関わるようになっていたら、私たちどうなっていただろう。たぶん、現在のあり方にはつながっていないだろうな。だからやはり、この30年にあったことのすべてはこれでよかったのだ)
☆☆
Kは鈴木英人の絵を買ったことがあるそうだ。
私は逗子にある彼のイラスト豪邸へ行ったことがある。
☆☆
野毛小路の居酒屋へ。
Kが書こうとしている阿部薫のこと、鈴木いづみとあづさ、そして私たちのことを話す。
こんな面倒なこと本当はやりたくない、俺がこんなこと書いたら若松プロ、崔洋一、みんながガタガタ言ってくる。
誰が何を言おうと関係ない、だって本当にいづみさんたちとつきあいがあったんだから。私がついてる、心配ない、あなたは私を通していづみさん阿部さんとつきあいがあった。
あづさと私の写真を、Kにあずける。
あんたの写真アルバムと日記帳をうちに送るというなら、この写真も私が持っていたほうがいいんじゃないの?
見ると元気になるから、俺が持ってる。

私の着物姿の写真、母や父と一緒の写真、弟、北海道修学旅行など、昔の写真を幾葉もチョイスしてきたので、Kに見せる。
けっこう親孝行してるじゃん、とK。
これまでの人生をコンパクトにまとめた赤い表紙のアルバム、自邸マンションを写したミニアルバムもKに見てもらう。
マンションそのものよりもインテリアを手放すのがつらかった、と私。
死んじゃえばよかったじゃん、とK。
駅前の新築マンションだから高く売れた、売って1千万残った、これで生き延びられると思った。
☆☆
赤い表紙のアルバムにある演劇メイクの私を見て、「鈴木いづみだ」とKは言った。
☆☆
氷川丸で弟が撮ってくれた写真を、私は一番気に入っている。
「お葬式のときはこれ使ってね」と言ったら、「誰だかわかんねえよ」と弟は言った。
Kも「おまえのように見えない」と。
☆☆
(赤いアルバムは総じて、よく撮れている写真)
いいもの見せてもらいました、直木賞とったらそのまま使える、とK。
☆☆
阿部薫の話、書こうとしている小説のこと、その話題は尽きない。
おまえ校正してくれる?
うん、校正だけですむかな、リライトもするかな。
☆☆
ところで、Kは自分の気に入るものしか食べない。
好き嫌いが激しいというわけではないが、食に関してはかなり頑なである、と見た。
性格や生き方を表してるね。
☆☆
野毛小路の酒屋でワインを買う。
Kはつまみにチーズとコンビーフを選んだ。
☆☆
ブリーズベイホテルはほぼ満室で、空いているのは1泊3万円の部屋のみ。
野毛で3万は生意気だ、と私は拒否。
ついさっきは、「ここがだめなら帰ろう」と言っていた私なのに、自ら提案してマンダリンホテルへ。だがここも満室。
汐入のホテルハーバーは?
やっとそこへ頭がまわったか、とKが電話で予約を入れる。
☆☆
京急で汐入に向かう。
各駅停車なので座れてよかった。いろいろ話しながら行く。
上大岡で快特に乗り換え、横須賀中央駅から歩くことにする。
あなたは文筆稼業に移行するのだから、もう映画のことは忘れたほうがいい、私はライクアローリングストーンで過去に何度も仕事のステージを変えてきた、デザイン業に対する未練もこだわりもない、演劇のことも忘れている、あなた私が池袋の舞台芸術学院に行きたがっていたことをよく覚えていたね、私の小説が映画化されるときはあなたがプロデューサーを務めてよ、それを条件に私の作品を映画化すること認めてあげる、それともあなた監督をやりたいの?
俺はもう映画の仕事はやらない、口をはさみたくない。
じゃ私は映画化権を600万で売るだけ。
そのあとのビデオ印税が大きい、ちゃんと契約して受け取るようにしなきゃだめだぞ。
☆☆
ホテルハーバーの部屋で。
ワインコルクを抜くのに失敗し、Kに開けてもらう。
☆☆
池袋時代の私のことを話す。
都電で早稲田まで通い、早稲田大学で勝手に聴講したこと、早稲田近辺の印刷会社で出版社の仕事を見聞きしたこと、会社では一般事務職だったがリライトの能力や営業センスを認められたことなど。
☆☆
いづみさんとのことも少し話す。
彼女は池袋の私の部屋によく泊まりに来た、阿部さんから電話があり、「早く帰ってくるように言ってくれ、早く帰せ」と私は叱られた、「いづみは薬やってるから言うこと聞くな」とも言われたけど、そんなこと阿部さんに言われたくないよねって感じだった、あのふたりは一緒にいるとよくもめてたけど、離れていられらなかった、いづみさんは阿部さんの才能というか狂気に競争心を抱いていたと思う。
(ちなみに、私はKをライバルだと思ったことはないよ)
あの時代、いづみさんの存在は鮮烈だった、今でこそ中村うさぎや岩井志摩子が女性自身のセクシュアリティをざっくばらんに書いているが、あの当時はなかなかそれができなかった、今だって本当のことは語りきれていない、女を縛る制約は厳しく、壁は厚いなあ。
うさぎと志摩子を同列に語るのは危険だ、とK。
☆☆
男と女が翌朝一緒にラーメンを食う、これが一番エロい、とK。
(誰との思い出を語っているのか)
☆☆
村上春樹はやはり天才だ、あんなふうに空気を描けるやつはいない、とK。
その良さがわかるのはすごい、私にはさっぱりわからない。
☆☆
私が男と一緒になったそもそもの理由は、男そのものではなく、その先にある大きな世界がほしかったから、男についていてもらわないと社会音痴の私は糸が切れた凧のようになってしまうので不安だった、それから、今でこそ精神的に安定していろんな人に頼られているが、私も当時は不安定で、つきあいが良く面倒見のいい男にそばにいてもらわないとだめだった。
☆☆
橫浜に来てからのことは「スクランブル」に書いたから、だいたいわかるでしょ。
それよりも写真を見せてもらったことが大きい、どこで何をしていてもきれいだ。
(とKが言ってくれたのは、こうしてホテルの部屋に落ち着いてからで、間をおいて2度言った)
こんなにいい女なら手放すんじゃゃなかった、と惜しくなった?
