というのは本当のことです。
でも、いくら恥をかいても気にしない人もいます。
なぜ気にしないのか?
私の場合でいうと、取り巻きの仲間が実に気のいい人物ばかりで、何事も笑い飛ばしてしまうからです。
私はこれまでにずいぶんと、笑いの力で傷心を治癒してきました。
実際にあったエピソードをいくつかご紹介したいと思います。
●みだりに、みだらに
友人と酒を飲み、もう一軒いこうということでタクシーに乗り込んだのです。
私は酔っていい気分だったので、運転手さんにあれこれ話しかけました。
すると隣の席にいる友人が、私を茶化してこう言ったのです。
それを言うなら、「みだらに」ではなく「みだりに」でしょ?
↑「みだりに」を「むやみに」と言い換えてもよいでしょう。
「みだりに」も「むやみに」も、何の考えもなしに行動することを意味します。
そんなことも知らずに、「みだら」なんていう語を平気で口にする厚顔無恥な友人でしたが、私たちの馬鹿話にじっと聞き耳を立てていた運転手さんは笑って言いました。
粋な運転手さんだなあ。
そのユーモアに、私は妙に感心してしまいましたよ。
●青息吐息
弱りきって溜息をつく。そんな苦しい状態のことを「青息吐息」と言います。
私の飲み友達はこれを「青色吐息」なんて言うから笑っちゃう。
そういえば、彼女はカラオケでよく、高橋真梨子の「桃色吐息」を歌っていました。
●めっきり、すっかり
ある冬のはじめの時季に、友がやって来て、
などと、柄にもなく風流なことを言いました。
「めっきり」で間違いではないのかもしれないが、この場合は「すっかり」とか「だいぶ」のほうがぴったりくるんじゃない?
「めっきり」というのは、
めっきり老け込んだ
というように、あまり嬉しくないことを表すときの言葉だと思います。
●火に油を注ぐ
「火に油を注ぐ」とは、勢いの盛んなものにさらに勢いを加えるようなことをするという意味です。
単に「油を注ぐ」と言うこともあります。
私の知り合いの女性は、怒っている人の気持ちを逆撫でするようなことを言って怒りをあおることがとても上手なのですが、そういう自分を「油に火を注ぐ性質」と平気で言い間違えるのです。
↑私が間違いを指摘しても、彼女はただ笑っています。
●耳障り
満員電車の中で、見知らぬ乗客のイヤフォンから漏れ聞こえてくる音楽は耳障りなものです。
「耳障り」という言葉の出番は多いようですね。
というように遣われます。
「障り」であって「触り」ではないことに注意してください。
「肌ざわりがいい」と同じように、「耳ざわりがいい」という言葉を口にする人は多いのですが、それは誤用だとされています。
「耳障り」ではなく「耳触り」と書いたとしても、そういう言葉は日本語として認められていないので、できるだけ遣わないようにしたほうがいいと思います。
つい遣ってしまったときは、笑って誤魔化すしかないでしょう。
●王道と常套手段
という話を聞いたことがあります。
「王道」とは正攻法のことで、対義語は「覇道」です。
↑覇道とは権謀術数をもって目的を果たすことですから、たとえば職業作家になることを目的とするなら、有名作家や力のある編集者に取り入ってデビューさせてもらうことがこれに当たるでしょう。
たまに、王道と覇道の区別がつかず、しかも王道を常套手段と混同している人がいます。
というのなら話はわかるのですが、
などと言われると、
と言いたくなります。
蛇足ながら、「常套手段」というのは、決まりきったいつものやり方のこと。
「常用手段」とも言います。
●願わくば? 願わくは
願わくば、有名企業に就職したい。
なんて言っている人は多いけれど、「願わくば」は誤用なので要注意。
「希望するところは」
という意味で遣うのですから、「願わくは」とするのが正しいのです。
●すいません、すみません
「すいません」は「すみません」の訛った言い方で、日常会話で頻繁に遣われています。
しかし、仕事の場など、改まった挨拶をするときや、文章を書く際は、「すみません」と表現することが必要であるとされています。
●恨み骨髄に徹する・入る
ものすごーく誰かを恨んでいると、恨みが骨の芯までしみとおる。
↑というのは大袈裟だとしても、深い恨みを抱くことを、
または
と言います。
恨み骨髄に発す
というのは言い間違いなので要注意。
●まとめの一言
英語がうまくなりたかったら、文法の間違いなんか気にせずに、どんどんしゃべること、と言われています。
日本語についても同様で、どんどんしゃべった人が話し上手になる、日本語の達人になる、という気がします。
間違えたっていいんです。
人に笑われ、馬鹿にされても、そんなおばかな自分を笑い飛ばしてしまいましょう。
「次はもう間違えないぞ」と内心で誓うことができれば、それでいいのだと思います。