【デートノート⑫ 2012.3.1〜3.3 36時間】
(T子記す)
蒔田からタクシーで来た、とK。
(その手があったか。頭いいじゃん)
私はシウマイと紹興酒。
Kは私の紹興酒を奪って飲み、チャーシューをつまみに、めちゃくちゃうまい、と。
でも長居はできない。
ラストオーダーの時間をとうに超えている。
☆☆
コンビニに寄って帰宅。
☆☆
もう夜も遅い。
寝る支度をする。
☆☆
Kにあげようと用意していたベージュのカシミヤマフラー、色が似合った。
Kはもらっていく様子だったが、結局は置いていった。
(家人が)どこでもらってきたの?と、そういうことだけは言うんだよ。
☆☆
武山の件でおまえに相談したかった。
明日ちゃんと読むよ。
(原稿データをインストール)
☆☆
疲れているんだから休んでいきなよ、と私。
このまえと疲れが違う、頭が疲れている、とK。
☆☆
Kはウイスキー水割りのほか、日本酒にも手を出した。
サンドイッチも食べたかな。
だが、Kも私もほぼ無欲。
淡々として、私は時々Kの肩胛骨のあたりを撫でてあげるだけ。
☆☆
Kが口にするのは、ひたすら武山原稿と格闘していることのみ。
私は話を聞くよりも原稿を読むほうがいい。
でないと、わからない。
☆☆
俺もう死ぬぞと、そんなこともKはたびたび口にする。
やだよ、あんたが死んじゃったら私どうすればいいの。
俺のことを書けばいい。
だけどあんたがいないのなら書いてもつまんない、どうすればいいの、私も死んじゃおうかな。
生きていくんだろうな、男なんかほかにいくらでもいるし。
長生きしてもらわないと困るよ。
Tちゃん、それは無理だから、とK。
☆☆
はやく講○社に見せて結論出したい、おまえに金もらって書いていくのも、俺もう無理だよ。
もらうんじゃなく、借りてるだけだよ、だけどあんた何をそんなに気にしているの、弟から戻ってきたお金があるから5月まで大丈夫だと言ったでしょ、だから安心して書いていけばいいのに、気にしなくていいことでクヨクヨするなんて変だよ、私がお金を出し渋っていやな思いをさせた?
(Kはここですっくと立ってトイレへ)
☆☆
昔、横須賀の大滝町で朝おまえにピラフを食べさせてもらった。
それはカントリーという店かな、私が中国人のおじさんに会った店、ベトナムが終わって暇になっちゃってからはダニーとよく安浦へ豚足を食べに行ったり、三笠銀座の入口で屋台のラーメンなんかも食べた、安浦豚足は憂鬱だった。
そのシーンから書き出せばよかったのに、とK。
「ドル円で入るの良し」と言っていたじゃん、と私。
あれはわかりにくい、計算しないと理解できない。
だからわかりやすいように具体的数字を挙げて加筆したよ。
☆☆
あのペ○スはうまかった、っていうのあるよな、とK。
ある、と私。
☆☆
間もなく眠った。
Kは私の後ろ髪に顔をうずめるようにして眠っていた。
体に腕をまわすこともあったかもしれない。
☆☆

私は途中何度かトイレに立ったが、それでも朝まで眠った。
☆☆
翌日は雨。
降りこめられて、1日部屋にいる。
まずはKの原稿データを読んだ。
一読しただけでは理解できない。
私の反応が芳しくないので、Kは「つまらなかったのだろう」と決めつけ、落胆している様子。
☆☆
「リライトは、するな」とKは言う。
ここでリライトしても無駄になる、編集者に見せて指示を仰いでからだ、はやく見せろ、とK。
まだ半分しか書いていないのに、しかもリライトもせずに編集者に見せられない、そんな失礼なことはできない、と私。
ここまでの原稿ですべて伝わる、伝わらない編集者ならだめだ、向こうがだめだと言うならそれで終わりにしよう、それで俺は納得する。
半分書いたから見てくれ、仕事として成立するという保証をしてくれなんて、そんな甘ったれたことを言うライターはいない、やりだした仕事はちゃんと貫徹しなさいよ。
(思わず強い口調になった)
しかし講○社とは終わりにしても、他社がある、とK。
そっちにあんたが原稿持ち込みするのは構わない、私は講○社を大事にしたいから、へたなことはしたくない。
(この話が堂々巡りして、何度となく繰り返された)
☆☆
私は原稿を再読した。
少しずつ理解が進む。
だが、印象はさして変わらず。
独りよがりが多い、あんたはわかっていても読者に伝わらない、言葉が足りない、書き込んでいない。
