【KがT子に預けた日記から、気になる箇所を書き写す】
1984 Oct.25(thu)fine
橫浜にT子の事務所を訪れる。

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1984 Dec.26(wed)fine
○○に電話、○○の消息を尋ねる。
「恋人ができたみたいヨ」と。「○○じゃねえだろうナ」とは口に出して言えず、○○は女々しいと思ったかもしれぬ。
別に嫌いになったわけじゃないものナ。
只、彼女が世間体とかにこだわりすぎたんだろうな。
それとやはり、エリート意識が強すぎるのと、確実にオイラとはジェネレーションが異なり、価値観がちがう。随分とちがうものだなあ。
アクセサリーとして、オイラが丁度ヨカったのか──
格好つけていえば、オイラの無名性の限界に達したということだ。
○子は、楽なんだ。そのあたりが北海道の女かもしれぬが、土地にこだわりがないということは、家とか、要するに世間体なのだが。
それと○子の場合、末っ子といのも大きな要素かもしれぬ。
くどくど書くのはやめよう。
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1984 Dec.29(sat)fine
○子と一緒にいる理由を、それは即ち、○子とわかれた理由なのだが──
一緒にラグビーを観に行ったと、フェアレディZを乗り回していると、やはり妬けるのだが──
俺とわかれた女はいい女になる。
○○○○が「○○○ちゃんどうしたの」、俺「○○にやったのさ」、○○「そうだよ、俺がもらったんだよ」。真意は何処に。
○○はもうひとつ言った。「両親が公認した恋人ができたってサ」。それは○○ではないのか──
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1984 Dec.30(sun)fine
駅のホームで「わあ、夕焼けがきれい」といった○子に無性に腹が立った。
○子を思い出したのかもしれぬ。
少なくとも買物は俺の方がうまい。
制作部の段取りである。
トーゼンであるが──
明日、おせち料理を買う。
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(T子記す)
私が池袋で暮らしたのは78-79年。ということは、77年の1年間、私は横須賀で○○とつきあっていたことになる。
Kと終わったのは76年中のことか。
その後あいつは、いったい何人の女とつきあったことか。
私と別れてすぐに、ほかの女に恋をしている。
そういう年頃でもあったし、私だってほかの男に夢中になれたのだから、まあ致し方ないか。
だけど、アンフォゲッタブルじゃないみたい。
○○○○○はKを導く女、菩薩? 後年そんな夢を見たようなことが書かれているが、どんなつきあいだったのかは書かれていない。
79年夏には、19歳鎌倉の女がいた。「惚れている、○○を嫁さんにする」とKは書いてる。しかしどんな女性で、どんなつきあいで、どんなふうに好きだったのかわからない、書いていない。
○○○○○を口説いて失敗したらしい。でも話をして強烈な刺激を受け、生き方を変えたとある。「人妻になっていたが実に魅力的、大人の色気もあるし、今年1年は○○○で死ねるかもしれない」だと。
○○○という女性には私も会ったことがある。○○○という飲み屋を経営していた。Kは彼女とは一時的なつきあいだったのか。しかしその間も、彼女にお金を遣わせていたらしい。
トルコ上町の女。
○○○○○。
○○○○○。(たぶん口説いてないと思う)
○○○○。(彼女のほうでは気があったと思う。Kが口説いたかどうかは不明)
○○○○○。(中学が一緒。でも彼女が子供2人産んでから会って口説いている。それ以前にも寝ている可能性大)
○○○○。(どこまで深いつきあいなのか不明)
○○○○○。(長崎プロの女優らしい。どこまで深いつきあいなのか不明)
○○○○。(映画関係者らしい。どこまで深いつきあいなのか不明。厚木)
○○○○。(80年に知り合い、84年頃まで続いている。82-83年はかなり親密。日記帳の扉に「○○○とともに」なんて記してある。電話、手紙、デートをして、「12時門限のシンデレラを大和まで送っていく」。車があったから? 「高速を走りながらキス、海を歩きながらキス、一日中ニャンニャンしようか」、そんな記述もある。九月の冗談クラブバンドに主演のレイ子役の女に実に似ているとのこと。彼女がそっと腕を絡めてくるのを楽しんでいたらしい。別れ話になると意志的に殴ってベッドに持ち込んだ。ごまかされないからねと言われながら。多分お互いに出会ってすぐに惹かれあったのだろう。彼女はKに「1年前から好きでした」と告白している。2、3年つきあったのか。結婚を望んでいた。母親とジョイナスの寿司屋で話したというのは、この女のことらしい。博報堂に就職)
↑この女性と親密交際の時期に、Kは私と会っている。ほかの女2人とも関係している。そのうちの誰かに毛ジラミを感染させられた一件あり、そのことを日記に書いている。
続いて、東京で女の世話になっている。何とかいう女で、「下品にも縦ロール、まったく似合っていない」「こいつと一緒にいるのは苦痛。もっといい女を探さなければ」とKは書いている。
○子に関する記述は84年から。
「○子は風呂付のアパートに引っ越すことを思いつき、そればかりを考えている。住居費の8万円は何を意味するのか、オイラはあまり乗り気ではない──が何とかなるだろう。と思わないと、できないことかもしれない。そして○子は即断即行した模様。○子は妊娠したのではないだろうか。引っ越しを急いだのは、母親の本能が巣作りをさせた。多分○子の巧妙な作戦に負けたのだと思うが、夫婦ごっこがごっこで済まなくなりそうだ。冗談抜きで、抜きさしならぬ状況である」と書いている。
このとき30歳、生理が遅れ、病院へ行ってきた彼女はいきなり出産予定日を告げている。堕胎の話を切り出して修羅場、中絶手術、「五月蠅い○子を寝静まらせる。欲張りめ3回もイキやがった。1週間知らん顔してたから無理はないか」と書いている。
Kは当初から金銭的に世話になっている様子。
「出ていけ」の喧嘩が繰り返されている。
映画の仕事と同時にヨコハマヨコスカの小説&シナリオを書いてモノにしようとしているが簡単にはいかず、「女を抱くというのは旅によく似ている。SEXをいたして○子の機嫌やっと返り、いびきをかいて眠る。人生とはこんなものなのだ」と書いている。
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1986.May.5(mon)fine
○○○○との再会は、まさしく不倫にして、清?であろう。
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1986.May.11(sun)cloud
朝から○子と別ればなし。遅かれ早かれ。
