12月は、1年の締めくくりの月です。
年末の仕事納めや大掃除、加えて新しい年を迎える準備をしなければならないので、会社でも家庭でも何かと慌ただしい日が続きますね。
日頃は落ち着いている偉い先生がた、つまり「師」も気が急くあまり、つい走り出してしまう。
そんな意味をこめて、12月のことを「師走」ともいいます。
「師」というのはお坊さん、または寺社境内で参拝者の案内役を務める人、そしてまた、学校の先生や習い事の師匠などを指しますが、キリスト教の牧師さんたちも、クリスマスを控えているのでお忙しいことでしょう。
●正月ことはじめ
12月を「師走」というのは、言葉遊びのようなものだと思いますが、この言葉ができた当時、人々の暮らしはどのようなものだったのでしょう。
師走は忙しいというけれど、12月のいつ頃から忙しくなるのでしょう。
それはおそらく13日あたりからです。
なぜなら、
13日から31日(大晦日)まで、19日間もあります。
と首をかしげたくなりますね。
と私は思っていますが、昔の人は今よりもずっと時間をかけて丁寧に、お正月支度を一つひとつ積み上げていったのですね。
昔といっても、100年も200年もさかのぼる話ではありません。
50年ほど前、私が子どもの頃には、一家総出で年末の大掃除をしていました。
両親と祖父母が協力しあい、家中の畳をはがして日に当て、室内の隅々まで雑巾がけをするのです。
別の日には庭で餅つきをしていましたし、暮れもいよいよおしせまると、玄関先に門松を立て、台所では朝から晩まで、お節料理にとりかかっていました。
同じ町内の家々でも、そうしたことがごく当たり前のように行われていたようです。
晦日(30日)や大晦日(31日)に大量の野菜を使ってお煮染めを作り、ごまめ・黒豆・栗きんとんなど、手間のかかる品を調理するだけでも大変なのに、その何日も前から大掃除、松飾りなど、順をおって正月の準備を整えていったわけですね。
それは、
だったように思います。
まだ子どもだった私は、忙しく立ち働く大人をただ見ているだけでしたが、お正月を迎えると家族みんなが晴れ晴れとした顔でやさしく接してくれるのがとても嬉しかったものです。
そして、
と、幼な心にもしみじみと感じました。
しかし、50年前と同じことを今やろうとしたら、かなり無理があります。
畳を干す場所がありません。
餅をつく庭などありません。
神棚も床の間もありません。
ですから、良い新年を迎える準備をフルコースでやり遂げよう、などとは申しません。
ただ、せめて、年越しの伝承としきたりについて、できるだけ知っておきたいと思うのです。
そして、昔はこんなことまでしていたのね〜と改めて記憶に刻んでおきたいと思います。
そうでもしないと、暮らしの中の季節感がどんどん薄らいでいくような気がするのです。
●年越しの伝承としきたり
●ことはじめの儀
●年神様を迎えるために、まずは煤払い
12月13日が「お正月ことはじめの日」とされているということは、すでに述べたとおりです。
「ことはじめ」の「こと」とは、お正月行事のことを指します。
年神様というのは神道の神々のことで、来方神、穀物神、祖霊、年徳神、大年神・御年神など、さまざまな神様がいらっしゃるとのことです。
お正月には、そうした神々が各家庭にやってくるとされています。
そこで各家では、神の依代(よりしろ)、つまり神の霊が来訪して宿る場所として門松を立てます。
そのようにしてお迎えした年神様と共に新年の数日を過ごすわけですね。
ただし、いくら準備万端整えても、年神様は罪・咎・穢れを嫌うので、清浄な場でなければ来臨されないとされています。
となると、
「ことはじめ」の日はまず「煤払い」といって、家中の大掃除をして清めることがしきたりでした。
●煤湯、おこと汁
「煤払い」つまり大掃除を終えると、人々は入浴をして心身を清めたそうです。
このときに入るお風呂のことを「煤湯」ということもあったようですよ。
家の中の汚れを取り除き、人々も斎戒沐浴して身を清めます。
そして気分がすっきりしたところで祝儀酒を口にします。
また、「おこと汁」といって、サトイモ・ニンジン・ダイコン・アズキなどを入れた汁料理を食べる風習もあったようです。
このようにして「ことはじめ」の儀をすませます。
そして翌日からいよいよ「年用意」にとりかかるのです。
●年用意
年用意とは、新年を迎える用意を年内にしておくことです。