おまえがわからないだけで、みんなわかっている、ましてや編集者なら知っていることばかりだ、よけいな書き込みをするな、おまえバカだからわからないんだ。
そうだけど、バカにもわかるように書かないとだめ。
バカはこの本買わない、売れてる本を買うやつらも買わない、そもそも読者なんかいねえんだよ。
あんたの短歌も難解、判じ物、謎解き、だから解説をつけろと言ったのよ、そうすれば本になると思う。
短歌は本来、難解なものだ、解説などつけるのは邪道。
だけど短歌そのものよりも解説のほうが面白かったもん。
☆☆
Kが20歳のとき、好きな(?)女の子の母親とジョイナスで寿司を食べた、「うちの娘高く売るわよ」と母親は言った、それをKは、「おつきあいしてはいけません」という意味だと解釈した、15年後それが読み違いであったことに気づく、実は、「がんばってね、幸せにしてやってね」という意味だったのだと。
あれ、どういうことよ? だから私が聞いたでしょ、私と別れてすぐ後、一緒になろうと考えた女がいたでしょと、あんた即答で「いや」と否定したよね、でも実際はそんなようなことだったんじゃん。
(「違う」とKは言うが、詳細を語ろうとしない)
あそこでおまえひっかかるかなとは思ったんだけど、やっぱりか、どうこう言ったって相手は今もう60のばばあだぞ、どうにもなりようがないだろ。
私はKの背中をきつくつねった、額を叩いた、それでもKが頑として口を割らないので、じれて、頬を拳骨でなぐった、肋骨もなぐった、首を絞め、金玉つぶしそうなほどつかんだ。
そんなことするともう(あっちのほうが)だめになっちゃうぞ、とK。
今だってそう変わらないじゃん。
だな。
結局わかったのは、その女性はKと高校の同期で、昨年同窓会の際に出席者名簿に名がなかったので自分も行かなかったという、件の人だということだけ。
その部分、削除する、と私。
いいよ、消しても、このネタは他でも使えるから。
(いったいどういう意味を持つ出来事なのか、その女性がどういう存在なのか、さっぱりわからない)
☆☆
帰ろうかな、とK。
この雨のなか帰ることない、ゆっくり休んでいけばいい。
ドメスティックバイオレンス、肋骨が痛い、ひびが入ったかも。
あらどうしたの、どこかにぶつけた?
☆☆
橫浜に来てよけいに疲れちゃったのでは困る、と私。
だいじょうぶ、俺恨まないから。
ごめんね、グーでぶったりして、でもあんた怒らなかったよね、女の子にぶたれたぐらいで怒るわけないよね。
(実際、Kは顔色ひとつ変えなかった。ただひどく痛がってはいたが)
年で骨がもろくなってるんだから、骨折しちゃうぞ。
ほんとだ、私の力でも折ってやることできそうだ。
☆☆
あんたの文章は、肝心なところで言葉が足りない、特に第2章は事実を論述しただけの部分が多すぎる、K節が炸裂していない、自分の意見や思いを1カ所に固めすぎだ、だから論述部分に埋没して目立たないのだ、全編にちりばめて、結論部分につなげていくわざが必要、そうしないと読者の頭の中に世界を構築できない。
☆☆
あんたが私に話す内容は面白い、その言葉を拾って加筆する。
(と私は原稿を三読しながらリライトに着手。著者の了解を得ながらの作業となる)
しかしKはそれにいちいち反対する。
きれいな文章にするな、ごつごつしていていい、伝わるやつには伝わる、そんなこと書かなくてもいい、説明するな。
(ここで喧嘩になった)
あんたうるさいよ、それに、こんなに手足冷たいくせに煙草なんか吸ってんじゃないわよ、生意気だよ。
おまえこそバカのくせによけいなことすんな。
(ふたり笑いながら、軽く取っ組み合い)
Kは私のリライトを中断させようとする。
そして、このまま講○社に出せと言う。
☆☆
つまんなかったんだろ、つまんなくていい、だめならだめで仕方ない、おまえのほうが未来は明るいかもな。
あんたが書けば私の何十倍も大きな仕事をやり遂げると、あんたそう言っていたじゃん。
☆☆
私がリライト加筆の了解を得ようとするたびに、Kはむきになって反対する。
「Tちゃんがリライトしてくれたおかげで通らないものも通った」というようになると思うか? 違うだろ、俺には時間がないんだ、いつまでもこんなことしていられない、おまえとライターごっこ、作家ごっこをして、楽しいねで終わっちゃう。
楽しくなんかないよ、このリライトしんどいよ、もしかすると私の手に負えないかもしれない。
だからやめろと言うんだ、だめならだめで、さっさと結論出したい。
(私はついに感情爆発)
