という説があります。
まさしくそのとおりだと思います。
そこで今回は、助詞を使いこなす方法を探ってみようと思います。
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助詞の中でも殊に「が」の出番は多く、しかも、「が」を「は」に置き換えても意味がそう変わらない場合が多々あります。
そのいっぽうで、「が」を「は」にすると、意味がまるで違ってしまう場合もあります。
それを神業ともいえる高度なテクニックで使いこなしている好例をご紹介します。
川端康成『伊豆の踊子』の一節です。
●伊豆の踊子
【引用】
踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。
私が縄梯子(なわばしご)に捉(つか)まろうとして振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止(よ)して、もう一ぺんただうなずいて見せた。
<質問>
1.「私」
2.「踊子」
3.この文中には示されていない人
(正解はおそらく、2)
<質問>
1.「私」
2.「踊子」
3.この文中には示されていない人
(正解はおそらく、2)
<解説>
・作者川端康成は「私は」ではなく「私が」と書いています。
・「私は」ではなく「私が」としたことにより、その後の文の意味が決定づけられています。
(そして踊子は)、私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた」
と読むのが適切だと思われます。
もしもこれが、「私は」だったなら、さよならを言おうとして止したのも、もう一ぺんただうなずいて見せたのも、「私」がしたことと解釈するのが妥当でしょう。
↑このようになります。
<補足>
・例文の冒頭部分は、「踊子はやはり」となっていますから、踊子がどのような状態だったか、すでに前の文で説明されているのでしょう。
・相手がすでに知っていると思われる情報を示すときには「は」を用い、相手がまだ知らないであろう情報を示すときには「が」を用いる、というのは、あくまでも目安です。
・読者にとって未知の情報であっても、「〜は」という表現こそ適切だという場合は多々あります。
(例/アップル社のみなさん、こんにちは。私は創業者のスティーブ・ジョブズと申します。)
(↑「私がスティーブ・ジョブズと申します」という表現は適切ではありません)
●まとめ
『伊豆の踊子』は、「が」と「は」の使い分けが絶妙でした。
助詞を的確に使いこなす女子は素敵です。
助詞を的確に使いこなす男子も素敵です。