【KがT子に預けた日記から、気になる箇所を書き写す】

1992 July.17(fri)rain
午後にっかつへ。
T子よりTELあり。「別れたんだよ、ねぇ──」
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1992 Nov.29(sun)
昼にっかつ、午後ヨコハマへ。
T子と会い、少し(何て書いてあるか読めない)

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1993 Feb.15(mon)Fine
○子、女子医大へ。
懐妊、第三子。
目の前、真っ暗!「避妊してたはずだよな」。
それでも、卵子に結合してしまった我が細胞。
見事な根性だ。見てみたい気がする。
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1993 Feb.16(tue)Fine
引っ越すべきだと思う。
4LDKが必要だ。
その為に、リーズナブルなBodjetから考えると、遠くならざるを得ないなあ。
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1993 Feb.22(mon)Fine
何もなく、ともかく午後にっかつへ入る。
そろそろ、にっかつは秒読みだ……
家を買う。ローンの人質に。
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1993 May.1(mon)Fine
○子、生保にて金策。
マンション手付金100万円を払う。
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1993 July.27(tue)Fine
梅雨明け。
引っ越しと片づけ大物終わり、落ち着く。
13万のLDKで子供と戯れ、幸せをかみしめる。
大の字になって寝て、どこにもぶつからない。
バブルのおかげだ。
6000万の物件が4000万弱なんだから、担保権はついているものの、自分名義の登録簿を、見た。
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(T子記す/↑しかしこの頃、Kはサラ金数社に借りている模様)
(T子記す/9月、第三子次女誕生)
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1999.Jan.2(sat)fine
○子と子供たち、羽田に送る。
5日までの3日間、書く。
親父よりTEL「来ないのか?」。
イヤ、貴重なひとりの時間、まず、アダルトビデオを借りて……
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(T子記す/安重根の企画が持ち込まれたのは、↑この頃か?)
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1999.Sep.24(fri)cloud
この情況下でSMAPのコンサートに行く○子の気が知れず…
もっとも、彼女は働かない我を、気が知れずと思っているのだろうが…
金の切れ目が縁の切れ目ということだろうか!
子供がいなけりゃ別れてるだろう。
○○だけでも別れてるだろう。
○○、○○○は(??)である。
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1999.Oct.14 (thu)fine
帰宅して、結局、飲み続ける。
無邪気な子供たちの姿が、我が身の不甲斐なさを責めるように迫ってくるのだ……
いたたまれない。
それで、○子に生活のやり直しを提案するのだが……
前向きに考えよう。
家を売る方向(私きく)、10-20万の仕事でも、やる気がなくても、今はしてほしい。
幼稚園はせめて、やめさせたくない。
習い事は我慢させる。
車は処分。
保険解約etc.
年内は何とか、がんばりたい。
来年の仕事、あることを信じたい。
今、私が考えていることは以上です。
ぐっさりと、それでも○子が”前向きに考えよう”と言ってくれたことは嬉しい。
しかし現実は…確かに、絶望していたことは…辛い。
(その翌日)車の処分のTEL
皮肉なものである。
仕事がなくて、妻子に責められ追い込まれ、自己喪失状態になり、面接に行くも、その途端の仕事である。
車を失うということは、かなりアイデンティティーに関わるようだ。
自己喪失になりかねない。
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(T子記す/Kは横須賀の実家にお金の無心をしに行っている。毎度のことのようだ。言い出せずに帰ることもあったようだ)
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2001年
(T子記す)
Kは何度となく実家でお金の無心をしている。
妹にも借りている。
読んでいてご両親が気の毒だった。
親からお金をせしめた数日後、妻の誕生日に家族で中華料理レストラン&カラオケ、「真夏の果実」を妻と歌って泣いたりしている。
1000万近く稼いだ年も「貧、エンジェル係数が高い、習い事だけで100万」と書いている。