あ、嘘泣きがはじまった、とK。
なによ、私はこの原稿を通そうと一生懸命考えてるのに、なんであんたは、みすみすダメにするようなことばかり言うのよ。
くやしくて、泣いた。
顔をくしゃくしゃにして。
それを隠そうともせず、声をあげて子供みたいに泣いた。
涙は少しだけ。
でも本当の泣き声があがってきた。
さすがにKは黙って、じっとしていた。
困っているようだった。
☆☆
ともかく第2章には手を入れた。
それで少しは気が済んだ。
二日酔いにもかかわらず、よく出来たものだと我ながら意外に思う。
☆☆
第2章が胆だ、これを読めばすべて伝わる、コンセプトも内容もわかるはず、だからこれを企画書として出せばいい、とKは言う。
そこでようやく私も折れた。
コンテンツ+後半の概要を提出する、それを出版企画書およびサンプル原稿として読んでもらう、そういうことなら私もやれる、あんたもそれでいいでしょ?
☆☆

Kは、美空ひばり『みだれ髪』をYouTubeでかけろと言う。
かけた。
すぐに泣き出すK。
何泣いてんのよ?
俺のほうが感受性強いんだよ。塩屋岬の風景、震災後は何もかも津波にもっていかれて、すごかった。
☆☆
小林旭『熱き血潮』もかけた。
ひばりの塩屋岬をプロローグに、旭のこの曲をエピローグに持ってくる、とK。
なぜ? 武山とどういう関係があるの?
ひばり、橫浜、占領下、おふくろと同世代、つながる、小林旭は美空ひばりと結婚していた、熱き血潮の曲は武山の海とつながる、富士山の爆発を見るなら特等席の海だ、その海を返せってこと、武山挽歌だ、震災で多くの人が死んでいった、おやじは軍転法と原子力で武山にやってきて、武山の病院で生を閉じた、おふくろの人生も終わろうとしている、俺の人生ももう終わりかけている、軍転法の中で育った、占領下と変わらない時代を生きた、主義者は信じない、小泉純一郎が皮ジャン着てプレスリーを唄った、それが一番しっくりくる。
そういう話、もっとわかりやすく書けばいいのに。
説明になっては面白くない、言外を読み取れ、おまえが「なぎさホテル」を理解できなかったのも、行間を読んでいないからだ。
そういうレベルの話ではない、書けていない。
☆☆
愛してると言ったからって愛しているとはかぎらない、愛してると言わなきゃわかんないのか、やりたいと言えば愛してるってことだろ。
(果たしてそうなのかね。それを聞いて、ほんの少しだけ嬉しかったけど、ずいぶんと身勝手な話だと思う)
☆☆
食欲がない。
Kはウイスキーを飲む。
酔って話しかけるときの目が虚ろで、ドブ板で見たダニーの目にそっくり。
☆☆
Kはまた寝てしまう。
私もしばらく昼寝した。
☆☆
サンドイッチを少しつまむ程度の食事しかしていない。
夕方、起きて料理する。
わかめ味噌汁、これだけはうまくできて、Kも「ああうまかった」と言ってくれた。
おにぎりは失敗。
米をといですぐ炊いたので、芯が残った。
ごま、梅干しを混ぜ込んで握ったのもよくなかった。
五穀米か?と聞かれたほど。
☆☆
鶏手羽先と野菜のスープ、私は食べたが、Kは一口でやめてしまう。
おいしくないし、食欲がないのだ。
だけどこんなに痩せてしまって、食べずに酒タバコ、これがよくない。
☆☆
風呂にはいるというので、ボディシャンプーを溶かしこんだ湯に入れさせた。
☆☆
武山は一休止して、気分転換しようと思ったんでしょ? だったらもう忘れて遊ぼうよ、と私。
講○社がゴーかけてくれれば、その金で塩屋岬に行きたい、大島じゃなくて、とK。
☆☆
シナリオを作成するときは血みどろの戦いなんでしょ、それに比べれば、これは自分との戦いだけじゃないの。
シナリオのときは金が保証されてるもん。
要するに先のことが心配でしょうがないんでしょ、これがもしだめだったらお金どうしようって、そんなのみんな同じだよ、私だってそう。
おまえのやってることは簡単だもん。
そうよ、武山みたいにむずかしいことはできない。
おまえには今書いてるライトノベルのようなものが一番向いてる、トランジットやスクランブルはちょっと無理してる。
(そんなふうに言われると、すごくさびしい)
トランジットもスクランブルも私がよく知っている世界の話、だから書いた。
☆☆
私が書いているライトノベル『夢を見させて』は、直訳すると「Let me dream」だけど、「Don’t break my dream」にしたほうがいい。
☆☆
おまえの小説はどうなったんだ?
