「誰がそれをしたのか」の「誰が」をはっきり言わなくても、ちゃんと意味が通じてしまうことがあります。
主語を省略しても通じる場合が多いのです。
それが日本語の特徴です。
しかし、通じない場合もあります。
1つの文に主語が2つあり、主語と述語の結びつきがねじれていると、意味が伝わりにくいのです。
何度言えばわかるの
↑
この場合は、(私が)(あなたは) という2つの主語が省略されています。
本来は、
(私が)何度言えば(あなたは)わかるの
ということなんですね。
「私」を主語として貫くなら、
「何度言えばわかってもらえるの」
となるでしょう。
「あなた」を主語として貫くなら、
「何度言われればわかるの」
「何度言わせればわかるの」
となるでしょう。
同じような例を挙げてみます。
「どう謝れば許せるの」
↑
この場合も、(私が)(あなたは) という2つの主語が省略されています。
本来は、
(私が)どう謝れば(あなたは)許せるの
ということなんですね。
「私」を主語として貫くなら、
「どう謝れば許されるの」
「どう謝れば許してもらえるの」
となるでしょう。
「あなた」を主語として貫くなら、
「どう謝られたら許せるの」
「どう謝らせたら許せるの」
となるでしょう。
まとめの一言
上記の内容は、やや厳密すぎるかもしれません。
あまり深く考えずに、日本語として自然な響きならば、それでいいと思います。
ただ、たまには少しこだわって、「この場合の主語は何かな?」と追究してみるのも悪くないでしょう。