【KがT子に預けた日記から、気になる箇所を書き写す】
(わたくしことT子も相当しつこい)

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(1979年、K24歳の誕生日から日記ノートがはじまる)
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1979.9.12
○子が俺を田舎へ連れていった理由はわかった。それがわかっても、俺は奴を責める気などない。
惚れている。○子は惚れている。
だが俺は奴に惚れている。わかるだろう、○○! 俺がお前の部屋で流した「苦い涙」の理由を。
時間をかけてもいい。お前は、悲しい事実をなつかしい想い出に変えてくれ。悲しい事実が、再び嬉しい事実となるなら、それもよかろう。
俺は祝福しよう。お前の幸福に、俺は口をはさまない。
しかし、そうでないのなら、なつかしい想い出になるまで、ゆっくり時間をかけよう。
その時、その時だ。
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1979.11.11
そして○○だ。わかったヨ、お前の気持ち。お前のいいようにしよう。○○へ行くなら行け。俺は離れないぜ。
酒は止めた。タダ働きは覚悟。
○○を嫁さんにする。
(T子記す/その数日後、Kは○○から妊娠を告げられている)
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1979.12.9
○○が堕胎した。
話聞いて俺、女ヤリに行っちゃう。
まるで優しさがない。
でも、男ってよ、こんなもんじゃねえの。
女にとってのメルヘンは男にとってお笑い草だし、男にとってのメルヘンは女にとって冷たさなんだよな。
別に女に俺の生き方を理解ってもらおうなんて思ってない。
到底、理解しえない。
女の観念は理解ったとしても、女の生理は理解らない。
だから、奴は泣いたのさ。
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(T子記す)
○○という女は鎌倉に住んでいた。○○19才の誕生日にKは作詞をしている。
その翌年、○○20才の誕生日には、電話での会話がかみあわないまま、「幸福を祈る」とかで終わっちゃってる。
○○というのは本名○○○○で、父親は台湾人で不在らしい。
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1979.12.30
Drink with ○○○○○○. She is now somebody’s wife. But II love you. She is very fine lady. That fact make me awakend. I should improve my life rhythm or patern. I would get like her.
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1980.1.1
要するに、○○○!
人妻になっていた○○○、じつに魅力的であります。
大人の色気もあるし。
今年1年は○○○で死ぬかもしれない。
Tel from ○○.
○○○○○○で大きく平衡感覚を乱している。
年頭に当たり、或いは25才になる年にあたり、展望なりを考えなければいけないところだけれど、駄目だ。
もし、口説きに成功していたら、イヤ、同じはずだ。
彼女は北海道に戻るだろうし……。
解決策は、或いは治療法は、○○○と似たタイプの女の娘と、同じ”常態”にもっていけばよい。
○○では──ち、が、う。
○○○Shockは、俺の状況に幾つかの影響を与えた。
今の仕事は限界に来ていることを示した。
土方じゃよ、ピアニストと交際ありえないし、知りあえない。
暴走族狂いの高校生がいいところ。
それに、ピアニストである女ができたとして、展望は開けない。
つまり、今の仕事はやめるよ!
家を出なければ、いけない。
今のままではいけない。
M Shock, Pianist, New Trad, Fare Lady & Clever.
○○○を前に、俺は何を喋ったのだ。くだらない冗談と、歯の浮くようなお世辞!
自己嫌悪、当然。
現在の病気(既往症)
初恋後遺症、ナルシスト症候群、M Shock
M Shock beated me. Today too. Drived to Honmoku with H・Y who is a lesbian. Tel from S・O, who told me that M was a fin lady and she had loved U. So that, I know all. But, I love, and loved M. What I do?
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(T子記す)
↑この初恋というのは、相手は誰、私?
翌年の日記にも、「○○○○──初恋後遺症か」との記述あり。
日記が始まったときはすでに○○○○○と終わっていたらしく、どんなつきあいをしたのか書かれていない。
それを初恋の痛手と称しているのかどうかも不明。
しかし近年は、T子のことを初恋と書いている。
となると、初恋後遺症はやはりT子とのことを指すのだろうか?