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(T子記す/その前日、「○子不在、○○○○とTEL」とある)
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1986.May.14(wed)cloud
○子と別れ話。その途中、○○よりTEL、火に油を注ぐ格好。
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1986.Jun.1(sun)fine
○子と戯れる。
身体中、手足の筋肉が痛い。
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(T子記す/その後も「○子と戯れる」の記述が散見される。しかし数か月に1度の割合)
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1986.Sep.14(sun)fine
帰宅後、○子と「愛してる」か「愛してないか」激しく交尾する。
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1986.Sep.15(mon)rain
激しいSEXの疲れが残るが、それでも頭の中は未だ渇いている。
満足していない。
破滅に近づいているのか。
夜、○○○宅へ。飲む。
明け方、思い出したように、交わり、火花が散る。
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1986.Sep.23(tue)fine
夜、○子と相模湖ドライブ。オープン&カーセックス。
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1986.Oct.6(mon)fine
午前9時帰宅、依然として○子とやりあう。
やがて、生理の中、交わる。
「あたしの血で消毒してやる。やってよ、一晩中、姦ってよ」
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(T子記す/その前日は、「午前様で帰宅、○子に怒られ、ひたすら謝る」とある)
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1986.Oct.28(tue)cloudy
○子、朝から怒る。
「誰の家に泊まってたんだ」という追求はやがて<別れる・別れない>に文脈転化し、さらに、「結婚する気があるのかないのか」というハナシになる。
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1986.Oct.29(wed)cloudy
昨夜帰宅后、○子と絡む。
「姦ってよ、いいから入れてよ、イカしてよ」
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1987 Jan.28(wed)
昨夜見た夢。
○○○○○だった。美しい女になっていた。
俺は声をかけた。「飯でも喰いましょうか」と。
彼女は、プイと横を向いて、それっきり。
夢の中で過去を悔い、恥じた。
やるせなさが夢の中に充満していた。
汚れちまった悲しみが、夢を支配した。
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1987 Mar.9(mon)cloudy
南海タイムスに行く。
島の唯一の、しかし由緒ある、だが小さな新聞、そこの記者。
うらやましい限りである。
本当はこういう生活がしたいのだ。
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1987 May.15(sun)cloud
花見 帰宅後、あばれる。
「別れる」「別れる」「別れない」
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1987 Aug.20(thu)Fine
たえず○子と別れることを考えていた。
ひとりになりたいというのが切実である。
もう他人と一緒に暮らすのは無理なのだろうか。
もう夏も終わる。
さて、どうするか。
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1987 Aug.26(wed)Fine
○子の親族への挨拶。ままならぬのである。
しかし俺は○子と結婚生活と呼べるものを続けることができないのだろうか。
一緒にいることに疲労していないだろうか。
そして甘えていないか。
経済的には○子におぶさりっぱなしである。
”ヒモ”の生活。
だが、”ヒモ”として胸の張れるものではない。
”ヒモ”とは、もっと得体の知れぬ浮遊人でいたい。
俺は今、オリに閉じ込められているようだ。
女に頼って独立したのだから。
この先、どうなるのだろうか。
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1988 Apr.26(tue)
目覚めると京王プラザ23F。
新宿の町が春にかすんでいる。
隣のベッドにいる女王訝る。
が、徐々に記憶を戻す。
ルームサービスで飯を喰い、タクシーでにっかつ撮影所へ。
5万円散財。
ひどい宿酔である。
そのまま○○○○のアパートへ。
年に1度はこういうこともある。
P.M.9:00帰宅。
○子とやりあう。
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1988 Jul.29(wed)
(妹を)自宅へ連れてくる。
妹、好転見られない。
依存心強く、俺と○子が寝静まったところでは眠れないのか。
合間に○子と契り。という日もあれば、妹を実家に預け、○子とモーテルへ。
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(T子記す/妹は7月一杯で実家に帰した模様)
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1988 Aug.10(wed)rain
完全に破産した33才の夏が過ぎてゆく。
○子はクソリアリズムで妻を主張してくる。
が、俺の頭の中の回路は切り替わらない。
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1989.May.27(sat)fine
○○○○と一晩飲み歩く。
ホテルを出たり入ったり、痴戯に等しく酔っ払いの同級生。
基本的に、こんな飲み方は嫌いではないのだが。
○○との夜は戯れ事に終始するのか、どうなるのか。
キスしあい、触りあい、しかし性急にコトは進まず。
さあ、どうする。
しかし久し振りにトキメイたけれど。
女には惚れない。
だが惚れさせろ、だ。
女も振り向けさせられなくて、何が映画ぞ?
