なんとなく変、と気づくのは良いこと
話し言葉として聞くぶんには違和感がなくても、文字にされたものを読んで、「なんとなく腑に落ちない感じ」がすることってありませんか。
たとえば──
というのは、よく考えてみると変ではありませんか。
私など、「万一の時」なのか「いつでも」なのか、いったいどっちですか、と言いたくなります。
と限定されるなら、よく分かるのです。
「万一○○だったら、その時はこちらがどんな状況にあっても、昼夜を問わずに駆けつけて力を貸すよ」
というように具体的に詳しく説明してもらえると、なおよく分かりますし、本気で言ってくれているんだなと、ありがたく思います。
万一、万が一、万一の時
しかし、「万一」「万が一」「万一の時」というのは、滅多にあるものではないということが前提になっています。
万一の事態にはならないだろうからと高を括り、「いつでも力になるよ」などと軽々しく言うべきではないという気がします。
言ってしまえば、「たとえどんな状況にあっても、昼夜を問わずに力を貸す」と約束したも同然になってしまうのです。
よく考えずに口にしてしまうことは意外と多く、それで通じてしまうことも多いのですが、もう少し慎重に言葉を遣いたいと思います。
論理は言葉でできている
よく考えずにものを言ったり書いたりしていると、一貫性のある論理的な思考ができないようになっていく恐れがあります。
「論理」が持つ「整合性」(論理に矛盾や破綻がなく辻褄が合っていること)は、複数の言葉がどのように組み合わさっているかという関連性によって成り立ちます。
言葉と言葉の関連性に敏感になり、複数の言葉の大きなかたまり、つまり文章の全体を見通して、そこに整合性があるかどうかを頭の中でチェックしながら解読するようにしたいと思います。(書くときも同じようにします)
そうすれば言葉力をアップグレードすることができ、論理的思考力を高めることにもつながるのではないでしょうか。