いきなりですが、あなたは「お世辞」と「社交辞令」の違いを意識したことがおありでしょうか。
おだてる、媚びる、へつらう、おべっかを使う、ゴマをする。
つまり相手に取り入ろうとすることでしょ。
と思っていらっしゃる方は多いようですが、それはちょっと見方が浅いようです。
●偽りの褒め言葉ほど熱がこもる
お世辞というのは、相手のご機嫌を窺いながら、偽りの褒め言葉を口にすることです。
「さすがですねえ」
というように、実際は心と裏腹であっても、さも本当にそう思っているかのように熱をこめて人を褒めることって、よくありますよね。
と私は感じています。
しかし、言われたほうはたいてい、
とわかっていても、悪い気はしないようです。
私自身の経験からいっても、褒め言葉の効果は抜群です。
ちょっとでも褒められると、
と自分に都合よく解釈し、褒めてくれた人に好感を抱くようになります。
その反対に、ちょっとでもけなされると気分が落ち込み、けなした人のことがだんだん嫌いになっていきます。
私など、お世辞を真に受けてしまうことがたまにあるどころか、しょっちゅうですが、放っておいてもらって特に問題はないでしょう。
と蔭で笑われていたとしても、暗い気分になって人を呪ったりするよりも、よほど健全なことだと思います。
●お世辞を言うのは相手のためではなく、自分を守るため
お世辞を真に受けて問題の生じることがあるとすれば、相手の方が自分本位に、とにかく自分が悪く思われないようにと事実をねじ曲げていることに、こちらが気づかない場合です。
たとえば、明らかに私の側に非があるのに、
「だから気にしちゃダメよ」
と言ってくれる人があったとして、その思いやりあふれるやさしい言葉を私はどう受け止めたらよいのでしょう?
などと、いい気になっていると、あとでとんだしっぺ返しを食うに違いありません。
という事実に気づかないといけませんね。
心にもないことを言って人のご機嫌をとろうとするのは、相手のためではなく、自分を守るため、なのです。
とわかっていても、とりあえずこの場を丸くおさめるため、そしてまた、自分を守りたいという利己心から、人は安易に嘘をつくことが往々にしてあるのです。
●お互いの存在を認め合うと気分がよくなる
「社交辞令」は、心にもないお世辞を言って自分の利益をはかるというのとは異なる点がいくつかあります。
「こんばんは」
というのも社交辞令のひとつです。
そうやって声を掛け合うことで、お互いの存在を認め合い、特に理由はなくても気分がよくなっていく、という効果があります。
その一言を口にするだけで場の空気がなごみ、お互い気分よくつきあっていけるようになるんですね。
社交辞令というのは自分本位でも相手本意でもなく、
●さらりと交わす褒め言葉こそ最高
というように、さりげなく何かを褒めるのも社交辞令の一種です。
というのが社交辞令におけるマナーです。
ですから、
などと、いちいち考えなくてもいいのです。
「媚びるな。へつらうな。おべっかを使うな。ゴマをするな。取り入ろうとするな」
と腹を立てる必要もなければ、腹を立てられる心配をする必要もないわけです。
●まとめの一言
「特に理由はなくてもお互い気分がよくなる」──そんな素晴らしい効果を期待できるのが、社交辞令というものです。
気の利いた社交辞令を頭の中にたくさんストックしておくと、実り多いコミュニケーションをはかる手助けとなります。
ストックが増えるにしたがい、どんな場面でも慌てず騒がず、時と場合と相手に応じて的確なフレーズを口にすることができるようになっていくはずです。
ご参考までに、私がストックしている社交辞令を紹介してまいりますので、ご興味のある方はぜひ関連記事をご覧ください。
お世辞という言葉をググっていて、たまたま拝見させて頂きました。
少し前の記事に対して批判的なコメントを失礼します。
[お世辞というのは、相手のご機嫌を窺いながら、偽りの褒め言葉を口にすることです]
と断定されていますが相手への思いやりなどが含まれている場合も多数あると思います。
悪口は言った本人は気付いていなかったり忘れたりすることが多いと思いますが、言われた側の頭にはこびりつく事すらあります。
その点からも辛口の言葉よりは遥かに建設的な距離のつめ方かと思います。
辛口なコメントと思われましたら失礼致しました。
本橋さん、コメントをありがとうございます。
本橋さんが「お世辞には、相手への思いやりなどが含まれている場合も多数ある」とおっしゃるのは、たしかにそのとおりだと思います。
私がお世辞を「偽りの褒め言葉」としたのは、ちょっときつい表現だったかもしれません。
辞書によると、お世辞とは「相手のご機嫌をとろうとして言う、口先だけの褒め言葉」となっています。
相手のご機嫌をとろうとする=相手への思いやり、と解釈することもできますね。
私が当該ブログで訴えたかったのは、「下心があるのではと疑われるくらいなら、下手にお世辞を口にするよりも、会話のひとつの定型として普及している社交辞令を述べるほうがいい」という点でした。
社交辞令というものは、年月をかけて磨かれ、洗練されています。
それを言った人も言われた人も気分がよくなり、人間関係の潤滑剤となり得ます。
悪口はそれとは逆で、言ったほうも言われたほうも気分が悪くなり、人間関係を歪ませます。
悪口を言うと気分がスカッとする、という人もいらっしゃいますが、実は本人も気づかないところで、言葉の毒にやられて傷ついているのではないかと思うのです。
悪口など言うくらいなら、心にもないお世辞を並べまくるほうが断然マシ、とも思っています。
一番いいのは、相手の長所や魅力に素早く気づき、心のこもった褒め言葉を口にできるようになることですね。
そして、必要に応じて社交辞令をさらりと口にできるようになることでしょう。
言葉を大切にしたいものですね。
今後も「言葉力アップグレード」ご愛読を、よろしくお願いいたします。