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1989.May.30(tue)fine
娘誕生
午前5時30分、TELが鳴る。
「4時20分、女児誕生」思わず「やったー」と叫ぶ。
宿酔のまま女子医大へ。
まず、子供を見る。
五体満足、に安心する。
口唇を動かし、まさしく「オギャー」と泣く。
「羊水を飲んだようなので少し熱が高いし、逆子なのでお尻が膨れている」
OK。元気に手足を動かしているじゃないか。
大人びた顔をしている!
鼻は高いじゃないか!
魅力的な口唇じゃないか!
これが俺の子供か。
○子が車椅子に乗って現れる。
今までの知っている彼女の中でいちばんいい顔をしている。
穏やかな顔。
慈母という言葉が浮かんでくる。
「ごくろうさま」俺はそう言ってしまった。
とにかく安心。
○子は言う。「生まれた瞬間、5秒後、おぎゃーという泣き声を聞いて女の子とわかった」と。そして、「天使だ、と思った」と言う。
安心して帰り、祝杯。
北海道と金沢とヨコスカに連絡。
○○に連絡する。
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1990 Apr.20(fri)cloudy
○○○○○にTEL。
結局、○○○を媒介として、○○と話しているのかなあ。
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1991 May.17(sun)fine
AM 娘、妻伴い、<水子供養>に、玉川大師へ。
「あたちも、お参りした方がいいの」
「○○ちゃん、お姉ちゃんだったから、お兄ちゃんだったから」
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1991 Aug.6(tue)
午前中、○子女子医大へ。
第二子妊娠。めでたいことだーねー!
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1991 Sep.23(mon)fine
T子が電話機の向こうで驚く。「えっ、子供がいるの?! ひとりだけ、幸せになるなよ」、そして付け足した。「絶対、結婚なんてしないし、子供なんてつくらない人だと──」
俺もそう思っていた。
それが人生の不思議なところだ。
T子と知りあって20年、5年位付き合って、それから5年後に一度飲んで、それからまた5年が過ぎたのか……
笑うなよ、国民年金とか国民健康保険にも入ってんだぞ……

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1992 Mar.25(wed)cloud
明け方、○子陣痛。
TAXIで女子医大。
娘とデニーズで朝食後、9時帰宅。
9時17分、男児生まれる。
午、女子医大へ。
長男と対面するも、そっくりだ、オイラに……
分娩室に入って19万。
本編編集室に顔を出す。
すぐ帰る。
とりあえず昼寝。
「ヨカッたね、パパ。パパと○○○、ヒルネができて」
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1992 June.19(fri)fine
梅雨の中休み状態。
ヨコスカへ、不要になったTVを持って行く。
○○、初めて祖母に会い、抱かれることになった。
不思議な気分である。照れくさくもあり……
もうヨコスカを出て12年になるのか、という感慨もあらたに。
こうして娘と息子がいて、一家を成していることが不思議だ。
しかし、内実は、破産寸前だ。
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1992 June.20(sat)rain
東京の世田谷のマンションに住んで、自家用車があって、BSTVがあって、コードレスPHONEがあって、娘と息子がいて、住民税を65万近く請求されて……
俺らの人生のバランスシートねえ。
性格破産者状況は大分大人になって改善されたようだが、いや考え方が、極めてファジーになったのかもしれないが、その分、本当に破産しそうだな。
まさかバブル経済の破綻のしわ寄せが、こんなオイラにまで降りかかってくるとは思わなかった。
一売の面倒もあるし。
去年の収入が1000万を超えたという事実は重たいな。
今年は、100+80×3=340万しか稼いでない。
しまった。契約しとけばヨカッた。ヨミが甘いな。
夜、本当にあった怖い話に、シノプシスを起こす。