子供たちへの謝罪の言葉が綴ってあり、息子には「金儲けのうまい人になって姉妹の面倒をみてくれママのこともな」と。
「どうする、離婚するのか、自殺するのか、死んでしまいたい、それでも飲む、飲んで死のうとしているのか」などの記述もあり。
○○邸(短歌のおねえちゃん)で食事、泊も頻繁。
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2002年
(T子記す)
Kはこの年、警備員の仕事。
○○邸をたびたび訪れている。数日おきに、という頻度。
○○も酒飲みなのでKはつきあいやすかったらしい。
上海へ旅もしている。
そしてKは、この○○に200万借りている。
「さらに融通してもらうつもりだ」とある。
○○はやさしくて、Kが集中してものを書けるよう、「何処かに家を借りましょうか」などと言ったらしい。
そこにKは、「○○は”関係”の証として入り込む場所と解釈するのだ。○○の立場をはっきりさせないと、二人とも苦しくなる、いや三人か」と書いている。
Kは○○を○○と呼んでいた模様。
ある日、○○邸で呼吸が苦しくなり救急車で新宿のJR中央病院に緊急入院。
数日後、家族と○○が病院で鉢合わせ。
「妻が子供を盾に乗り込んだ」と日記にある。
「○○には済まなく思う。この1年面倒を見て貰った。彼女がいなければオレは野垂れ死にしたコトだろう。でもなあ、○子も気づかうのはオレの身体だろ、最初は。やっぱり、よくはないヨ。そうやって、結局、精神的なストレスが……。退院して、○子とは1年だぶりか」と書く。
○○とはその後も続いていたらしい。「一発一万」と書いている。
「横須賀のことを書きたい」とあるのはいいのだが、横須賀時代を懐かしんで登場する女は○○○○と○○○○(○○の友達らしい)。
私のことはどうなっちゃってるの。

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2003年
(T子記す/「小田急経堂で警備員」「自己破産」、これを「再生に向かっている」とKは書いている)
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5月11日
「相談したいことがある」と○○よりメール。
面倒臭い物言いだな。
色々と世話にはなった。
感謝はするが、こういう持って回った回りくどい言い方は鼻につく。
潮時かもしれない。
それにしても、あいつにいったいいくら借りているんだろう。
300万くらいか。
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5月13日 ○子と風呂
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5月16日 ○子、雨の中、トンカツ弁当作ってもってくる。
Thank you!
短歌入選 佐々木幸綱撰 小躍りする。
嬉しい。嬉しくて涙があふれる。
歌人ごっこは許されたようだ。
○○邸に行って、しかしなあ、アフターケアが面倒くさいし、更にまた、そのアフターケアを○子にしなければならないし……。
夜、○子に挑む。
女と生まれたからには、女とは何かを悟らせる為に、頑張るのだ。
金も家もなくなったが、女であることの実感くらいは持たせてあげる。
○○よりTEL、四の五のと言う。
金を借りてしまった負い目もある。
いったい何時返せるのだろう。
踏み倒せるような額ではない。
○○の「あるクリスマス」と「初冬」を読む。
小説のスタイルをとった告白、それを私小説と呼ぶのだが。
しかし我に向かってくれば、それはもはやストーキングに近い。
が、頑固に拒絶するには、200万ばかりの借金が後ろめたくもある。
それでも、小説はある距離感を理解し、それを保とうとする、すなわち、これまでのなし崩し的な仮想男と女の関係を精算する意志は指し示している。
可能かどうかはわからない。
少なくとも、この二作を書き、我に読ませるということによって、距離のある関係を受け入れようとするのである。
当初、オレとの関係をモチーフにした”私小説”をオレに読ませるなど悪趣味、嫌味、イヤがらせ、ゴミ箱に叩き込もうとしたのだが……
まあ読んだ。
○○の距離感がどれ位であるか推し量る為に。
少なくとも、かつての濃密さからは離れてきている。
結局、負うた借金の額が Pity is Akin to Love という錯覚のままに来てしまった。
むしろ”同志”という感覚であり、”感情”であったが……。
イヤ、それは我にしても詭弁である。
小説として「初冬」は、そのシチュエーションが面白い。
男の妻が女に言う台詞はリアルだ。
あたりまえだ。○子が○○に放った言葉なのだから。
「あるクリスマス」も、上海にセンチメンタルジャーニーする動機が極めて、我が私小説的状況の反映なのだが、そこをボカすかフィクションとすれば、ある教養が現在の上海を知的に観察している。
ただ、作者自身が何者であるか詳らかにしていない。
明仁と「ジミー」の伏線は効いている。
明仁をもって前でうってもよい。
少し安心したかな、というところ。
しかし少しずつ距離を広げていこう。
きっと、笑い乍ら、カラッと飲める時も来るだろうから。
生きていれば。
○○の”小説”を破って捨てた。
もう、そういう関係にするしかないだろう。
