文末に「〜じゃん」と付いたなら、それは「〜だよね」という意味です。
「〜じゃんか」になると、「〜だよお。わかってくれよお」といったニュアンスになります。
横浜の人はよく「じゃん」言葉を使うようです。
「ハイカラ」「ハクライ」「チャブ」「リキシャ」なども横浜で生まれ、この地に代々伝わる言葉、いわゆる「ハマ言葉」です。
昔の言葉なので、今では生粋のハマっ子でも意味を知らないことのほうが多いかもしれません。
そんな「ハマッ子も知らないハマ言葉」を集めてみました。
ハマっ子も知らないハマ言葉
●ウワヤ
船に積み卸しをする荷を一時的にしまっておき、荷さばきをするための小屋、つまり倉庫のことを、英語で「warehouse」(ウエアハウス)と言います。
それを聞いた日本人が「ウエア→ウワヤ」と呼ぶようになり、倉庫や物置など、柱と屋根だけの簡易な建物のことを指す言葉となったそうです。
●カメ
外国人が飼い犬に向かって「Come here」(カムヒャー)と叫んでいるのを見た日本人が、外国では犬のことを「カメ」と呼ぶのだと勘違いしたことから、「犬=カメ」となったようです。
ハマの犬は「カメ」なんですね。
●ギャング
港湾荷役業において、15人から20人くらいの労働者がひとつのチームを組んで作業をする編成単位を「ギャング」と言うそうです。
そこから、貨物船に昇り降りする際に使う舷梯(タラップ)は「ギャングウェイ」とも言われます。
●キリン
巨大なものや重いものを吊り上げて運ぶ機械のことを起重機と言いますね。
英語では「crane」(クレーン)で、その姿かたちが鶴(crane)によく似ていることからそう呼ばれるようになったようです。
しかしハマの港で働く人々の目には、鶴よりもキリンそっくりに見えたのですね。
起重機が長い首を上げたり下げたりするさまは、たしかにキリンによく似ています。
●チャブ
ごはん、飯のことを「チャブ」と言います。
「チャブチャブ」といえば、ごはんを食べること。
「チャブ屋」というのは、日本在住の外国人や、外国船の船乗りを相手にした「あいまい宿」の俗称です。
1860年代から1930年代には、本牧あたりにいくつもチャプ屋があったんですね。
「横浜の遊郭」と言われることもありますが、食事やダンス、社交などを目的に遊びに来る客も多数いたようなので、必ずしも売春に直結するわけではないようです。
「チャブ」というのは、もとは中国語の「卓袱」(チャプスイ)からきたもので、本来はテーブルクロスを指す言葉ですが、それが食事のことを指す言葉に変化したようです。
●ナンキン
開港当時、横浜にできた中国人街は「唐人街」(とうじんがい)と呼ばれていました。
明治期になると「南京街」(なんきんまち)と呼ばれるようになったようです。
現在の正式名称は「横浜中華街」で、こう呼ばれるようになったのは戦後のことです。
●ハイカラ
西洋帰りの外交官が高襟(ハイカラー)のシャツを着ていたことから、西洋風で目新しいものや人のことを「ハイカラ」と形容するようになりました。
明治時代、横浜に建造された洋館のビルは「ハイカラビル」と呼ばれたそうです。
時代に先駆けていることを良い意味で「ハイカラ」と言うのですが、西洋風の真似をする人、流行を追う人、軽薄な人を皮肉る言葉として使われることもあります。
●ハンケチ
「ハンカチーフ」を略して「ハンカチ」と言うことがありますね。
ハマ言葉では「ハンケチ」と言い、こちらが元祖のようです。
●半ドン
横浜で暮らすオランダ人が日曜日のことを「Zondag」と言って、ブラスバンドを先頭に踊ったり歌ったりして楽しむ様子から、「ドンタク」というハマ言葉が誕生しました。
そして、土曜日は半日休みなので「半ドン」ということになったわけです。
ちなみに、「半ドン」を「宵ドン」(ヨイドン)と言うこともあったようです。
●ブラフ
横浜の海を見下ろす高台にある山手地区を、通称「ブラフ」と言います。
語源は英語の「bluff」で、崖や断崖などを指す言葉です。
●ペケ
「ペケ」という語には、「ダメ」という意味の他に、「帰れ」という意味もあります。
マレー語の「pergi」が語源とされ、これは「出て行け」という意味だそうです。
外国の言葉がなまって、「ペケ」というハマ言葉になったんですね。
●ポンコツ
「ポンコツ」というのは、ボロボロになって壊れかけているものを指す言葉ですが、もともとは「ゲンコツで人を殴る」ことを言いました。
ハマの日本人が言う「ゲンコツ」を、西洋人が「ポンコツ」と聞き違えたことからそう言われるようになったという説があります。
