彼女はT子、彼はK君。
ふたりは同じ高校の1学年違いで、15歳と16歳の出会いだった。
T子新入学の春が終わる前に、お互い好きになっていた。
それから2年後、K君が一足先に卒業した。
大学浪人生となったK君は、前ほどT子に構わなくなった。
ひとりでいるのがつらかったT子は、K君以外の男の子ともずいぶん仲良くした。
K君もまた、T子以外の女の子と仲良くすることがよくあった。
そんなふうにして45年の月日があった。
K君が61歳で病死するまで、ふたりの仲は途切れ途切れに続いた。
その45年のうち、最後の12年間に、ふたりはメールのやりとりをした。
それが膨大な交信記録となって、T子の手元に残っている。
交信のはじまりは2004年。
T子の名刺にメルアドが記されており、それを捨てずに持っていたK君がアクセスしたのだった。
ふたりが言葉を交わすのは、数年ぶりだった。
そして11年がたち、12年がたち──。

【2015年】
交信なし

【2016 April】
2016.4.某日
(T子記す)
なんとなくKのことが気にかかり、久しぶりにメールしてみた。
Kより返信。「連絡もらったので、一応知らせます。胃がんの手術を受けたが、もう手遅れで、ただ開腹したのみ、縫合した」と。
慌ててKに電話をかけ、入院先を聞く。
「私、行くから」と伝える。
…………………………
(T子 facebookに投稿)
旧友が手術を受けて入院中と知り、朝からパニックでした。
取り乱してしまい、実家で母に叱られました。
それで少し冷静になり、病気に関する情報をネット検索などしているうちに、その旧友も案外元気そうにしていることがわかり、とりあえずホッ。
彼のご所望品を揃えて駆けつけます。
もうすぐ病院。
こわい。
だからドトールで一服二服三服。
まったく良い話でないのに、こんな投稿をするのは恐縮です。
でも記録を残しておきたくて。
今、病院近所のドトールなんです。
ここから動けない。こわい。
でも行きます。待ってるから。
…………………………
2016.4.20
(T子記す)
Kを見舞いに○○○病院へ。
午後1時〜7時、6時間一緒に過ごした。
Kは生活保護を受けていた。
生活保護のもと、アパートを借りた。
その後、体調不良を訴えて内科を受診し、胃がんと診断されたらしい。
手術や入院の費用はすべて、生活保護でまかなわれている。
離婚した元妻、子供たち、横須賀の介護施設にいる母親、妹にも、病気のことは一切知らせていないとのこと。
…………………………
2016.4.21
(T子記す)
昨日のKのことをまとめておこうと思うが、書けない。
…………………………
(T子 facebookに投稿)
旧男が大病と知り、即座にかけつけた私はちょっと馬鹿です。
私たちはもう3年前に終わっているのだから。
だけど手を握りしめていると、私の体温が彼にうつり、生命力まで流れ込んでいくような気がしました。
隣に寄り添っていると、15歳のときと同じ感覚でした。
私がそばにいることで少しでも気分よくなってくれるなら、本当に嬉しいことです。
そう願ったけれど、ありがた迷惑ということも多少はあるかしら。
でも、あと何度会えるかわからない。
もう会えないかもしれない。
彼のわがままや気まぐれに一喜一憂したり、落ち込んだりしている場合ではないのです。
私が元気でなければ、病気で弱っている人を元気づけることはできないもの。
死ぬまで、大事なエネルギーを大事にするのみです。
…………………………
2016.4.25
(T子 facebookに投稿)
月曜の朝から病気の話でごめんなさい。
読みたくない方はスルーなさってください。
闘病中の友人が「こうしてほしい。これはしないでくれ」と望むとおりにしてやりたいと思います。(ごく一部、従えない部分もありますが)
私も闘病経験があるので、気持ちはだいたい想像がつきます。
私の場合はこうでした。
●親に泣かれるのが一番つらい。
●つらいのも痛いのも他人にはわからないのだから、そっとしておいてほしい。一人にしてほしい。(だから、知人友人のお見舞いはすべてお断りしていました)
●病気をすると神経が過敏になるのか、人の本音が透けて見える。うわべだけの言葉はすぐにわかる。論外なのは、万が一自分が病気になった場合に備えて何か聞き出そうとする人。
●心からのものであっても、慰めや励ましの言葉は要らない。うかつに優しい言葉をかけないでほしい。よよよ、と泣き崩れてしまうから。
●シャバで元気にやっている友よりも、病院で同じ境遇にある人と話すほうが、気が楽。
●同病の仲間と情報交換したり、冗談言い合って笑ったりしているときは心地好い。
●たとえ不都合な真実であっても、恐れずに調べて認識下におけば、不安が軽減される。
●とにかく笑いがほしい。(落語や漫才、笑える番組、たとえば海外ドラマやシットコムなどが必需品だった)
●私の場合は入院中も外出や外泊を許可されたので、時にはシャバでおいしいものを食べ、解放感を味わい、気になる仕事を片付けられたのはありがたいことだった。
●主治医が素敵な人なので嬉しい、誇らしい。
●看護士さん、清掃の人、配膳の人など、病院スタッフの方々が懸命に働く姿に励まされる。
●がん患者にも未来はある。生きている限り心身ともに変化するし成長もする。少し先の未来の夢を語り合える相手がいるとすごく元気になる。「タバコ喫いたい」「退院してからのお楽しみだね」「また酒が飲みたい」「飲めるよ」「塩辛食いたい」「今度買ってくる」、この程度の会話でも気持ちは未来に向かう(と思う)。
☆☆
笑うのは最高に愉快なことですね。
ふざけていていいんです。
何事も笑いのめして生きていきます。
☆☆
お友達の皆さんにお元気でいてもらわないと困ります。
もちろん自分も元気でいなければ。
こうして人と話したり会ったりするのはエネルギー交換になり循環が良くなるので病気を遠ざけるそうですよ。
ホリスティック医療の本を代筆したとき、著者さんにそう教わりました。
その通りだと私も感じています。
…………………………
2016.4.26
(T子記す)
Kは一時退院した。
Kが借りている下高井戸のアパートへ行く。
(このまえ会ったとき、Kが地図を描いてくれた)
「遊びにくるかい」と言われて、嬉しかった。
8時間一緒に過ごした。
…………………………
2016.4.27
(T子記す)
昨日のことをまとめておきたいと思っても、書けない。