K笑。
だけど私よりもあなたのほうが美しいわよ。

大韓航空機がソ連空域で消息を絶った事件、あれを私の元つれあいは「撃墜」と推測していた、私は「この人と一緒にいてよかった」と思った、レノン射殺の事件も東京新聞にいた元つれあいから速報で来た、と私。
フィリピン・マルコス夫妻が国外逃亡するまでの1週間を報じた新聞ルポルタージュ。
開高健が書いていたポーランド・アウシュビッツ。
吉永小百合がライフワークとしている原爆詩集朗読のことなど。
私はいろいろ語った。
Kは反原発に与しないと言う。事故があり、被害が大きくても負けないで、人類は核燃料コントロールを模索していくべきだというのだ。
エネルギー問題という視点から考えての、とりあえずの結論なのか。
エネルギー開発、武器開発、軍事力増大、宇宙開発、医学の進歩、すべてつながっている、どうしようもない、やがては人類自滅、避けられない宿命、ということか。
☆☆
キネ旬から石井監督について何か書けと言われたが、書けない、何も書くことがない、K。
去年三浦の喫茶店で書きかけの原稿見せてくれたじゃん、と私。
だめ、書けなかった。
乾いたタオルからも貴重な一滴を搾り取るようにして書くのよ。
わかってるけどさ。
☆☆
「奈美」はセーラー服のまま、今も平坂にいる、とK。
劇画では奈美も成長しているんじゃないの? 大人になってやくざの男の首を刺したり、女スパイになったり、あれも奈美じゃないの?
余貴○子はあたりだね。
あれは俺が推した、だめ男の村木は根津○八で決まり、竹中○人じゃだめ、俺あいつ嫌いなんだ、清志郎の弔辞を読んだのも気に入らない。
私も竹中じゃ納得できない、だけど村木役は根津さんよりももっと適任がいそうな気がする。
☆☆
「エンドレスワルツ」で共演した町田と広田は結婚した、おまえ知らなかったのか? そうなんだよ。
☆☆
一緒にお風呂に入ろう、またシャンプーしてあげる。
今朝シャワー浴びてシャンプーもした、女3人いるから朝シャワー。
(妻と娘2人に囲まれて、小さくなっているのか。気の毒だな。息子ははやく自立しようとして家を出ているし、父親としてはますます立場ないだろう)
☆☆
バスタブが狭くて、あまりくつろげなかったけれど、ちゃんと頭もボディも洗ってあげた。
ありがとう、素晴らしかった、とK。
風呂から上がっても、Kの耳を拭いてあげたり、顔に乳液つけてあげたり。
全身マッサージもしてあげる。
☆☆
私はあんたより10歳若い感じ。
おまえ白髪がない、染めてる?