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1980.5
5月、よくないな。
<ナルシスト症候群>が必ず、発病する。
ついでに今年は<M Shock>もあるし……。
要するに、<M Shock>も<初恋後遺症>も<ナルシスト症候群>に収斂されるのだが──。
<剃髪>したというのは、<ナルシスト症候群>の発作的発病か。
あと2ヶ月で25才。
この病いともおサラバすべきだろう。
青春にしがみつくのも──。
25才。
コペルニクス的転回の思考。
オンナ──。
○○と○○。○○○。○○○さん。
○○○○。○○○○○。○○○○。○○○。○○○。
捨象──。
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(T子記す/ここまでのKの日記にT子の名は出てこない。頑ななまでに)
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1980 July.5(sat)fine
夜起床。
PM10:00 T子よりTEL。
「本人を前にせず、記事の批判をするのは不当である」とT子。
「編集部内において、記事に関して討議をするのはあたりまえである」
「たったあれだけで全てを批判しないで欲しい」とT子。
「それも欺瞞である。書かれたものは全てになる可能性だってある。然らば百歩譲ろう。○○氏が『女性解放』という命題をもっていることを俺は知っていたから、そういう批判をした。知らないとしたのなら、只のバカバカしい、読むに足らんものになる」
『九月の冗談クラブバンド』レイ子役、いい女、実に○○○に似ているのである。
ネム役は○○○○子。「コ○○おにいちゃん」を繰り返す。
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(T子記す)
岸壁の落書きで最も大きな文字だった「T子」は、果たして誰のことなのだろうか。
ビデオを観て確かめたところ、一番目立つところに「T子」とあり、それと同じくらいの大きさで、左下のほうに「○○○」の文字あり。
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1980 July.6(sun)rain
T子の記事に関して、「負けを宣言しよう」と思う。
T子が電話してきたことに関して、論争の価値はないと思う。
俺が勝てば、男社会に負けたと言うだろうし、俺が負ければ、奴は、それを女性の勝利とするか。
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(T子記す)
↑T子を「奴」と書いていることに注目したい。
1979.9.12の日記に「俺は奴に惚れている」と記され、その「奴」が誰なのか不明な点も注目に値する。
しかし、それはやはりT子のことではないのだろう。
ずっと先になって、鎌倉在住の女性を「奴」と書いているので、その女性のことかもしれない。
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1980 Nov.30(sun)fine
阿部薫の写真をゴールデン街で見た。
しかも松田政男と飲んでいる時に!
阿部薫は覚えているだろうか。鈴木いづみと毎晩電話していた女がいるだろう、その時相手の女のベッドに一緒にいたのがオレさ!
鈴木いづみがオレに言った。「あんたみたいなのは死んだ方がいいよ」。
そして女に「別れな。そんな男どうしようもないよ」。
阿部薫は──
合掌
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1981.2
ヨコスカ、○○○○を誘い、浮気。
欲望の処理にあらず、精神衛生を保つ為なり。
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(T子記す)
○○○○、○○○○○、○○○○、いずれもKは手を出していたらしい。
○○○○の紹介で○○○○かもしれない。
その後、○○○○を口説いても断られている。
日記に「自己嫌悪」とある。
女を口説いても、自分から「好き」とは言わない、とKは明言している。
Kは○○ちゃんをモーテルに誘うが、一度は断られている。「キス、脚を開く、すんなり、豊潤すぎる、処女だろ、この次俺に会うときは覚悟しとけよ」と書いている。ということは、このときは指だけだったのか。あははは。
ちなみに、○○○○も処女だったらしい。
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1981 Mar.28(sat)fine
T子よりTEL
「ねえ、T子です。お久し振りに飲みませんか」「あたしネ、Kくんが死んだ夢みたのヨネ」
「簡単に殺すなヨナ」
(at ヨコハマ元町コージーコーナー)
「どっか、赤ちょうちんやってないのかな」
「ナニいってるんだヨ、もう6時だぜ」
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(T子記す)
あの当時のKは女出入りがずいぶん激しかったようで、だから私に会っても食指が動かなかったのか。
私のことを忘れていられる環境にあったことは事実のようだ。