罰、こらしめのことを英語で「punishment」(パニッシュメント)と言いますが、その「パニッシュメント」と「ゲンコツ」を合成して「ポンコツ」という言葉が誕生したという説もあります。
●メリケン
英語の「American」がなまって「メリケン」になり、ハマはもとより全国に広まりました。
アメリカから輸入した小麦を精製して作った小麦粉を「メリケン粉」と呼んでいた時代もあるのです。
横浜の大桟橋も、かつては「メリケン波止場」と呼ばれていました。
黒船来航と横浜開港
横浜港の界隈には、独特の雰囲気が漂っています。
外国からやってきた船員さんの姿を見かけることがよくありますし、外国人向けのバーやクラブもけっこうあります。
開港当時は、港の周辺に外国人居留地で設けられていたので、今よりもずっと多くの外国人がいたことでしょう。
外国人に雇われた運転手やハウスメイドもいましたし、外国人向けの飲食店や食品・生活用品を取り扱う店で働く人々もいました。
船から陸への荷揚げ荷下ろしをする沖仲仕の人々(港湾労働者)も大勢いたはずです。
そうした人々の中から、横浜特有の言葉がいくつも生まれているのですね。
ハマ言葉誕生の舞台となったのは、横浜港とその周辺です。
横浜港は、神奈川県横浜市の東京湾岸にある港湾で、鶴見区の沖合いから金沢区八景島の辺りにまで及びます。
その歴史は古く、1859年7月1日(安政6年6月2日)開港ですから、もう160年も経っているんですね。
ことの始まりは、1853年(嘉永6年)、アメリカ合衆国のペリー提督率いる蒸気船2隻を含む艦船4隻が、横須賀の浦賀沖に来航したことによります。
この「黒船来航」に驚いた幕府や藩は厳重に守りを固め、上陸を拒んだのでした。
しかし翌年、ペリー艦隊は再び、今度は横浜村(当時)の六浦(現在でいう金沢区)の沖に現れ、開国を迫りました。
それで結局、幕府は応接所を設置してペリー一行を上陸させ、協議に臨んだ結果、日米和親条約(神奈川条約)締結という運びになったのです。
そして1858年(安政5年)、神奈川沖に浮かぶ船上で日米修好通商条約(安政五カ国条約)が締結され、神奈川の開港が定められたのでした。
「神奈川開港」といっても、東海道に直結する神奈川宿・神奈川湊を外国向けに開放するのは危険と考えられたため、対岸の横浜村に開港場を新設することとなったのです。
これが横浜港のはじまりです。
当時の横浜は半農半漁の貧しい村でしたが、開港後はアメリカのみならず諸外国との商取引が行われる場となり、にわかに活気づきます。
「横浜の開港場でひと儲けしよう」と一攫千金を狙う西洋人が次々と来日しました。
船員が商人を兼ねることも多かったようです。
その活況ぶりを見た江戸湾内の廻船問屋のほか、全国から続々と商人が集まってくるので、貿易は拡大するいっぽうです。
生糸や茶の輸出、絹糸や織物や砂糖などの輸入が盛んに行われ、横浜は世界に名を馳せる貿易港となりました。
ハマ言葉のルーツ
「ハマことば」の研究者・伊川公司さんによると、横浜開港となった1859年から、外国人居留地が撤廃された1899年までの40年間に、この地で使われていた言葉をハマことばと言うそうです。
その「ハマことば」のルーツをたどると、次のように大別されるようです。
江戸時代の言葉を基に生まれたもの
(ごく一部ながら例を挙げると)
●異人さん = 外国人
●異人寺(いじんでら) = キリスト教の教会
●移民館(いみんかん) = 外国に移民する人々が出発に先立つ数日を宿泊する宿のこと
●因業屋(いんごや・いんごうや) = 頑固で無情なこと。因も業も仏教に由来する言葉
●縁ガチョ = 縁を切ること、絶縁、絶交
●おっかねー = 怖い
●ガス灯 = ガス燃料の燃焼による照明
●鉄の橋(かねのはし) = 鋼鉄でできた橋
●髪結床(かみゆいどこ) = 今で言うところの美容院
●木賃宿(きちんやど) = 簡易宿泊所
●牛鍋(ぎゅうなべ) = 横浜発祥の料理で、すき焼きと似ているが、肉を焼かずに割り下で煮るところが横浜スタイル
●愚連隊(ぐれんたい) = 繁華街で違法行為や暴力行為を働く不良青少年集団
●舶来(はくらい) = 外国から船によって運ばれてくること
●博打(ばくち) = 賽(さい)・花札・ トランプなどを用い、金品をかけて勝負を争うこと。賭博(とばく)。ばくえき。偶然の成功をねらってする危険な試み
●リキシャ = 人力車
英語を基に生まれたもの
(ごく一部ながら例を挙げると)
●アイスクリン = アイスクリーム