染めてないよ、白髪も少しはあるよ、美容院で言われるの、年のわりに白髪ないですねって、年のわりにってどういうことよ、と言ってやったら、だってハタチは過ぎてるでしょ、だって。
☆☆
ダニーと純子が言っていた、男を追いかけちゃだめ、追わせなさい、と。つまんないこと言ってるな、といやんなった、私は昔モテたから、追われる快感なら知っていた、だけどさほど好きでもない男に追いかけられてもつまんない、それよりも好きな男を追う快感のほうが強い。
(とことん追いかけていいじゃないか。マッサージしてあげたいと思う男がいる幸せを満喫したい)
だけど私は当時、あなたを追い詰めた、と今ならわかる、男がいやがっているんだから無理に一緒になろうとしてはいけなかった、そんなことをしたら女は墓穴を掘る、私も大学へでも通ってのんびり待てばよかった、男のほうで一緒になる準備が整うまで待つのがいいからね、自分だってほかに好きな男ができるかもしれない、と今なら昔の私にそう言ってあげられる。
☆☆
あの頃、何年ぶりかであなたと米ガ浜のホテルへ行ったとき、あなたは「子どもほしいな」とつぶやいていた、このひとそろそろそういう時期にさしかかったのだわと思ったが、今ほどわかってやれなかった、「産んであげるよ」なんて軽口たたいた私も悪いけど、あんたこう言ったのよ、「あいつの子だと言って産んで育てればいいじゃん」と。
Kは神妙な表情で聞き、無言。
☆☆
男はそろそろ結婚してもいいかなと思えるだけの準備が整うと、そのときそばにいた女と結婚するんでしょ。
Kうなずく。
それが女にはよくわからない。
☆☆
あんた本当に離婚するかな。
すると思う、子どもたちがみんな大学に入って、融資手続きも済んだから、あとは来年、俺がバイトで稼ぐ金があまりにも少ないという理由で追い出される。
奥さんたちがほんとに引っ越して、あんた行く処がなくなったらどうしようと私は心配している、実家はだめなの? 何故だめなのかよくわからないけど、いきなりうちに転がりこまれると困るから、不動産屋で調べた、井土ヶ谷駅近くの1Kマンション6万5千円、敷金礼金なしで入居可、私もそれならいいかなと、木造アパートは寒いからマンションに移りたいという気持ちもあるしね、今のアパートは狭すぎてふたり一緒は無理、10畳あればベッドと机をもう1つ置ける、あんたには自分の分くらい稼いでもらう、あんたも自力で一部屋借りて自活できれば一番いいが、現状ではそれもむずかしい、だから私が引き受けられるようにと、でもなぜ私がそこまで考えなければいけないのだろう。
ま、いろいろ考えてるから。
(とKは言うが、ほんとか?)
今のまま家族と一緒でも、私と一緒でも、どっちでもいいんでしょ?
(Kは否定せず)
☆☆
野毛で買ってきたカベルネ・ソーヴィニョンを飲みながら、話す話す。
☆☆
あんた本当に離婚するかな。
(Kは「そうだ」と言いたげ)
私は結婚したいよ、あんたと。
ありがとう。
私、結婚というものを一度もしたことがないの、いっぺんしてみたい、だけど結婚しても別々に住んでいい? そばにいれば安心する、書く仕事がうまくいってお金に余裕ができるといい、そうしたら喜んで面倒みてあげられる。
じゃ、賞とったらな、とK。
(受賞デビューと結婚がワンセットなのか)
☆☆
Kのクロニクル私小説の構成案を見せられる。
場面と内容が20本ほどあった。
「死ぬか書くか」という一文が痛い。
だが軽いとも感じる。
「何度も思い出す阿部薫との会話」というのにひっかかる。
折にふれ戻っていくのは阿部薫ではなく、「あのときの俺」でしょ? 横須賀であり、あの時代でしょ?
(そしてT子なのよ、T子といたときの自分を何度も思い出してしまうのよっ)
だからタイトルは「アンフォゲッタブル」がいい。
これにKも賛同。

私は次から次へと書き方を思いつく。
私たちが再会したのは2004年だから、7、8年前ね、あなたは頭から転げ落ちて腕を骨折し、キーボードを打てない手で私にメールを書き、送った、私はあなたをライターにするべく池袋の編集プロダクションに連れていった、そして新宿ゴールデン街で飲んだ、去年横須賀で会ったのは、あなたが世田谷の家を追い出されて徒歩で横須賀に向かう途中、私に助けを求めてきたからで、そのとき私は断ったけど後日、横須賀にいるあんたに電話をかけた、そして会うことになった、台風の日だった、帰るのもしんどいからとホテルをとる気でいた、そして一夜を共にした、こういう場面の断片をどんどん書いてシャッフルすればいい、順序の並べ替えはいくらでもきく。
おまえ、そんなに簡単に言うな、だいじょうぶだ、ちゃんと書けるから。
(とKはこのあと、映画シナリオ作成の際の書き方の要点を語りだす。観客や読者に見せていいもの、見せてはいけないもの、嘘のつきかた、フックション構成のしかたなどについて語る)
おまえシナリオの勉強したことあるか? やるべきだろ。
でも小説と映画は違う、ドラマやストーリーを重視する小説ばかりではない、ストーリーがなくても描ける世界がある、私がやろうとしているトランス・ロマネスクは特にそうなのよ。
☆☆
私は「愛しているとは?」の一文に反論する、愛してると言ったかな、言ったかもしれないけど、惚れてるというほうがいい。
おまえは至福の愛を書け。
「至福のとき」、そういうせりふも言った気がする。
☆☆