群像に出したスクランブルは、結果が出るのは4月で、それまでは何も言ってこないと思う、講談社は三田文学とは違うから。
そうか。
トランジットは集英社すばるに出すつもりだけど、まだ出していない、あんたどうせだめだと思ってるんでしょ。
いい結果が出ればいいとは思っているが。
☆☆
講○社の社員はストレスが多くて早死にする人が多いという話を聞いた、と私。
彼らはサラリーマンだから、とK。
☆☆
おまえのことは俺が一番よくわかってる。
わかっていないこともあるよ、私がこれからやろうとしていることもわかっていないじゃん。
そんなの何もないじゃん。
あるよ、トランスロマネスクをやろうとしてるんだよ。
そんなもの、わかんなくていい。
わからないだろうね、私がトランスロマネスクの作品を好きだというのと同じ気持ちにならないかぎり、わかるわけがない。
☆☆
先輩の会社で500万ぐらい稼げると思ったのに。
うまくいかなくて、あんたには悪かったと思ってる。だけど古典本は、私たちがやる気になれば、○○出版よりも大手に話を持ち込める。
「私たち」って、一緒にするなよ。
だって私ひとりじゃできないもん、ひとりでできるのは小説書くことだけ。
それだってひとりじゃできないだろ。
☆☆
いづみは時代に殺された、五木寛之あたりに持ち上げられて、見放された、書いていけなかった、才能ないもん。
そんなことない、エッセイは特におもしろいよ。
俺も作家になったら、かえって早死にしちゃうかもしれない。
流行作家にならなければ大丈夫だよ、それよりあんた、今からそんなに飛ばしてどうすんの、無理して書くからいけないんだよ、1日6時間、長くても8時間にしておかないと。
☆☆
武山もおまえには理解できなかったということがはっきりした、だから新聞読めって言ってるんだ。
社会科学に強い男の子、たとえばカ○リに読ませてみようか、果たして理解するかな。
する、泣けるところで泣くはず。
私も男と一緒に暮らしていた頃は社会科学系の本をいろいろ読んだ。
字面を追っただけだろ。
それでも意識に残る。
今も少し残って尾を引いてるよな。
うん、だけど偏りのある本じゃなく、ニュートラルな視点で書かれたものがいい、それで先日、読書計画を立てた、慶應義塾大学出版会の書籍800冊、自然人文社会科学、橫浜の図書館で借りて読むつもりだけど、鈴木いづみ平岡正明などに寄り道してしまって、なかなか計画どおりに読書開始できない。
☆☆
12時にはまた眠りについた。
俺疲れてるんだな、いくらでも眠れる、とK。
私も眠った。

朝、コーヒーと緑茶。
お酒は、もう飲んじゃだめ。
☆☆
あんた、体調不良のまま渋谷から宇都宮に泊まったときと同じふうだったよ、寝言でわけわかんないこと叫んでた。
そういうときはたいてい起きてるんだ。
2、3時間ごとに目を覚ましているってこと?
そう。
☆☆
Kは寝ても覚めても武山のことを考えている。
私が、お茶は?みかんゼリーは?ビタミンは?胃薬は?といろいろ話しかけるので、「うるさい少し黙ってろ」と怒られる。
なによ、執筆中は誰だって原稿のことで頭いっぱいになるのよ、そんなの当たり前のことなのに、あんたは大騒ぎして、私にあたって、男のくせに大声出したりして、ケツの穴が小さい。
ケツの穴小さいよ、男のあれが入らないもん。
あんたのお守りするのは大変だ、わがままだし、言うこと聞かないんだもん。
☆☆
Kはシャワーを浴びる。
今日もシャンプーはしないが、ひげだけは剃る。
☆☆
出かけるぞ。
どこに?
