文のどこで読点を打つべきか、という問題について考えてみましょう。
読点を打つ際に目安としてほしいのは次の5点です。
●長い修飾語が2つ以上ある場合
●倒置文の場合
●重文(主語と述語を持つ文が2つ以上含まれる文)における文の切れ目
●助詞を省いたとき
この5点にあてはまらない場合は、読点を打っても打たなくても良い。
というのが筆者の意見ですが、本多勝一著『日本語の作文技術』『実戦・日本語の作文技術』にはどう書かれているか、見てみましょう。
↓(黄色の枠で囲んだ箇所は、当ブログ用に筆者が加筆しました。)
本多勝一氏による【テンの二大原則】
(1)長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にテンを打つ
長い修飾語がいくつも延々と続く、とてもじゃないが読みにくい文章。
重文の境界にテンを打つのも、同じ原則による。
(2)語順が逆になったときにテンを打つ
読みにくいのですよ、あの文章は。
●息つぎをする箇所で打つというのは正確でない。
●気分によって打つなど、とんでもない。
●重要でないテンは打つべきでない。
↓
例/「金輪際自殺などしない」でよい。例/「金輪際、自殺など」とするべきでない。「自殺など金輪際しない」はよい。
例/「わたし、存じませんの」は「わたし存じませんの」で一向に構わない。「わたし」のあとに何か特別な意味をもたせようと思ったら打てばいい。
●不必要どころか、打ってはならぬテンがある。「打つべきテン」と「打ってはならぬテン」とをごたまぜにすると、ゼロと同じことになる。
↓
例/渡辺刑事は、血まみれになって、逃げ出した賊を、追いかけた。
例/×肩書きのない、(←打ってはならぬテン)定年後を今からご検討ください。
例/○肩書きのない定年後を、今からご検討ください。
例/○肩書きのない定年後を今からご検討ください。
例/○今から肩書きのない定年後をご検討ください。
例/○今から、肩書きのない定年後をご検討ください。
例/×今から肩書きのない、(←打ってはならぬテン)定年後をご検討ください。
本多勝一氏による【常識化しているテン】
A. 重文の境目にテンを打つ
私が急がせたので、彼は間に合った。
↑二大原則(1)「長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にテンを打つ」の変種に過ぎない。よってテンの打ち方原則とはいえない。
B. 述語が先にくる倒置文の場合にテンを打つ
行きました、会社に。
↑二大原則(2)「語順が逆になったときにテンを打つ」と一致
C. 呼びかけ・応答・驚嘆などの言葉のあとにテンを打つ
ねえ、君、待ってよ。
ええ、待ちますよ。
ああ、よかった。
↑打ってもよいが(思想の最小単位としての自由なテン)、原則ではない。
D. テンというものの基本的な意味は、思想の最小単位を示すもの。筆者の考えにテンを託す。
しかし、私はそうは考えない。
↑「しかし」という語を思想の最小単位ととらえ、よってそこに読点を打つ、というのは書く人自身の考えによるものであり、「しかし私はそうは考えない」とすることも可、ということ。
E. 挿入句の前後または前だけにテンを打つ
長い修飾語がいくつも延々と続く読みにくい文章だったが、そういえばイギリスやフランスの作家にそういう文を書く人が多く見られるいっぽうでアメリカの作家は比較的簡素な文を書くようだというのが私の持論だが、なんとか我慢をして最後まで読み通した。
↑二大原則(1)「長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にテンを打つ」そのもの (挿入句も修飾語のひとつ、とする考えによる)
ここが重要ポイント
注目したいのは、本多勝一氏が次のように述べていることです。
●二大原則さえあれば、その他は不要。
●(原則であるから)狭義の文法的な「規範」や「規則」ではない。
あくまで「わかりやすい(論理的な)文章」のための構文上の原則である。●構文上基本的に必要な重大原則でありながら、これまで明確化していなかった。
まとめ
本多勝一氏によると、読点を打つべき箇所は次の2点です。
【テンの二大原則】
(1)長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にテンを打つ
(2)語順が逆になったときにテンを打つ
これに対し、当ブログ筆者の意見は次のとおりです。
(1)語句を対等に並べる場合
(2)長い修飾語が2つ以上ある場合
(3)倒置文の場合
(4)重文(主語と述語を持つ文が2つ以上含まれる文)における文の切れ目
(5)助詞を省いたとき
筆者の主張が5点あるのに対し、本多勝一氏の主張は2点のみ。
本多勝一氏の場合は、「原則」を追求していることが特徴で、
ということです。