親兄弟に対する無償の愛、友達への愛情は安心して続けられる、だが男女の情愛は移ろいやすい、それがなぜこんなに続くのか、最初はあのひときれいだなと惹かれて、いいなあ、「あなたになりたい」とすら思った、相手に自分を投影しだす、その自分は自分でも好きな自分、あなたという鏡に映った自分、反射して返ってきた自分が好き、忘れられなくなる、忘れられずにいる、だから折々に戻っていく対象は「あのときの自分」であり、好きだったひとであり、ということでタイトルは「アンフォゲッタブル」で正解、英語でなく日本語にするとしたら「忘れえぬ君」、これじゃテンプターズになっちゃう、それよりもアンフォゲッタブルがいいよ、これは冬ソナにも通じるテーマで、忘れよう忘れたい忘れられない、なの。
だからって俺、冬ソナの並木道を写メールしたわけじゃないぞ、落ち葉がきれいだなっていうだけ。
わかってるよ、それは。
ちなみに、アンフォゲッタブルはナット・キング・コールが歌っている、映画『不夜城』でも使われていた、私はかつてレブロンのインティメイトというオーデコロンを愛用していて、香港へ行ったときにまとめ買いしたら店員に「こういうのもあるよ」と勧められて買ったのがアンフォゲッタブルというオーデコロンだった、日本に戻ってそれをつけたら中華街の彼が反応した。
☆☆
おまえ『パッチギ!』は観たか。
観た、オダギリジョーがよかった、70年代の感じをよく体現していると感心した。
あの沢尻エリカはおまえに似てるな。
似てないよ。
おまえなぜパッチギ!なんか観たんだ。
伊勢佐木町の映画館のチケットもらったから。
イムジン河は最高だ、加藤和彦氏と仕事をしたことあるが、音楽プロデューサー抜きでサシで仕事をしてみたかった。
☆☆
俺、古文と漢文は強かったんだぞ、あと社会科だな、地理、倫社。
☆☆
気がつくと私はまたマッサージをしている、何度も。
☆☆
中学時代の友達が言うの、T子はなぜ結婚しないんだろうって、「高校のときの男が好きで忘れられないみたいよ」「ふーん誰だろう知らないやつだね」「でもあの○○とは別れてよかったよ、あんなのがT子を好きなようにしてるのかと思うと許せなかった」と。
かわいそうに、とK。
☆☆
郵便局のバイトをしていていいのは酒抜けること、うちにいなくて済むこと。
俺なんでもできると思う、資格なんかなくて構わない、だいいち介護の資格なんてナンセンスの極みだろ。
☆☆
何度も会ったよね、橫浜でロケできる店を探していると言われて私が紹介してあげた、あのときあなた車で来ていたよ、ホテルに行こうと誘われたけど、あのときは中華街の彼がうちで待ってたから断った。
ホログラムの件で会ったこともある。
あのときは東京で会った。

そして交わる。
朝のほうがいい、とKはつぶやくが、私の中に指を入れてきた。
このまえドブ板のホテルで、私なにも考えずにセックスできるようになったの、あれから身体が変わっちゃったよ、リビドーレベルが上がったみたい、下腹部がふくらんだり収縮したりする、いろんな男を誘いまくっちゃったよ(夢の中で)、だけどあんたじゃないとだめ。
わかったよ。
(とKは愛撫を続けるが、あまりうれしそうじゃないのはなぜ? 私の愛の告白しつこい? ほかの男の話をしたから? セ○クスしながら喋りすぎ?)
だからもう黙った。
目をとじて、身体をまかせた。
Kのキス、私の前歯を上も下もなめる。
このまえ私がしたのと同じように。
あのキスを覚えていたのね。
私は陶酔、たゆたっている。
ふと目を開けると、Kがじっと私を見ていた。
そしてペ○スが大きくなっていた。
インサ○トしようとする。
私は上になりたいと言う。
いきたいから?とK。
ああ、これがほしかったの。
いつでもどうぞ。
上になってたゆたうのが好き、キスもいっぱいしたい。
だからそうした。
でも今夜はちょっとのりきれないかも。
ドブ板のホテルで過ごしたあたりまではすごくよかったんだよ、現実を忘れて酔っていられた、あのあとしばらくはすごくよかった、そのあと宇都宮へ行ったときはちょっと不調だったけど、あなた体調回復してよかった、ただ、最近は現実が重くのしかかってくる。
☆☆
セ○クスのあともマッサージ。
あんまり強くやるなよ、壊れちゃうから、とK。
私も背中をマッサージしてもらった。
男の強い力が気持ちいい。
だけど、それよりも私がマッサージしてあげたい。
だから続けた。
手をつかまれて、また誘われた。
俺がマッサージできるのは一箇所だけ、いいだろ一箇所で。
うん、でももういいよ。
☆☆
フ○ラはしなくなった。
求められないし。
☆☆
昔はさあ、あんたよくオンブしてくれたんだよ、私の家からバス停まで、あんたを送っていく道で、私は歩けるのに、あんたはすぐ「オンブしてやる」って言って、それで私は特に嬉しいと思ったわけじゃないのに、あんたはどうしてオンブしたがったんだろう。
ぜんぜん憶えてない、今はこっちがオンブしてもらいたい。
韓国ドラマでもよく男が女をオンブしている、それ見ていいなと思う、韓国の男は徴兵を経験するから強い、頼もしい、安心してオンブしてもらえる、恋人であり兄であり父のようでもある、私もヨンジュンにオンブしてもらいたい。
勝手にしろ。
☆☆
高校時代、俺はいつもおまえに電話していて、おまえは俺が着ていたモスグリーンのトレーナーが好きで、おふくろは「T子ちゃんと結婚すると思っていた」って。
(その話は以前、ブリーズベイホテルで確認しあった)

ツインベッドで、それぞれ眠る。
2時間ほどで目が覚めてしまう。
私はもう眠れない。
Kの隣にもぐりこんだ。
しぱらくそうしていた。
☆☆
やがてKも起きた。
コンビニへ買出しに行ってくれた。
フランスパンのサンドイッチを食べる。
「食べきれないだろ」と言うから、残してあげた。
☆☆
三田文学の話もする。
その内容は省略。
Kいわく、「俺は三田文学のことはどうでもいい。T子文学のほうが金になる」
ちょっと!