図書館に行ってみようか。
弘明寺の図書館で書いてみる?
☆☆
それで私も急いで支度をする。
おまえパソコン持っていかないのか?
私はうちで書くもん、あんただけ図書館に置いてきちゃうもん。
Kが図書館で書いて、うちに戻ってくることになるのか、それははっきりしない。
☆☆
今日はよい天気。
だがKは体がしんどそう。
いつものように腕を組もうとしたら、いやがられた。
さみしい。
我慢する。
☆☆
図書館まで、裏路を歩く。
これが昔からある道だ、保土ヶ谷の宿から続く道、俺なんでこんなことわかるんだろう、崖に沿ってくねくね曲がっているからだ、とK。
大通りは後からできた道?
そう、真っ直ぐな道はあとでつくった。
☆☆
公園で一休み。
近所のじいさんたちがゲートボールをしていた。
☆☆
Kはのろのろ歩く。
笑顔がない。
「おじさん人相悪いよ」と言ってやった。
知ってる、とK。
☆☆
図書館近くまで来て、Kは「もうだめだ、坂を登れない」と言う。
腕を組んで引っ張ってあげる。
なんだかもう老人介護がはじまってるみたい。
俺もう死ぬんじゃないかな、とKは言う。
☆☆
Kは、「どうせ書けない」と言って、図書館に入ることをためらう。
私は図書返却と借り出しをしたい。
その間に、Kは図書館のトイレを拝借。
2階のパソコンを使用できる席はすでに満席。
じゃ、ここにいても意味ないじゃん、とK。
☆☆
図書館を出たとたんに、Kはなぜか元気回復した様子。
☆☆
食事をしたいが、店はまだ開いていない。
井土ヶ谷駅前を目指して歩くことにする。
Kはあたりを概観して近道を指摘する。
その坂を下る間に、Kご機嫌になる。
☆☆
あの図書館、開館してまだ1時間なのにもう満席、すごいね、と私。
だからどうだというのだ、おまえ意味のないこと言ってる。
☆☆
おまえに道を教えてやるよ。
やだ、くねくね歩いて結局は遠回りになるもん。
このくねくね感がいいんだろうな、人生も。
男のくせにくねくねしてんじゃないわよ、「ウイスキーはストレートで飲むのがいい。俺ストレートな性格だから」なんて言ってたくせに。
あれは生(き)という。
生で飲むことをストレートというんだよ。
あんた、突っ張っているわりに、くねくねが好きなのよね。
俺ゲイだから。
ゲイにもなれないじゃん、ケツの穴小さくてアレが入らないんでしょ。
☆☆
武山しんどい、飽きてきた。
大変なテーマをやっちゃったね、でもよくまとめたよ、私はようやらん。
できないじゃん。
できないよ、だからやらない。
次はアンフォゲッをやる、とK。
フルスペルで「アンフォゲッタブル」にしなきゃだめよ、と私。
そうだけど、売れるとアンフォゲッと言われるようになる、次はこれやる。
その前に原節子なんでしょ、資料整理を私にやれと言ったじゃん。
それは夏、そのまえにアンフォゲッ、だけどこれもしんどいんだよな、結局は大槻節子のこと書こうとしているから、おまえのところにも中核のオルグが来たというメール、ちゃんととってある。
阿部さんのことも書くんでしょ。
薫は横でサックス吹いていればいい。
次もまた書き出せば大騒ぎして、私にあたるんだろうね。
K笑。
☆☆
「AKBのママたち」写真集ぜったいに売れると思う、とK。
あんたが作家になって、キャラが立っていれば、あいつの言うことだからやってみようかという出版社もあるだろうけどね。
アンフォゲッタブルで芥川賞、でも俺は賞なんかとりたくないから候補になるだけでいい。
候補になるだけでもすごいことだよ、文藝春秋の「文学界」に原稿持ち込みすればいい、新人賞応募でなくていい。
あの雑誌はきらいだ。
きらいなのは私、あんたはそうは言ってなかった。
俺、次の原節子で直木賞。
だけどさ、もう少し太っておいたほうがいいよ、この痩せ方じゃ写真うつりが悪い、容色の衰えは本の売れ行きに影響する。
だよな。
☆☆
こうして話していると、Kはどんどん元気になる。
☆☆
Kは自販機でミネラルウォーターを買って飲む。
☆☆
今日はひな祭りだよ、男のひとが女の子に何か買ってくれる日だよ、プレゼントはないの?と私。
☆☆
3月分は週明けに振り込めばいいのね。
振り込んでもらわなくてもやっていけるようになりたい。
振り込まなくていいの?
