↑というように、日常会話は乱れに乱れていても、少なくとも書き言葉は端正でありたいと私は願っています。
そのためにはどうすればよいのか、ちょっと考えてみました。
●話し言葉、書き言葉
話し言葉は、話すと同時に消えていきます。
いっぽう、書き言葉は後々まで残ります。
旅は恥のかき捨て、というようなわけにはいかないのです。
会話においては、言い間違いをしても、相手はたいていスルーしてくれるでしょう。
しかし、書いたものに間違いがあると、読者はもうその人をあまり信用しないようになっていきます。
のだと思います。
新聞、雑誌、書籍など、大手メディアによる刊行物は、プロの編集者および校正者によって校閲がなされているため、誤字や慣用句の誤表現はほとんど見られません。
かたや、個人のブログやメルマガでは、漢字の変換ミスや書き間違いに気づかぬまま発信してしまうことがよくあるのです。
校閲機能付きのアプリがあるから大丈夫、と思ったら大間違い。
アプリ機能は、人間の脳の働きに遠く及びません。
よって、書いた本人が自ら間違いに気づいて訂正するしかないのです。
●言葉はおもちゃ
意図的に間違いを冒すなら、それはそれで結構なことだと思います。
「汚超腐人」(おちょうふじん)
「萌え系」(もえけい)
「電波系」(でんぱけい)
「乙男」(おとめん)
「どや顔」(どやがお)
「薄聞き」(うすぎき)
「寝逃げ」(ねにげ)
「起力」(きりょく)
「感情労働」
といった造語が次々と登場してくるのは楽しいものですよね。
これまでになかった感覚をズバリ言い表していることに感動すら覚えます。
若い人たちの造語能力は素晴らしいと思います。
●言語化する能力
言葉の乱れや新しい表現方法を一概に「間違い」と片付けることはできません。
そのいっぽうで、「歯ごたえ」を「口ごたえ」と言ったり、
びしょ濡れになることを「びしょびしょ」ではなく「びちゃびちゃ」と言ったりして、
間違った言い回しを垂れ流しにしている人を見ると、
つい笑ってしまうと同時に腹が立ち、他人事ながら心配にもなります。
言葉は自己表現をするうえで欠かせない大切な道具なのですから、できるだけ丁寧に扱ったほうがいいと思います。
●まとめの一言
ちょっとした感じ方の差異を言葉でうまく表現する、つまり言語化すると、
自分の言葉でものを考えられるようになり、筋道の通った話し方、書き方ができるようになります。
だから言葉をどんどんいじっていい、と思います。
ただし、言葉は自己表現をするうえで欠かせない大切な道具なのですから、丁寧に扱いましょう。
言葉の意味が相手にきちんと伝わるように、と心がけることが大切ですね。