おまえの言いたいことはわかってる。
金の話はするな、と言ったのはあなただよ。
☆☆
少し話して、また寝る。
Kとベッドを入れ替わる。
私はまたKのほうにもぐりこむ。
Kは私とくっついていたほうがよく眠れるみたい。
安心するのかしら。
ひとりで寝ていると苦しそうに寝言をもらしたりするけど、私がそばにいるとおとなしい。
身体をびくんとさせたりもしない。
すぐにいびきをかきだす。
だからそう言ってやった。
「おまえベッドこっちでいいって言ったじゃないかよ」
「そばにいたっていいでしょ」
K苦笑。

Kは朝風呂につかる。
私はさっと洗顔だけ。
着替えをする私を見つめるK。
やだ見ないで。
見る快感っていうのはあるな、くっつけちゃうと見えないんだ、見せろ。
(脚をつかまれた。でもあまり見せてあげない)。
今日はセットアップ早いな。
(もう一度することを期待してたのかな)
☆☆
朝だから、現実的な話も少し。
貯金もう200万切っちゃったのよ。
申し訳ない!
500万あれば余裕だけど、200じゃ私も心細い、ふたりで食いつぶしたら、たちまち底をつく、わかるでしょ、講談社の本が版を重ねてくれるといい、そうしたらまた貯金が殖える。
私はあなたを幸せにしてあげたい。
幸せは映画の仕事で味わった、それはもうない。
あんたが安心して眠れて食べて太れる、そういう状態にしていきたい。
太れない、と思う。
気力体力ともに充実していないと書けないよ。
☆☆
10時チェックアウト。
朝のドブ板を歩く。
汐入駅前では、オタクの人々がフィギュアの写真を撮っていた。
おまえもオタクだよな。
私は文筆ばか。
文学オタク?
それは、そうでもない。
☆☆
私、講○社に寄稿家として登録された、担当編集者のおぼえよろしい。
(と、日頃誉められていることを自慢)
☆☆
おまえ素直だな、素直に信じやすい、俺は絶対に疑ってかかる、「そんなにいいなら早く本にしろよ」と言ってやる。
講○社とは縁がある、早稲田の印刷会社でもそうだったし、ゼロに紹介された講○社の社員が今はキン○レコードの社長になってる。
(それに、私は群像からデビューするつもりだしね)
☆☆
恥ずかしくなるくらい、いい天気だ、あったかすぎる、とK。
まぶしいね、あんた今日はサングラスしないの?
こうやってぶらぶら歩いていると、知り合いの誰かに見られる。
いいじゃん、見られたって。
☆☆
昔は三栄という店名だったが今は何というのか、ともあれ当時からうまかったという店で朝食。
Kは念願のカレーライス、私はドブ板バーガーのセット。
ゆったりとくつろげるいい雰囲気で、私たちのほかにお客はいない。
店員のおばさんもやさしい。
Kと私は窓辺のソファに寄り添って腰掛けた。
差し込む日光に背中をあたためられながら、時間をかけてゆっくりと食べながら話す。
あんた顔がふっくらしたよ。
横須賀にいるからだ。
よかったね私がいて。
うん。
素直じゃん、いい子。
Kは近い将来の作家生活を夢見て語る。
書店サイン会、母校(小中高校)に招かれて講演、これは金とれない、など。
あと、平岡正明、五木寛之、野坂昭如はいい、俺はどんなふうにでも書けると思う、器用すぎてつらい、五木も野坂ももうじきいなくなっちゃう、そのあとのポジションをとっちゃえばいいんだ、と。
言わせておけば、私よりも楽天家だね。
おまえとのこと書くから、出版界ではスキャンダラスなデビューになる。
いいじゃないの、「つきあってますよ」と言えばいい、あんたがまだ結婚してるからスキャンダルといえばそうだけど。
40年の思いを遂げて一緒になったというのはすごい、これだけで書いていけるし、講演ネタになる、私は講演でも稼ぐつもりだよ、でもひとりで行くのはいや、あんたと一緒ならどこへでも行く、あんたも作家になって忙しくなると、そうもいかないかな、ふたりセットで呼んでもらおうか、そのころは私も心境変わってるかな、たまにはあんたと離れてひとりになりたいって思うかな。
私も18、19の小娘じゃないから、男と暮らすことに憧れはない、うざったいなと思ってる。
よくわかります。
経験者だから、ほんとはあんたと別々に近くで暮らすのがいい、そばにいれば安心する。
俺は書ける環境がほしい、今はそれがない、このまま1ヶ月缶詰になって書きたい、毎日図書館に通うのも実はしんどい。
家族と一緒では書けないと言うけど、私はそばにいてもいいの?