神棚の準備・餅つき・お節料理・床の間や室内のしつらえ、晴れ着の支度など、やるべきことはたくさんあります。
けれど今では、「何それ?」という感じで、すっかりなじみの薄くなってしまったものがいくつもあります。
それはたとえば──
●年神棚(または恵方棚、年棚)
年神様を迎えるための年神棚(または恵方棚・年棚)と呼ばれる棚を作り、そこに年神様への供え物として、サカキや鏡餅などを供えます。
また、世の中に疫病や災いをもたらすとされる悪神、いわゆる厄病神(やくびょうがみ)が家の中に入ってこないよう、
●松迎え
昔々は、新年の年男(翌年が申年ならば申年の男性)が山に入って松の木を伐ってきたそうです。
そして、その松の木を家の玄関先に立て、「年神様、どうぞこの松を目印に我が家へおいでください」と御来臨を促したそうです。
でも今では、門松や松飾りは町で買ってくることがほとんどですね。
●床飾り
年神様を家にお迎えするのですから、お正月にふさわしく、日の出や高砂の掛け軸、鏡餅、季節の花などを床の間に飾ります。
これは神様へのおもてなしの一つであり、めでたく新年を迎えられたことを感謝する気持ちの表現でもありました。
●飾るなら28日か30日に
年神棚、松迎え、床飾りといった、古くからの伝承をご紹介しました。
新年の訪れとともに年神様にお越し願うために、欠かせないものです。
正月飾りは大切な行事として全国各地で執り行われますが、その飾り方は地方によってさまざまです。
柳の枝に小さな餅を飾り付けたものを神棚に供える地方もあるそうです。
門口に薪を飾る地方もあると聞きます。
私が子ども時代から慣れ親しんでいるのは、緑あざやかな松の木と竹でできた門松を一対、門の左右に飾るという方法です。
しかし今はマンション住まいなので、玄関ドアに注連飾りを提げ、靴箱の上の棚にミニサイズの門松を飾るのが精一杯です。
いずれも町角の花屋さんで購入するのですが、なかなかよくできていると思います。
注連飾りに用いられているのは、おそらくユズリハ・ウラジロ・ダイダイなどだと思いますが、こうした数種の植物がとてもバランスよく、美しくアレンジされています。
それに、こういうちょっとしたものでもお正月飾りがあるとないとでは大違いですから、今年の年末もぜひ実行したいと思っています。
ちなみに、飾るのは28日か30日に、とされています。
29日じゃダメなの?と思ってしまいますよね。
はい、ダメのようです。
9のつく日は苦に通じるので縁起が悪いという理由から、できれば避けたほうが良いとされています。
また、31日に飾るとたった一晩だけの「一夜飾り」になってしまうので、良くないとされています。
●大晦日の過ごし方
●年越しそば
現代の感覚でいうと、31日の午前零時に年があらたまるということになりますが、昔は、日が暮れれば1日の終わりとされていましたので、大晦日も日が沈んで暗くなると、年棚に火を灯し、家族そろって新年を迎えるための祝膳についたそうです。
このときに食べるのが年越しそばでした。
そばを食して年を越すというのは、江戸時代から伝わる風習で、「そばのように細く長く生きよう」という意味がこめられています。
●除夜の鐘
大晦日の夜は、全国各地の寺院が鐘を撞いて百八声をとどろかせます。
百八のうち、はじめの54声は強く、残りの54声は弱く打ち鳴らされます。
なぜ百八声なのかといえば、人間誰もが持っている百八つの煩悩を一つひとつ破って新年を迎えるため、とされています。
これを「除夜の鐘」ということは、皆さんよくご存じのとおりです。
除夜とは、除日(旧年を取り去る日)の夜のことをいうのですね。
旧年中に百七声を撞き、最後の一声が撞かれると、これを合図に新年が始まります。
●初詣で
除夜の鐘が鳴り終わると、さっそく神社仏閣へお参りに出かけるという人は多いでしょう。
私も毎年、これから始まる一年の無事息災を願いに、ご近所の神社にお参りしています。
「初詣で」という言葉がよく使われますが、大晦日の晩から元旦明け方までの参拝を、かつては「除夜詣で」または「年越し詣で」、あるいは「二年参り」といったそうです。
●まとめの一言
12月13日「正月ことはじめ」から大晦日までの間に、できればしておきたい事柄をいくつかご紹介してまいりました。
お正月の準備、どのように進めるとよいかなと考える際の一助としていただければ幸いです。