電子書籍は、出版社を通さなくても出版することができます。
個人、ことに無名の個人が電子書籍を出す場合は、出版社の編集者が介在することはほとんどありません。
だからスピーディで安価です。
紙やインクを使わないので省資源化につながります。
↑読者の皆さんも、そう認識していらっしゃることと思います。
しかし、
という点を意識している人はほとんどいないでしょう。
私自身も、
と喜んでいたくちです。
しかし今は考えを改めました。
どう改めたのか、ちょっと聞いていただけますか。
●編集者不在のデメリットを強く意識する
書き手にとって、編集者ほど熱心な読み手はいません。
編集者が忌憚のない意見を聞かせてくれるおかげで、著者は自分のおおよその力量を推し量ることができます。
そう思うと、いろいろと反省点が見えてきます。
●反省点1
「読者が求める水準に達するものを提供する」という意識が必要
紙の書籍ならば、編集者による篩い分け、つまり質を淘汰する仕組みが有効に作用するので、出版物全体のクォリティ水準が保たれます。
かたや電子書籍の世界では、編集者不在のまま事が進行するので、玉石混淆、カオスに近い状態となっていきます。
↑それは読者に対して失礼な行為です。
読者が求めているのは、磨き上げられた玉(高水準・高クォリティの商品)です。
玉を探しているのに、石(低水準・低クォリティの商品)しか見つからないとしたら、そんな魅力のないマーケットに足繁く通ってくれるわけがありません。
誰もが手軽に自分の作品をアップロードできるのは素晴らしいことですが、その手軽さが仇となって、電子書籍全体のイメージダウンを招く恐れもあります。
私は、活字文化のイメージダウンやレベルダウンにつながるようなことはしたくないと思っています。
無料配信のブログやメルマガならば許されても、
●反省点2
編集者の視点で見て、「没」にすることも必要
電子書籍を出版するならば、著者は編集者の役割を自ら果たさなければなりません。
それは時と場合により、自分の作品を自ら没にすることも辞さない、ということです。
と私は思っています。
そうでないと、たださえ玉石混淆の電子書籍市場に、またひとつ石を増やすことになってしまうからです。
●反省点3
「推敲」と「修正」をもっと重要視するべき
どうしても出版したいなら、自信を持てるまで、
私はイラストや写真に関しては門外漢なので、文章に関することのみ述べさせていただきますが、
と言って間違いないのです。
直しを重ねることで、確実に筆力がレベルアップします。
筆力アップに伴い、読む能力も向上します。
↑私は自分にそう課しています。
●まとめ
活字文化の水準とクォリティを保つために、というといかにも偉そうに聞こえてしまいますが、私もプロのライターとして日頃から心がけていることがあるんですよということについてお話しさせていただきました。
私の場合は、作品がいくら不出来だからといって、自ら没にするのはあまりにも惜しいので、
ということになります。
大幅に書き直す箇所もあるので、当初とはまるで違う原稿になっていくこともあります。
そのようにしてベストを尽くした後は、
と認め、ブログ記事や電子書籍にするという運びです。
電子書籍化して数年経過したものを今あらためて読み返すと、
と恥ずかしくなります。
という思いもあります。
それでも、その作品はその時点での私の最高レベルだったのですから、あえて手直しはしないことにしています。
電子書籍という形にして公開した時点で、
と私は考えています。
下手とか未熟とか、読む価値があるとかないとか、そうしたすべてのことは読者の判断に任せるほかないのです。
だからこそ、
というのが私のやり方です。