面白い話ができるだろうな。
私が書いているときは話しかけないでね、書く仕事はひとりじゃないとできない、集中力がいる、いつでも自分の好き勝手にできないとだめ。
☆☆
俺は女を知っているのか?という疑問がある。
そもそも本気で女を好きになったことがあるのか、と私は言いたい。
その疑問もある。
☆☆
(店でいい音楽がかかり、Kは涙)
なに泣いてんのよ。
最近だめだ、涙もろくて。
こういうことではすぐ泣くくせに、仲良くしてる女のことでは泣かないよね、その精神構造がわからない。
☆☆
98錠飲めば死ねる。
死ねないよ、飲み慣れていないから吐いちゃう。
阿部薫もさみしかったんだと思う。
いづみさんがいても?
あれは同類、ほかのやつらとは共有できるものがなかった、いつまでも少年のように、子供みたいに、自分がやりたいことしかやらなかった、俺もそうなんだ、子供のこともどうでもいいんでしょと責められてる。
☆☆
あんた、やりたくない仕事は絶対にしようとしないもんね、それでも校正の仕事くらいはしてよね。
(三○○樹さんに電話して校正の学校や仕事のことを聞いた、とKに説明した)。
石井監督への手紙にも書いた、ライトノベル校正の仕事などはじめてみましたが収入まだおぼつかなく、と。
(やっぱり私が仕事のお膳立てをしてくれることに期待してるな?)
☆☆
私はあんたに何かを期待しちゃいけないとわかってる、だから余裕で面倒みてあげられるようになりたい、あんたにやさしくしてほしいとか、こんなふうに愛されたいとかいうのも考えないようにしている、あんたは私に用があれば寄ってくる。
☆☆
だけどあんた、私にまったく男がいないと思うの?心配になることはないの? 今はおかあさんがいるから横浜を離れられないだろうが将来はマレーシアで大きな家を借りてメイドさん雇おうかっていう話もあるんだよ。
そんなのはじめて聞いた。
伊豆に向かう電車のなかで言ったよ。
そうなったらなったでしょうがないと思う。
ちっとも嫉妬しないのね、「どうせ俺が一番なんだから」と思ってるの?
いや、後輩の女にもよく言った、「おまえあいつともつきあってたんだってな、ちょっと妬けるな」と、その程度。
私はマレーシアになんか行きたくない、日本にいて書いていたい。
日本じゃなくても書けるだろ、生活の面倒みてもらえるなら書かなくてもいいし。
そういうのは嫌だもん、その人とは文化圏が違う、だからもうやめるって言ったでしょ。
(私もずいぶん大げさに言っている。妬いてほしくて)
☆☆
話ができる女がいない、女房とは文学の話なんかしたことない。
(それじゃつまんないでしょ。お互いどこがよくて一緒になったのか)
☆☆
あんたはマメじゃないから、女とつきあいまくり、やりまくりというタイプじゃない、来るものは拒まないだろうけど、横須賀時代はわりとおとなしかった、東京に行ってからいろいろつきあいもしただろうし、ロケ先で女を買ったりもしただろうが、基本はマイルドで、ワイルドじゃない、むしろ私のほうがあぶない、3ヶ月も放っておかれるとすぐ浮気する。
(それは昔の話で、ここ20年はそんなことはないけどさ)
俺はマメじゃない、だけどつきあった女のほうではけっこう引っ張るよな、ずいぶん女に恨まれてるだろうな。
私は恨んでないよ、むしろ反省しているぐらいだよ、私が今も昔みたいに跳ね返りだったら、うまくいっていないね、だけどあの短歌のねえちゃんはあんたを恨んでいるだろう、あんたいきなり連絡絶ったんでしょ。
おまえに教えてあげるけど、その子はオヤジのコネで本を1冊出した、本に俺のことが書いてある、その子は映画の仕事仲間みんなに本を配ったから、みんな読んで知ってる。
あんたのことだってわかる書き方なの?
わかる、読んでみろ。
やだよ、あんた本人を知っているのに、なぜほかの女が書いたあんたを読まなきゃいけないのよ。
その子は話ができた、ばんばん反応が返ってきた。
だから何よ、まだ好きだって言いたいの?
(Kは無反応)
やだな、私もあんたのこと書いてしまった、やめようかな、あんたも「女ふたりに書かれるほどいい男なのか」と周囲の顰蹙かうよ、だけどあんたも私を書くんでしょ、だったらおあいこでいいか、ほかの女のことは書かないでよ、ほかと同列にしないでよ、そんなことしたら私つぶすよ。
☆☆
「薫・いづみ」というテーマをもらったのだから、俺は勝ちに行く、そのために書く。
(と、これはホテルで夜に言ったのだった)
☆☆
新人賞でなくていい、持ち込みをして「読め」でいい、「読んでください」と言いたいのは新潮と文学界くらいだろう、とK。
新潮社と文芸春秋社?
