【2012.7.30】

(T子記す)
Kの日記ノート、古いものは紙にくるんでガムテープで留めてあった。
以前からそのようにしていた様子。
剥き出しになっていて読むことができるのは、映画の製作日誌のほか、「新しき土」の資料ノート、営業マン研修ノート、今年に入ってからの「羽根木公園生活」と題した日記ノート1冊、茅ヶ崎で見せてくれた家族写真(幼い頃の子供たちの写真が主)、アメリカにいる親戚の写真。
以上にざっと目を通し、再びバッグの封をした。
☆☆
今年1月から7月の日記を読み、落胆。
主として生活記録で、乏しい食生活、金銭やり繰り、家人のいぬ間に帰宅して用を済ませていることなど。
私と交信していることも頻繁に綴られてはいるが、主にはお金の無心と振り込みの確認をしたこと、校正リライトの仕事や○○本の経緯、企画の不十分さやライター仕事に対する不満などが綴られている。
私に対する感情は一言もない。
(メールでT子に)「なぞかけをしても埒明かず」とあるのは、やはり金銭がらみ。
「振り込みに、サンクスと送る。ヨイショを兼ねて、おまえは岸恵子のポジション」とあるのを読んで驚く。
あれはヨイショだったのか。
○○本に取りかかっている時期に、「オレは15万円を家に入れたかった。それが家庭への責任であるとすれば、その責任が果たせない仕事ごっこに意味はない。T子の愛はわかるが」と記述しているのに引っかかる。
が、「そのために資料を返却にヨコハマへ行った」となっている。
「T子」と書いていたのに、喧嘩をしてから後は苗字に変わっている。
5月5日「これでリアクションがなければ縁は切れる」との箇所もあり。
私と親密だったこの1年、あいつの頭にあったのは、お金と仕事と生活の場の確保だけだったのか。
情けない。
☆☆
だが、それだけではなかったはず、と私は諦めきれない。
Kの本心を知りたい。
新たに火のついた恋愛感情も、40年来の愛も、あったのだと思いたい。
せめて一言でも書いておいてくれたらよかったのに。
☆☆
「惚れた数から振られた数を引けば、女房が残るだけ」なんていうのもあった。
その後、「惚れた数から振られた数を引けば、誰もいないのか。女房ヨ、ごめん」と書いている。
私への思いは稀薄らしい。
認めたくないが、事実として認めるしかない。
☆☆
あーあ、やんなっちゃうな。
日記帳なんか預かるんじゃなかった。
☆☆
でもKの今後の創作活動を思えば、日記は何より大事なものであろうから、捨てさせるのは忍びがたい。
作家になることを志向する仲間として、力になってやりたかった。
だから、これでいいのだ。
私が読むことのできない古い日記は、さらに落胆させられる内容かもしれないが、それがどうした、と思うことにする。