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1981 Aug.26(wed)fine
午后5時30分起床。
昼過ぎ、○○○○よりTELあるも、夢の中。
7時、T子より、TEL。
9時、○○○○よりTEL、明日は精算提出になるも、全くやる気にならず。
手紙を書こうとするが、これまた、ままならず。
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(T子記す)
この頃のKは日記のどこかにこう書いている。「女がほしくてたまらない。が、ままならず」と。
81年9月頃から、○○○○とつきあいだした様子。○○が「1年前から好きでしたと言った」とある。
「82、夏、○○とともに」とKは日記帳裏表紙に書いている。
「愛している」という言葉が使われている。
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1983 Jan.8(sat)cloud
少し暖かいか。雨上がりの街。タクシーでにっかつへ。
午后1時。「昭和の詩歌俳句史」など読みつつ、時間を殺す。
午后3時を廻り限界。
T子にTEL、7時に横須賀で会う約束をする。
○○にTEL、ただ事実だけ。
午后5時の時報をあぶずりの港で聞く。
潮の香をたくさんふくんだ時報。
やがてまもなく夕闇の支配。
ワシントンホテルロビーでT子と会う。
「笑うなよ、髪の毛短いけど」。
いい女になったじゃないか。
「老けたな」「白髪があるよ」。
米ケ浜と汐入の飲み屋で飲み、ホテル横須賀。
朝までチャレンジさせられるが、オーバードリンク。
「このままで帰すの──恥ずかしくないの、ねえ──イカしてくれないの──」「────」
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1983 Jan.9(sun)Fine
横須賀の裏街を、安物の毛皮を着た女と、午前中から腕を絡ませ、つまずきながら歩いた。
路地の最奥に岸壁が見え、そして小さく海が見えた。
女は朝方までルームサービスに酒を持ってこさせた。
女が唇を押しつけてくる。酒臭い。舌を絡ませてくる。「愛してるか」と聞く。曖昧に返事をする。
「ねえ、今日のコトが原因で離婚することになったら、どうする」
京浜急行の駅で別れた。
これから中華街で新年会だという。
「向い酒で丁度いいかもしれないわ」と女は言った。
すばる文学賞受賞作品「沙耶の透視図」とかのやつを読む。
東京移住の準備。
午后11時 狛江。
渡嘉敷4度目の防衛平均年齢30歳の水玉消防団を高速の上で聞く。
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1983 MAY.9(mon)Fine
T子よりTEL 「もう会ってはいけないって」

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1983 Feb.9(wed)Fine
○○○との約束をおもいだす。
2月5日、何日か、TELすること──
奥さん──先日「あたしと同じ位かしら」といった──が桜の花の満開の下の池を見つめては、「衣裳部の太郎さんがねさびしいっていってましたよ」「Kさんは?」「車輌部のお見舞いありがとうございました。毎日!」「毎日だなんて、2回よ。Kさんだったら毎日行くけど」
オイラ、久し振りに恋をしてしまったのである。照れて顔が見られないのである。まるで高校生のように──
そしてあの奥さんも俺に、特別な感情を持ったのだと思う。
今日オイラの視野の端に絶えず、見え隠れした。
「みなさん帰られますと、さびしいですね」って──あの強気の勝気の奥さんがうそのように、何肌かへ消えて(?)、まるで女子高生。
京都のお(??)──俺、惚れたのである。
久しぶりに女に惚れたのである。
1983年の2月が終わった。
桜の季節は最悪である、といつも言っているが、最悪が始まりつつあるのか、それとも早まっただけなのか。
(中略)
次なるMY Themeは何だろうか。
いつもそうなのだが、このテーマを探る瞬間は、女は邪魔でしかたない。
ひとりでいたいと思う。
とても他者を思いやることができないのである。
去年の今頃は(中略)
その前の年は「むうぶYokosuka」を準備しはじめ、山口百恵へのさまざまなオマージュをつらねていた。○○に会った頃でもある。
そして、その前は、卒業式を前に「土方」を生業と定め、浄化槽の穴を掘り、家屋解体屋としてダンプを運転しはじめた。
その前は──「失恋」だ。
「ZUISEN TEMPLE」という歌を作った。
その前は──恋の真っ最中で、「○○ 印象PART 1」を作った。
そうだ、鎌倉のやつの部屋で。
その前の年は、大学をやめようと思い、何もしなかった。
小説を書こうとした。「ミドにブラックソープを」っていうやつ。
更にその前は、○○○○○が合格して俺が落ちた早稲田、結局、ガラガラの井の頭線に乗って遅れていった明大前の冬の陽が暖かかった。
そしてその前は、早稲田に合格するのはムズかしいと判断ができて受験勉強をしようと思った。
10年が過ぎた。
昨日のことのようにはっきりと覚えている。
では、来年の今頃は──