第1作目から芥川賞直木賞を狙う、そうなったらおまえと立場が逆転する。
いいよ、そうなってよ。
(この会話は、ホテルで、そしてドブ板を歩いていてしたのだった)
☆☆
このまえ品川で計算したでしょ、月1万部で年12万部って、それくらいならやれる、ライターだってそれぐらい売れるものを書かないとやっていけない、ミリオンセラー出したときは毎週何十万も印税入ってきた、とくに感激するというほどでもなく、こんな感じかと思った、それで調子こいて新築マンション買ったりせずに地道にやっていけばいい、安心して長く書いていきたい。
☆☆
すっかりくつろいじゃって動けない、おまえとのことも書くし、横須賀を書く、やっぱ横須賀だよな、野毛派じゃないよな。
うん、ふたりとも出自は横須賀なんだから、どうしてもそうなる、それでいいんじゃないの。
☆☆
(店を出て歩きながら)
日本だけじゃなく中国、香港、台湾、そして韓国でも翻訳本を出したい、売れてほしい、と私。
話が大きいな、とK。
☆☆
三笠公園から船に乗り、猿島経由で観音崎へ、と思って行ったが、この季節は就航していない。
ベンチで休みながら、書くことの話を続ける。
狭いベンチで、Kは私に寄りかかるようにして座っている。
Kの手が荒れているので、ロクシタンのハンドクリームをたっぷり塗ってあげた。
バイトが休みの日には書けるの?
書くよ。
私の経験から言うと、1日10枚ペースが適量だね、あなた300枚書くなら30日かかる。
☆☆
いづみさんが献体登録していた話、そして最後の電話では「図書館のそばに住みたい、国会図書館があるから赤坂がいいかな」と言っていた話。
あのときはもうそのつもりだったのかと、私はのちに愕然とした、ちっとも気づかなかった。
(Kは北海道のロケ先で胎児のホルマリン漬けや死体プールを見ているとのこと。献体登録したと言っていたが本当か、だとしたら大変なことじゃないか、と)
☆☆
せっかくここまで来たから、ゲ○パの店にでも行ってみようか?
おまえが一緒にいたやつ?
違うよ、元つれあいにあんたを会わせるなんて、そんなややこしいことなぜするのよ。
ややこしいかどうかわかんないけど。
ゲ○パはただの友達だよ。
杉○君か。
(ほら、ほんとは知ってたくせに)
☆☆
私、夏によくひとりで猿島へ渡って泳いだ、あの頃あんたは何してたんだろう。
浪人、家で勉強してた。
私は放っぽっとかれた。
(実際は浪人中ではなく、大学に入っていた時期だけどね)
☆☆
どうしてブスが好きなのよ、美人は一緒にいて肩が凝る?
いいや、基本的に俺はみんな美人だと思ってる。
☆☆
膝が痛いから、膝痛の本を読んだ、俺もこの可能性あるなと思った、でも今痛いところは膝じゃない、もう少し上のほう。
私はあんたの介護することになるのかな。
☆☆
本町を通って臨海公園へ。今はウェルニー公園か。
この公園に早朝呼び出されたことがあったっけ、と私。
Kもその朝のことは覚えていた。

あんたとつきあって、今ほど頻繁に会った時期はない。
今は話の密度が違う。
昔の自分が書いたものを読んでどう思う?
鋭い、と思う。
今と変わらない?
昔のほうがよかった。
私は昔ぜんぜん書けなかった、頭の中の整理がついていなかったから。
☆☆
「横須賀駅から鎌倉へ」というプランも出たが、Kは歩けないだろうということで却下。
それで逗子へ向かう。
横須賀線の車中、どっと疲れが出る。
ふたりとも寝不足なのだ。
電車の中で寝るのが一番楽だぞ。
でも揺れるから疲れる。
逗子駅で湘南新宿ライン宇都宮行きを見て、ふたり笑う。
☆☆
駅前で「私、疲れたよお」と言ってKを振り返った。
抱きかかえてくれた。
ベンチに横になる。
まだしんどい。
京急逗子駅まで私の荷物を持ってくれる。
あ、やさしい。
☆☆
京急逗子駅で。
どこでもいいから横になりたい、旅館ないのかな?
Kが探すが、ない。
いいよ、帰ろう。
☆☆
京急車中で。
ごめんね、昨日あんた川崎から帰ればよかったのに、私が呼んだから。
いや、帰りたくないなと思っていたから。
☆☆
上大岡を過ぎて。
「1万円貸して」とKは目を閉じたまま言った。
言いにくかったのだろう。
だから私はすぐに財布を開けた。
おまえにはずいぶん借りてるな。
悪いと思うなら身体を大事にしてよ、お金を渡すと飲んじゃうからいやなのよ、気力体力ともに充実していないと書けないわよ。
☆☆
井土ヶ谷着。
私は無言で降りた。
電車の扉の前で軽く手を振った。
ホームからもまた手を振った。
でも少しそっけなく。
☆☆
午後3時、帰宅。
午睡。
疲れはやや回復。
☆☆
(ウーちゃんとの会話)
生きていればいろいろ悩みもあるけれど、おちゃらけて、うっちゃってしまうといい。
ユーモア、ジョークで笑いとばしちゃえ。
必要なのは、爆笑だ。
☆☆
(夜、Kから電話あり、30分ほど話す)
(Kはヘロヘロだと言いながらも、まだ外にいた)
おまえにありがとうと言わなきゃと思った、それから声を聞いて甘ったれたくなった。
甘えたくなったの?
