「読む・書く・話す・聞く」の日々雑感

●逗子まで乗って折り返すつもり? まさかそんなことしないよね?
某駅の横須賀線下りホームで「逗子行き」に乗ろうとしていたまさにそのとき、私より10くらい高齢の女性に訊かれました。
「これ鎌倉行きます?」
「行きますよ」
「逗子って書いてあるけど」
「逗子は鎌倉の先ですから」
「じゃ途中で乗り換えるんだ?」
「?・・・・・」
私は返答に窮して電車に乗り込みました。
「大丈夫ですよ」の一言を惜しんだ私がばかでした。
●露ルーブルの話ではありません。
よく行く図書館付近のお店でたまーに、たこ焼き300円也を買います。
そこのおじさんはいつも「はい300万円」と言っていましたが、近頃は「3億円」になりました。
ものすごいインフレです。
●先月はよく書いた、えらいぞと自分を誉めたくなるとき。
ATOKがサブスク課金されるようになったのは未だに腹立たしいけれど、唯一嬉しいのは「先月のタイピング延べ時間・文字数・打ち間違い比率」などを月報で表示してくれること。
●図書館収蔵ならば返本されないから、半永久的に現役です。
2015年11月、拙著『言いたいことが伝わる上手な文章の書き方』を上梓してすぐに、横浜市立図書館に全部で13冊寄贈しました。(13館に1冊ずつ)
そして2021年、寄贈した拙著13冊のうち2冊が行方不明になっていることが判明しました。
司書の方に詳しく調べてもらったところ、貸出未返却ではないそうなので、誰かが図書館から持ってっちゃったんですね。
仕方ないので、追加でまた寄贈しました。
さらに調べてもらったところ、現在4冊が貸出中でした。
ひょっとして借りっぱなしで返さない人がいるんじゃない?と司書さんに聞いたら、この4冊は通常の貸出期間内なので大丈夫ですよと。
ああよかった。
疑ってごめんごめん。
拙著刊行から7年近く経つのに、今も読んでくれる人がいるのは本当に有難いことです~!
●十分ですか? じゅうぶんすぎます!
約10万字の原稿を書き終え、文字校正の一環として表記統一の作業をしました。
気になる語句をWORD「🔍虫眼鏡」機能でサーチしたところ、「十分」「じゅうぶん」とバラツキがあったのは案の定ですが、箇所数がものすごく多いので我ながら驚きました。
私が無意識に使っている口ぐせは「じゅうぶん」なのかも。
ふだん「じゅうぶん」ってあまり言わないのに、書くとなぜこうなっちゃうのだろうと考え中です。
執筆中は夢中なので、同じ言葉を頻繁に使っていると気づかないことがあります。
でも、あとで直せばいいんですよね。
そんなとき、置換機能に大いに助けられます。
今回は「じゅうぶん」が頻出したので、できるだけ他の語に書き換えました。
ちなみに、校正をするときに表記統一をしない人ってけっこう多いんですよ。
でも私はすごく気になるほうです。
さらにちなみに、書きながら表記統一するのはなかなかむずかしいことで、「揺れ」が生じて当然だと思います。
だから校正をするのです。
私は原稿をさらいながら要注意の語を初出の段階で紙に書き出し、以降はその表記に統一するようにしています。
●「十分」と「充分」に違いはある?
この記事を要約すると、次のようになります。
──物量的なことを言うなら「十分」。
精神的なことなら「充分」。
公用文では「じゅうぶん」としたほうがいい。(「十分」とするのも可)
ですが、この記事では「十分と充分とでは意味合いが微妙に異なる」とする論拠が稀薄、というか臆測の域を出ないので、鵜呑みにしないほうがよいと思います。
「十分と充分では意味するところが違う」なんてことは広辞苑にも記されていないようです。
「充分は宛て字だ」とする説もあります。
私の考えは「充分」「じゅうぶん」「十分」どれを使ってもよいけれど、同一文書(原稿)の中では表記統一を、ということです。
●言葉ゲームは高齢者のボケ予防に効くかも。
母が通っているデイサービス施設で、ゲームの時間にこんなクイズが出たそうです。
831と書いて何と読む?
用意されていた正解は「やさい」でしたが、母は「やみいち」(闇市)と答えてバカウケだったようです。
●運がよくなる食べ物
冬至の日の食べ物としてユズやカボチャもいいけれど、旬のものはほかにもいろいろあります。
レンコン・ニンジン・キンカンなどで、こういうものを食すと身体が温まるのでよいとされているわけですね。
また、レンコン・ニンジン・キンカンのように、「ん」のつくものを食べると運が上がるとも聞きました。
パン、ごはん、ラーメンにも「ん」がつきます。
毎日食べよう。
●私のダイエット法
好きなひとができると簡単に痩せられます。お腹ぺったんこになります。
その理由をお話ししましょう。
「お腹いっぱい」ではなく「胸がいっぱい」になっている自分を強く意識すると、自然と小食になっていきます。
そして週1デートを週1断食のチャンスととらえ、これを続けていれば苦もなく痩せられます。
デートをやめないかぎり、リバウンドなし。
●オーディオブックに望むこと
私もこれからはオーディオブックを積極的に活用したいと思っています。
家事をしながらとか、「ながら読書」ができるといいなあと。
それでさっそくAmazonの「聞く読書」を試してみたのですが、あまり好きになれない声と朗読だったので残念です~!
海外ドラマ吹替版には超絶上手な声優さんがいっぱいいるので、ついそちらと比べちゃうのよね。
そういった声優さんたちや、プロのアナウンサーの方々に、ぜひオーディオブックの朗読をしてもらいたいと願っています。
読み聞かせの素人ではあっても、著者自身による朗読はいいと思います。
筒井康隆氏が自作短篇小説を読んでくれたとき(講談社主催の講演会で)は、すごーく感動しました。
●無邪気に「もののあはれ」を堪能したい。
人はみな、ポジティブな気持ちもあればネガティブな気持ちもある。それが自然な姿であり、ポジティブ一色に染めようとするのは無理がある。その反動でネガティブ思考も生じる。
だから一番いいのは、子供の頃のように無邪気になること。余計なことを考えずに心を躍らせていれば、ネガティブ思考や暗い気分に侵されることはない。
──と、ある本で読みました。
「無邪気」という言葉にハッとしてドキッ!
無邪気という言葉についての私の解釈は、「邪念をもたないクリアな心、無心、無我夢中」ということです。
「自然の中で身体を動かして遊ぶとそうなれるよ」とある方に教わりました。ネガティブを無理にポジティブに置き換えるのではなく、遊んで笑って、気がついたら気持ちが楽になって前向きになっていたというのがいいですね。自然の中で遊ぶことが無邪気になるコツなのですね!
ところで、ポジティブ100%なんてあり得ないし、そんな人がいたら気持ち悪いですよね。適度なバランスは「ポジ7対ネガ3」だそうです。
幼い頃のこと思い出すと、私はガキのくせに邪気もあり、だけどやっぱり考えが足りないので無邪気でいられたのかもしれません。
オトナになったいま思うのは、せっかく生きているのだから、つらさ・悲しさ・悔しさなどもじっくり味わってみるといいよねということ。
それこそ「もののあはれ」だと思います。
いっぽう、考えることは大事だけど、自分がどう感じているかを忘れて頭でっかちになってしまうのはよくないと思っています。
(註)もののあはれとは、私たちが生きていて折にふれ目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁のこと。
それは平安時代王朝女性の苦悩にみちた心から生まれた生活理想、美的理念であり、王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つとされる。
それはまた、日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想である。
大和魂、やまとごころとも言う。(Wikipediaより)