わが”文学”があるとすれば、それは結局ひとりで、自己の裡で収斂するしかないのだろう。
啄木いうところの”瞬間の文学”だけは、”警備員”のうちにも、できうる。
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9月 ○○邸より荷物引き取れ、と○○に命ありとのコト。
心が痛むのではある。
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2004年
宅配便のバイト
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Mar.8
T子より、フリーライターの仕事紹介される。

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Mar.10
T子の紹介のライター業がうまくゆくとよいのだが。如何なるセールスプロモーションをはかればよいか。
出版企画5本、運営企画(コラム)5本を課してみようか。
1週間の時間である。
T子よりのメール、16日のライター面接、気楽でいいんじゃないかと。
まあ、期待せず、それでもモノ凄くチャンス、しかも報酬があるとすれば、是非やらせてください、だ。
自信は?あるのか。ある。
しかし空回りしないように。
とりあえずSPを整えておこう。
T子の真意は別のところにあるような気がしないでもないが。
16日は飲みに行くだろうな。
ゴールデン街”銀河系”でものぞいてみようかな。
阿部薫の??とかな。
明日T子と会う。
準備必要だとは思うのだが。そっちは未だ手をつけない。
三浦の若○との<映画館のない町の映画祭><海の撮影所>という<夢>を見ている。
人は<夢>に生きる。
男の子は<夢>を見て生きる。
そんなに長くない残りの人生。<Web撮影所>開設というコンセプトは悪くない。
オレの<満映>。
前人未踏。
デイズのHPではリアリティーがなかったのだ。どうなるだろう。
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3月16日
池袋でT子と5年振りくらいに会う。
ゴーストライターとして印税生活者になった、彼女が編集者を紹介してくれるという。
<○○○○>○○○と会う。
登録ライター制度。ライターのアウトソーシング。いわば派遣システムみたいなもんだ。
T子、現役の売れっ子ライターの紹介じゃ仕方がない、ということだ。
登録はしてくれるということだ。
ただし仕事が来るかどうかは、また別の問題。
彼を前にすれば、こっちは映画のプロデューサー、企画から立ち上げまで、金を稼いでいれば、編集者としてはどっちが力量があるか疑わしい。
金を稼いでいるか、キャッシュをフローできているか否かの違いだ。
でも、ちょっと謙虚に、お願いしてみよう、と思う。
T子と新宿へ出て、明るいうちから飲む。
ションベン横町「きくや」、ゴールデン街、Bar、再びゴールデン街とはしごして、T子はTAXIで橫浜へ帰った。
泥酔。
T子よりケータイに「○○出版の編集の○○にTELせよ。自分に来た<仕事>を回す。推薦した」と。
とりあえず、よき便りというコトで、飲む。
○○出版、連絡とれず。
○○出版、連絡来る。
31日13時訪問のアポ成立。
多分、とりあえず、書かせてくれるのだ。
チャンスはめぐってきた。
副編集長○○氏と会う。
「仕事依頼、正式に受く」。
海のものとも山のものともわからないのに英断である。
チャンスは掴んだ。
多分、唯一のチャンスだ。
”やる”しかない。
負け、は許されない。
帰宅後、早速メールが入ってくる。
「著者の○○氏とコンタクトした。映画に興味を持っており、シナリオ学校にまで通ったのだ」と。
そして、「ラッキー!グッドタイミング!」とあった。
T子に、てんまつ報告メールしておく。
○○にもメールしておく。
T子の寄贈本7冊、Bookoffへ。1.050也。
○○の返事に<プロフィール>送ると、「不安である」というメール。
「もっと儲けましょうよ」「ヤバイっすよ」「妥協しませんからね」、そういうリアクションの人なのだ。
T子に<小説>送る。
○○○氏から「メール遅くなって申し訳ない。企画、後ほど送る。一次情報を発信できる作家です」とある。
どう解釈するか。
素直には受け取れない自分がいる。
このあたり、”負け組遺伝子”が起動中の、○○氏の懸念の部分か。
ふたりの編集者、違う評価、違う見方をした。
T子よりTEL、「弱気になっているのではないか、手伝うよ」と。
この1本の勝負に勝利せよ、と。
2つ。
純粋に、プロデビューし、文章で金を稼げという励ましと応援。
そのことによりT子と、物書きのプロ同士として向き合うことができるようになる、ということだ。
と解釈する。
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(T子記す/↑なんだか迷惑そうね。これには私、かなりショックを受けた)
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T子よりTEL、「うまくいきそうじゃん」
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T子のアドバイスのメールに返信。