俺甘ったれじゃん。
知ってる、甘ったれのくせにつっぱってるよね。
いつもの店で常連の口のきけない女と手話で会話した、だんだん下ネタになった、キスしてくれと言うから、「みんなの見ている前でなきゃだめだ」と言った、その女に、マッサージうまいからうちに来いと誘われた、膝痛いから付いていっちゃいそう、拉致されちゃいそうだった。
言ってはなんだけど、そういう人は国の保護を受けてるから収入安定してるでしょ、私よりいいかもよ、面倒みてもらっちゃえば? あんたもツキがまわってきたじゃん。
K笑。
いつもなら2泊、3泊するのに、今日は1泊だけで帰ってきちゃったから私さみしいんだけどね。
K笑。
だけどあんなにヘロヘロになってたんじゃしょうがない、あなたもバイトがはじまるし、今回も24時間一緒にいて一度も喧嘩しなかった、朝ごはんを食べたドブ板の店でのひとときがすごくよかった、あんたはいつも私に「おまえはいいなあ、そんなに楽天的に考えられて、その才能がうらやましい」と言うけど、あんたこそ今朝はすごく楽天的だった、私のがうつったのかしら、ああやって楽天的に話したことは現実になるからね。
おまえとの再会シーンを書くのに、「シリコンお○ぱいを見た」というのはだめだと断られたから、どうしようかなあと困ってる。
だから世田谷から横須賀まで歩いた話と、台風の日に会って一夜をともにした話を書けばいいのよ。
それなら俺書けるぞ。
「お○ぱいつくったから見てほしい」とか、女のほうから会いたいと言ってきたというのは安易な設定でしょ。
かもな。
☆☆
直木賞と芥川賞、どっちでいくかによって書き方が変わってくる、とK。
あんたは映画シナリオ的な発想や判断がすごいから直木賞、私はスクランブルを村上龍に推されて芥川賞を獲りたい、あなたが阿部薫の六郷土手に行く場面、行ったと過去形で書かずに現在進行形で読者をつきあわせる、ひっぱる、文体というよりもリズムとテンポ、要するにノリが大事。
それもわかってる、しかし今さら新人賞でもなかろう。
そんなことない、50代半ばで新人賞獲るなんて素敵なことだと思う。
☆☆
あんたとはもう40年だけど。
もう40年か。
そうよ、ずいぶん長いけど、25年ほどは中抜きだね、お互い仕事に夢中で、別の人と所帯をもってエネルギーを注いでいた、それでも思いがなくならなかったのはなぜか、再会してまた仲良くなれたのはどうしてなのか、読者はそこに興味があると思う、本人だって不思議に思ってる。
だからアンフォゲッタブルなんだよ。
だねえ。
タイトルはこれで決まりだよ、タイトルで売れるかどうかが決まる、あと大事なのは著者の写真だ、あなた40代の頃の写真を使いなさいよ、今みたいに痩せちゃう前のやつ、そうすればいけるって、私も昔の写真使おうかな、著者近影ではなく往時の著者。
K笑。
相手を忘れられないだけじゃない、相手に投影している自分、相手という鏡に映っている自分、反射してくる自分、あのときの自分が忘れられないのだよ、それから、ふたりをつなぐものが何なのかを、書かないと。
だがそこで文学や映画や書く仕事を挙げることはできない。
楽屋裏を見せることになるかな。
楽屋話は2作目以降にやればいい。
しかし、あなたが私とのことを、よく書く気になってくれたと思うよ。
だってそれしかないじゃん。
(現在の最大関心事は私とのこと、というわけではなく、薫・いづみのこと書くなら必然的にT子のこと、俺たちふたりの関係を書く以外にないということよね、それでいいけど)
☆☆
フィクションなのだから嘘があっていい、だけど思いだけは本当のことを書いて、私へのお世辞もサービスもいらないから。
ありがとう。
おまえがドブ板を書こうとして書けずに悩んでいるのはわかる、俺が書いてみせようか。
お手本を示すというの?
手本というわけじゃないけど。
誰それが好きだのなんだのと書くのとはワケが違うのだから、私よりも大きなことをやって、私をひっぱっていってくれるようお願いします、私が一発屋で終わってしまわないように。
わかってる、ネタは多く仕込んでおかないといけない。
早くおうちに帰りなさいよ。
今はうちの近くの公園にいる。
身体に気をつけてよ。
サンキュー。
(この電話での会話は、心をしっとり濡らし、幸福感を呼んだ。私はいい気分で眠りについた)