日本語の世界には、本来入れるべき「ら」を抜くいっぽうで、必要もないのに「れ」を足すという複雑怪奇な現象が見られます。
これを「ら抜き・れ足す現象」といいます。
●「ら抜き・れ足す」の言葉たち
「見られる」ではなく、「見れれる」
「表せられる」ではなく、「表せれる」
↑これらはみな、「ら抜き・れ足す」言葉です。
「つなげれる」
「決めれる」
「与えれる」
「考えれる」
↑これらも、「ら抜き・れ足す」言葉です。
↓正しい表現を示します。
「つなげられる」
「決められる」
「与えられる」
「考えられる」
●「れ足す」の言葉たち
「飲めれる」
↑これらは、「れ足す」言葉です。
「飲める」
↑と言えば伝わるはずなのに、どうして「れ」を足す?
「れ」を足すことで、「できる」という意味を強調しているつもりなのでしょうか。
というのも「れ足す言葉」です。
「れ足す」になっているせいで、かえって意味が伝わりにくいようです。
要は「防ぐことができる」と言いたいわけでしょう?
ならば、「防げる」という言い方があるではないの!
「防げる」という言葉を一度も聞いたことがない、または目にしたことがない、という人の場合は、どう言って良いかわからずに、「防げれる」なんていう言い方をしてしまうのかもしれません。
「防げる」という言い方があるのですよ。
良い機会ですから、ここで覚えてください。
●「れれ」言葉
なんていう、くどい言い方をする人もいます。
「寝れない」などと「ら抜き言葉」にしていない点はいいのですが、必要もないのになぜ、「れ」を足す?
「寝られない」と言えば、じゅうぶんに意味は伝わるのに。
というのも、くどい表現です。
「来られる」と言えば、じゅうぶんに意味は伝わります。
●まとめ
と誰かが指摘しなければ、「ら抜き」「さ入れ」「れ足す」の言葉を直すきっかけは与えられないままです。
あなたは、他人の言い間違いを指摘することができますか。
まだ幼い子どもや後輩、親しい人になら、遠慮なくズバズバ言えるかもしれません。
でも、それほど親しくない人や年上の人に面と向かって、
とは言いにくいので、遠慮してしまうことが多いでしょう。
相手のプライドを傷つけることなく、それとな~く知らしめる方法はないものでしょうか。
「“れ足す言葉”って、レレレのおじさん(by赤塚不二夫)みたいで面白いっすね」
とでも言えば、相手も笑い話のノリでつきあってくれるでしょうか。