いや、入れて入れて。
あんた今お金いくら持ってる?
3千円。
このあいだの5万、もう遣っちゃったの?
口座に残してある、持ってると遣っちゃうから。
☆☆
書店前で芥川賞作家田中さんの顔写真を見る。
不細工だよね、弁当箱みたいな顔、と私。
一度も働いたことないって本当かな、偉いな、とK。
偉いのは、この人のお母さんでしょ。
だけどいいじゃん、芥川賞作家になったんだから、とK。
☆☆
あんた、自分のまわりの人間に苦労かけても当然と思ってるでしょ。
Kは笑って言う。太宰もそうだけど、作家は借金申し込む手紙を書かせたら皆うまかった、あれで作家じゃなきゃ詐欺だ、映画プロデューサーも詐欺と同じ。
☆☆
Kが魚を食べたいと言うので、「はぎまる」に入る。
日本酒燗で2合、私も少し飲む。
ま、ひな祭りおめでとうございます、とK。
Kお望みの鮭塩焼きはなかったが、めんたいこ(これを食べると体元気になる、人間は昔魚だったのだとよくわかる、とKは言う)、鯨竜田揚げ(これもKの好物、鯨ベーコンのほうが良いらしいが)、いろいろ入ったお弁当を分け合って食す。
私はよく食べたが、Kはまた食が細くなっている。
お酒は2合で終わりにする。
3合目を飲むといつも具合が悪くなるからだめ、と私が止めた。
こっちの1本の半分はおまえが飲んだんだぞ。
そんなに飲んでないよ。
居候、3杯目はそっと出し。
ふたり笑。
☆☆
講談社の○○さんは、あんたが知ってる編集者とはレベルが違う。
編集者によって作品はどんどん変えられていくだろ。
そう、ほんとに変わっていく、○○さんが何と言うか、だいたい見当がつく。
だめですって?(とKは不安そう)
そんなこと私は一切考えない、○○さんは文芸畑の人ではないから、あんたが今思い悩んでいるようなことは一切指摘しないと思う、ポイントを明確にするための修正を指示するはず。
3章から始めたほうがいいとか、言いそうだな。
そういうことも含めて、いろいろ言ってくると思う、その指摘に従って対応すればいいのよ。
☆☆
私はいつも編集者に向けて書いている、取材のときにこういう話を聞いたよね、それをこんなふうに加筆アレンジしましたよという感じで仕事を進めている、あんたも私に向かって書けばいい、それしかない。
おまえにわからせようとすると説明になっちゃう、だからつまらなくなる、下手くそだな、俺。
小説ならば場面描写や台詞で描けることも、事実を論述するこの作品では説明になりがち、でもそこを面白く書けばいい、引用がずらずら続いて最後に自分の意見を述べて「これが結論・終わり」とするのじゃなく、地の文章に引用文を紛れ込ませる、自分の言葉をベースにして書いていく、今はそれができていない、私に向かって書いているとあんた言うけど、バカだと思われたくなくて書かずにいることが多い、自分をさらけだす覚悟ができていない。
K笑。
☆☆
「俺はもう死ぬ」なんて言うのは、10年はやいよ、体ばっかり年とっちゃって、頭の中は20年遅れてるくせに。
おまえ悪口いわせたら天下一品、絶品だな。
言っていいなら、こんなもんじゃ済まないよ、いくらでも言える。
ぐさっとくること言うもんな、そういうのを書けばいい、俺は人の悪口は書かない、「レンホウさん可愛いねっ」とかって誉め殺しをするだけ。
☆☆
おまえに金出してもらわなくてもいいように、10万部売れるようにはからってくれ、そしたらおまえを秘書にしてこき使う。
(そうしたいでしょうね。その気持ちはわかるけど)
☆☆
娘に「大学の何学部に入ったんだ」と聞いたら、「さあ?」だって。
えっ、奥さんじやなくて娘さんがそう言ったの? 反抗的だなあ、そりゃキレるでしょう。
(娘も母親と同じように、Kを非難の目で見ているということか)
キレたよ。
大学生がいると年間に車1台分くらいかかるんだってね、そんなに払っていけるの?