☆☆
(例の1冊を読み返した)
3月1日、23時ヨコハマへ。「これで」よいのか。「これは」飯の種になるよな。
とある。
私のノートで事実を確認する。
「原稿ほぼ書き上がっているの?だったらちょっと遊ぼう」「これからヨコハマに行っちゃだめ?」「いいよ」となっている。
発来で待ち合わせたあの夜、あいつはそんな気持ちでいたのか。
飯の種だと。
酷くショック。
☆☆
4月2日、T子と「金貸してくれ」「イヤだ」のやりとり。T子とのやりとり決裂。関係も微妙に崩壊したかも。
4月28日、ひとつの結論が出た。T子とのクライアント関係に終止符。
4月30日、家に帰れない。実家に帰れない。T子とは関係は終わったのだろう。八方塞がり。
5月6日、昨夜の編集者の「言」はやはり励みになる。あれはT子ではないから。T子はオレを精考したのだ。あとがきだけ書いてやろう。
5月7日、追加原稿分要求。明日! 今夜なんとか! 返事は相変わらず高飛車の上から目線、本人は自分の能力に気づいていると思う。
5月22日、今月分をどーするか!? T子と修復できるのか! 死ねばいい。死にたい。切実に思う。
☆☆
そしてこう続く。
惚れた数から振られた数を引けば女房が残るだけ。
一人笑うて暮らそうよりも、二人涙で暮らしたい。
ぬしと私は卵の中よ。
わたしゃ白身できみを抱く。
諦めましたはどう諦めた。
諦めきれぬと諦めた。
嫌なお方の親切よりも、好いたお方の無理が良い。
雨の降るほど噂はあれど、ただの一度も濡れはせぬ。
七・七・七・五調。
↑これ都々逸か何かの引用か?
そうでなくK自身の作だとしたら、私は大変なショックだ。
こうして書き写しているだけでも衝撃である。
☆☆
さらに、こう続く。
「雨、パークホテル本日休業」のメールに返信はなし。その翌日。健気な二女に申し訳なし。バイトだけで足りるものではないよな女子大生。一生懸命の長女に申し訳なし。自分の人生生きろよ。新潟の長男坊、元気でいるか。元気でやれよ。もう少しだ。惚れた数から振られた数を引けば…誰もいないのか。女房ヨ、ごめん。
☆☆
6月11日に三田文学デビューの祝杯をあげた日から数日は空白になっている。そして16日「長男よごめん、1週間飲んだくれていた、T子から1万数千円」と書いてある。
6月25日「T子から連絡なし。絶望である」
☆☆
昔の日記が封印してあるのは以前からそうだったのだろうと思ったが、やはり違うと気づいた。
私が読んだノートの1冊前のノートも、そこにおさまっているのだから。
端にあったものを1冊だけ読んでみた。
83~84年、映画の仕事をやりだしてまだ間もない頃のものらしい。
仕事に夢中になっている様子、そのいっぽうで、納得のいかない仕事には「法外なギャラをよこせ」などと不満をぶつけている。
強行軍スケジュールと飲酒がたたって体調不良になっていたりもする。
今とそう変わらない。
☆☆
読書の記録もある。
☆☆
当時は東京に住んでいたようだが、仕事の関係か、横須賀に頻繁に出向いている。
☆☆
○○ちゃんと飲んでホテルに行った記述もある。
そのほか、つきあっていたと思われる女がらみの記述がいろいろある。
何人もの女、といっても数人だが。

☆☆
結婚する以前、20代終盤のKはあんなふうに過ごしていたのかと掴めた。
だが私の名は一度も出てこなかった。
当時思慕を寄せていたと思われる女性は高校の同級生?
名前などどうでもいい。
その彼女はそのときすでに結婚しており、「○○近辺に暮らしているそうだ」とKはがっかりした調子で書き綴っている。
私への思いはどうなっちゃってるのよ。
忘れていたわけではないでしょう。
折にふれ電話してきたもの。
なのになぜ書かない。
まったく頭にくる。
俺の頭を占めているのは時代と社会、日本と世界の関係、政治経済歴史地理、そうした知的レベルの高い書物、文学、そして映画の仕事、という姿勢。
女と会ったことは記しても、恋心や性愛について書くことは避けている。
そういう男なのだ。
薄情であり、同時に多情。というのとは異なるように思うが、気が多いといおうか移り気といおうか。
特筆すべきは、女を追わずに、女に追わせていること。
☆☆
私は、もう追いかけるのはやめたい。
Kはついに家族と別居する運びとなったが、映画の仕事が再開したので、これまでのようには頻繁に連絡してこないだろう。
ならば私も自制しよう。
連絡があれば、縁が切れずに続いていることを喜ぶことにしよう。
現実にそれしかない。
私がKを思う気持ちは引き続き残るだろうが、Kも私に恋をしている愛していると錯覚してはいけない。
錯覚というよりも期待かな。
その期待が満たされたこの1年ではあったけれど、それももうおしまい。
だから、これ以上は追いかけてはいけない。