(中略)
何人かの女が過ぎていった。
果たして愛していたのだろうか。
何人かの女と遊んだのか。
果たして遊んだのだろうか。
今、女たちは、どうしているのだろう。
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1983 MAR.23(wed)Rain
10時起床。
11時スタッフルームにTEL。
スケジュール変更の報、急いで、2時間かけて大映へ。
ところが別段することもなし。
「もどり川」領収書整理。
谷恒生「ホーン岬」
熱海にTEL。
そのあと、調布駅で劇的対面。
「運命」をはっきりと感じてしまう。
お互いにあきらめきったところで会ってしまう。
「勢い」は誰にも止められないではないか。
「不貞」を為させ、「人妻」とベッドをともにしてしまった。
「○○さん」と呼びかけた。
「○○さん」と呼ぼうと思ったのだが──
雨は降りしきり、新宿の街が雨に煙る。
午前2時を回り、意志的に抱く。
彼女は意志的に抱かれたはずだし、そう望んでいた。
それは思い込みではない。
罪の意識など、なし。
「夢であったら、さめないでほしい」と。
自宅のTELと実家のTELNO.──
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(T子記す)
Kが運命を感じたというのは、熱海の女将と調布駅で劇的対面をしたことだけではないらしい。
○○が入院していたのと同じ病院、同じ病室に伯母がいたこと、○○を乗せた車から○○さんの姿を目撃したことも運命的だと思っていたようだ。
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1983 MAR.24(thu)cloud
午前7時、新宿ハイアット17F、街は雨。
彼女は朝一番の新幹線こだまで熱海へ帰った。
明日また来ると言い残して。
宿酔、シャワー全く効果なく。
10時に再び新宿に来なくてはならないのである。
9時、宮土リースにて車を借り、10時ロールスロイスで大谷氏とドッキング。
平山ちゃんに会う。
崔さんのテレビが入っているという。
大久保で荷物を受け取り、途中、昼食のあと、大映へ。
昼食摂り、宿酔少し和らぐ。
少しずつ、昨夜のコトを考える。
「夢であったら、さめないでほしい」と彼女は言ったのだが、夢のようなできごとである。
やはり今年、脚本を書こうと思う。
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(T子記す)
「椎名町物語」と題された日記帳が2冊。この頃からKは○子宅に居候して、同棲、結婚へと進んだらしい。
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1984 May8(tue)fine
快晴。全く夏。
○子のポロを着て出る。
まず東映へ残フィルム整理。
○子を先に出し、ついつい三浦疑獄報道に見入る。
おはようナイスデイ、フジ枠である。
○子のタンスやドレッサーを見る。
出てきた昔の男の存在。
ビーズのサイフに入った、いくつか残ったスキン。
そりゃそうだ、もう30女だもの。
ブスの若い頃の写真。
気分は初夏。
触れあう素肌が、しかし心地良く。
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1984 May13(sun)rain
○○に「別れよう」とTELし、「イヤだ、絶対別れない」のハナし、そこへ帰ってくる○子。
ほとんどカッコイイすけこましだぜ、と口で言っても胃が痛いのである。
板鹿と、「くられしか」○○のハナシがテーマだが、やはり口説こうと思う。
しかし、すでに飲みすぎた。
○子と暮らすこと、呼吸は合うようだ。
帰宅後、やはり酒を飲み、○子を抱き、オールナイトフジを眺め、午前3時、就寝。
夜中に帰宅、そのまま絡みあい、明けて、しばし睡眠。
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1984 June13(wed)rain
何故○子と一緒にいるのか。
○○○と俺と変わらないではないか──
写真や手紙を見て、軽く嫉妬をおぼえ、しかしまた自分自身も思うままにならないのは何故か。
○○○子にとって、俺は、○子の○君ではないか。
○子にネックレスを買う。\38,000
○子の身体、俺に馴れてくる。
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1984 July13(fri)fine
TAXIが明治通りと早稲田通りと交叉した。
信号待ち、うつむいている女、水玉のワンピース姿、両手に荷物を持ち、買い物帰りの主婦。
一瞬心臓が止まるのではないか、TAXIに「止まってくれ」と言った時、戸塚警察の前を過ぎた。
○○○○○である。間違うはずがない。あまりに疲れた顔、寂しそうな顔に見えた。
TAXIを一度明治通りに入れUターンを試みるが、渋滞。
もし声をかけたら何と答えただろう。何と尋ねればよいのだろう。
8年ぐらいだ。亭主とはうまくいっているのだろうか。いってるのだろうな。
早鐘。
正月に見かけただろう。笑って話しかけられないよナ。たまんねえナ。運命かしら──。
一瞬の交錯、運命と諦める。