金融公庫からまた借りていい、と書類が届いていた。
よく貸すよね、奥さんそんなに高給取りなの?
ちゃんと返済しているから、俺じゃなくて女房がだけど、あっちは年収380万、(青山で)医療事務やってる、もともと(角○事務所で?)経理の仕事してたから、そっち方面は強いらしい、俺も去年は380万くらい収入があった、だから二人合わせて、そこそこの収入。
あんた去年仕事してた?
前半はな。
私が知ってるのは夏以降だね、そのまえにあんた三浦でロケしていたか。
震災のときも仕事していた。
(去年の収入200万と言っていなかったか? それは金融公庫に出した書類のことだから、380万というのは一昨年の収入なのか?)
奥さんは正社員?
たぶんな。
だったら、やっていけるじゃない。
でもこれがマックス、もう56歳、同い年だから、定年が近い。
(配偶者の定年後の生活のことまで心配しているのか)
上の娘さんは春から働きだすんでしょ、それに、息子さんはまだ学生だけど、自活しているのも同然なんでしょ。
あと1年、いま3年生だから。
下の娘さんはこの春から大学で、親の手がはなれるのももうじきじゃないの、負担はそれほど重くない(とはいえ、金融公庫の融資を受け続けるとなると、返済額はふくらむいっぽうだろう。借金総額はいったいいくらなのだろう)
私があんただったら、というか、あんたの奥さんだったら、家賃の安いところに引っ越して生活をコンパクトにするよ。
それは俺じゃなくて向こうに言ってくれ、なぜそうしないのか俺にはわからない、いつも住むところを決めてもらって移ってるだけ。
あんたに発言権がないのがいけない。
☆☆
あたし泣くよ、ばかばかしい。
(と言って、お猪口をどんとテーブルに置いた。酒がこぼれた)
そんな無駄金遣ってる一家のために、なぜ私が、あんたの本を10万部売ろうとがんばらなきゃいけないのよ、ばかばかしい、帰ろうかな、帰ってやろうか、卓袱台ひっくり返したい親父の気分だ、あんたたち一家のためにって、そういう文脈でしかとらえられないでしょ。
(Kやや狼狽)。
そこから抜け出すために。
(とKは一言つぶやいた)
それで私も黙ったが、Kが今すぐ抜け出さないなら、同じことなのだ。
☆☆
私は怒りが鎮まらず、腹を立てながら食事をした。
パクパク食べた。
☆☆
Kが「魚食べたい」と言うので口に入れてやったり、ごはんを分けてやったりしているうちに、気分は元に戻った。
☆☆
フェリーニの「8と2分の1」を観た、すごかった、とK。
私もあれ大好き、あれこそ映画のトランスロマネスクだと思う。
最後のシーン、でかいロケットがおっ立って、そのまわりをみんなが手をつないで取り囲む。
「人生は祝祭だ、一緒に生きよう」と言うシーンね。
フェリーニが関係した女がみんな出てきて、感動した。
いまごろ感動してるの? 遅いよ、映画人のくせに。
☆☆
あんたどうする、帰る?
バスでどこか行きたいの?
ここで放り出しても大丈夫?
(Kはこのあとの行動を決めかねているようだが、東京に戻って執筆したいのだろうと察せられる)
私はうちに帰って横になりたい。
買い物をして帰るけど、あんたも一緒にスーパーに行く?
(Kは「うん」と言わずにトイレに立つ。「直球ストレートはだめだな」とか言いながら。その間に私は会計をすませ、Kの荷物を手元に引き寄せておいた)
ずいぶん急いでるんだね、とK。
混んできたから、お店に悪いと思って、と私。
☆☆
店を出た。
Kが片手を上げる。
帰るの?
だらだらしちゃうし、甘えちゃうから。
じゃね。
(私さっさと帰ることにした)

(T子メモ)
今回のデートはいつもと違った。
武山が佳境に入っているせいなのか、Kは神経つんのめっている。
甘い会話なし、キスも抱擁もセ○クスもなし、腕を組むことさえできなくなってしまった。
時の流れとともに関係性は変化していくものだけれど、この状態が固定してしまうのは面白くない。
武山を脱稿し、先が見えて余裕ができれば、また甘い関係を楽しめるだろうか。