●アロハ = 開襟シャツ
●切支丹伴天連の魔法(きりしたん ばてれんのまほう) = 電信電話のこと、ガス灯のこと、写真機のこと
●ケット = 毛布
●サミチ = サンドウィッチ
●シューイングマシネ = ミシン
●スカーフ = 英語では「ストール」
●ステンショ = 駅
●テケツ = チケット
●バンド = 海岸通り
●ビヤ酒 = ビール
●ホイスケ = ウィスキー
フランス・ポルトガル・オランダ・イタリアなど、ヨーロッパの言葉を基に生まれたもの
(ごく一部ながら例を挙げると)
●シャッポ = 帽子
●パラソル = 日傘
●シャボン = 石鹸
●マント = 外套
●風琴(オルゴル) = オルガン
●カピタン = キャプテン、船長
●ギヤマン = ガラス
●ギヤマン石 = ダイヤモンド
●バッテラ = サバに塩をふりかけて酢でしめ、すし飯の上に載せたすしのこと
●バッテーラ = ボート、艀
●ラシャ = 厚手の織物
●ラシャメン = 西洋人の妾になった日本の女性
●マドロス = 水夫、船乗り、船員
●ジンタック = 曲馬団などの見世物
中国語を基に生まれたもの
(ごく一部ながら例を挙げると)
●シンダンチ = 墓地
●チャンポン = 混ぜこぜにすること
●通弁 = 通訳
●唐物(とうぶつ) = 中国のみならず、諸外国から輸入した舶来品すべてのこと
東南アジアの言葉を基に生まれたもの
(ごく一部ながら例を挙げると)
●ペケ = ダメ
●ラオヤ = 羅宇(刻み煙草を喫すキセルの雁首と吸い口をつなぐ竹筒)の通りをよくするように掃除をするのが羅宇屋(ラオヤ)
擬音語や擬態語を基に生まれたもの
(ごく一部ながら例を挙げると)
●エッサッサ(かけ声)
●チンチン電車 = 路面電車
●ドン = 午砲
●パア = 何もかもおしまい、ダメになった
●パクリ屋 = 詐欺行為をはたらいて金品をだましとる人やグループのこと
●プータロウ = 各地から集まってくる日雇いの労務者
船員や港湾労働者から生まれたもの
(ごく一部ながら例を挙げると)
●アラケル = 引き離す、間合いをあける
●カンカン虫 = 船舶やボイラー、煙突などのサビ落としをする工員のこと
●キング = 神奈川県庁舎
●クイーン = 横浜税関の建物
●ジャック = 開港記念会館の建物
●サウスピア = 長らく米軍に接収されているノースピア(瑞穂町・千若町・鈴繁町にまたがる埠頭)に対して南埠頭と言う。大桟橋のこと
●ハシケ = 港内の指定区間で貨物輸送をする船
●マンダリンブラフ = 本牧十二天の断崖のこと
●ミシシッピベイ = 根岸海岸のこと
昭和の戦前・戦後に生まれたもの
(ごく一部ながら例を挙げると)
●伊勢ブラ(いせぶら) = 伊勢佐木町の繁華街をぶらつくこと。ちなみに、伊勢佐木町を略して「ザキ」とも言う
●カストリ = 酒の精を蒸留して作った焼酎
●関内牧場 = 戦後焼け野原のまま放置され、草ぼうぼうになっている様子
●GI(ジーアイ) = Government Issueの略称で、官給品という意味。米兵の代名詞
●GHQ(ジー・エッチ・キュー) = GHQ SCAP(General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers の略称で、連合国軍最高司令官総司令部のこと
●進駐軍 = 終戦直後、日本本土に乗り込んできた占領軍、つまり米軍のこと
●スーベニア = 旅の思い出の品、おみやげ
●ドヤ = 簡易宿泊所
●ハウス = 進駐軍接収地に建てられた、米軍人・軍属の家族が居住する家
●パンパン = 駐留軍相手の女性、売春婦
●PX(ピーエックス) = Post exchangeの略称で、米軍人と軍属、その家族専用の売店
●闇市(やみいち) = 正規のルートを介さず流通する闇物資を売る露店や食べ物屋が建ち並ぶこと
●洋モク = 外国製の煙草
「ヨコハマ」「ハマ」がつくもの
(ごく一部ながら例を挙げると)
●ハマ弁 = 外国の言葉が混在する、横浜独特の言葉
●横浜絵(よこはまえ) = 居留地に暮らす外国人の生活などを題材に描かれた版画のことで、横浜浮世絵・横浜錦絵とも言う
まとめの一言
ハマ言葉は、自然発生的に生まれて広まった言葉。
開港とともに栄えた横浜の歴史が宿っています。
大事にしたい、と思います。
おもしろい❗
ちいねさん、ありがとうございます。
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