この記事のひとつ手前の記事は、
という内容でした。
前記事→夏バテ予防のカギは自律神経・睡眠・汗・水・ビタミンB1
という妄想的前提に立ち、遊び心で文体模写をしてみたのが本記事です。
前記事と本記事、併せてご笑覧いただけますなら幸いです。
さて、まずは文体模写について少しお話ししたいと思います。
文体模写、つまり他人の文章スタイルを真似て書くことは、筆力向上におおいに役立ちます。
ですからこれは、暮らしに役立つ歳時記情報をゲットしながら、ついでに言葉力アップグレードをはかるという、一粒で二度おいしい企画なんですね。
年間シリーズ企画としてお届けする予定で、今回はその第3回目、村上春樹氏バージョンをお届けします。
暮らしに役立つ歳時記×パスティーシュ
第3回・村上春樹氏バージョン
「やれやれ」の作家だから、きっとこう書く
「それはどちらかといえば集中力の欠如というよりもビタミンB1不足の領域に属すること」
僕は彼女のためにビールとグラスを運んできた。
そして片手で器用にプルリングを取り、ビールをグラスに注いだ。
「あなた、食事はもうすんだのかしら」と彼女は僕に聞いた。
「昼に、外出先でウナギを食べた」と僕は答えた。
「私は朝から何も食べてないわ」とぽんやりした顔で彼女は言った。
その表情は快活というにはほど遠く、その声もまた何の感情もこもっていなかった。
「それで、食事はもうすんだのかしら」と彼女は再び僕に聞いた。
だからウナギを食べたと、さっき言ったばかりじゃないか。もう忘れてしまったのか。と僕は少々不審に思いながら、
「ああ、外出の途中で、ウナギを食べてきたんだよ」と答えた。
彼女はどうやら、この暑さで感情をなくしかけているだけでなく、集中力までなくしてしまったみたいだ。
それはどちらかといえば集中力の欠如というよりもビタミンB1不足の領域に属することではないかと僕はふと思ったが、もちろんそんなことは口に出さなかった。
僕はソファの上で黙って礼儀正しく微笑んでいた。
彼女はしばらくぼんやりとした目でビール・グラスを眺めていたが、
「ねえ、でも、それはそれとして、朝から何も食べていないのにおなかがすかないのはどういうわけ?」と言った。
「いや、正確に事実を述べるなら、君は朝から何も食べていないけれど食欲がない、僕はさっきウナギを食べたばかりだからおなかがすいていない、ということだよ」
「そうなのかしら」と彼女は言って目をつぶった。
「君だけが問題を抱えているわけじゃない」と僕は言った。
彼女は顔を上げて僕を見た。「ねえ、あなた人を慰めるってことができないの?」
「慰めているつもりだけど? たとえばこうしてビールを運んでくるとか、ね」
「いいえ、それは絶対に、慰めになんかなっていないわよ」
「どうして?」
「だって、ビールじゃ水分補給はできないのよ。そんなことも知らないの?」
と彼女は言って立ち上がり、僕に向かってクッションを投げつけた。
彼女が怒りを爆発させると、いつもこうなる。
「惨め」と彼女は首を振りながら言った。
やれやれ、僕の言うことなんて何も聞いていないのだ。
「さて」と僕は、できるだけ落ち着いた声で言った。
そしてグラスに一杯水を運んだ。
もちろん、彼女に飲ませるためだ。
「君も僕も今はまったく食欲なんかないけど、それは夏だからなんだ、きっと。それに夏だから、ウナギを食べなくちゃいけないのかもしれない」
そして僕らはウナギを食べに出かけた。
彼女にとってはこの日はじめての食事であり、僕にとっては二度目のウナ重だった。
(つづく)