【2016 May】
2016.5.14
(T子 facebookに投稿)
闘病中の友人に朝電話をしたら、おはよ~‼ と元気そうな嬉しそうな声が聞けました。
そのあと実家に寄ると、久しぶりに弟の姿があり、庭で薔薇の木を剪定してくれていました。
そして今、私は取材のため表参道にいます。
緑がきれい。
こういう穏やかな日常がどうぞいつまでも続いてくれますように!
…………………………
2016.5.24
(T子記す)
K再入院の報せが、Kよりショートメールで届く。

【2016 June】
2016.6.21
(T子 facebookに投稿)
しとしと雨。
こんな日は心さみしいだろうなと思い、病気の元彼に電話してみました。
彼は第一声「雨だね~そっちも降ってる?」。
ああ、やっぱりね、という感じです。
こういうちょっとしたことも覚えておきたいと思います。
こちらは雨、やんだようです。
…………………………
2016.6.27
(T子記す)
Kは退院し、今は通院で治療(主に痛み止め)を受けているとのこと。
…………………………
2016.6.28
(T子記す)
下高井戸のKのアパートへ。
手製のカレーを持参。
下高井戸の西友ストアで食料を買っていく。
3時間一緒に過ごした。
…………………………
2016.6.29
(T子 facebookに投稿)
週に何度か、各種野菜とお肉を煮込み(冬はビーフシチュー、夏はカレーになる確率高し)実家の母に届けています。
近所なので鍋ごと、です。
T-FALのお鍋は取っ手がないので持ち運びが楽で、冷蔵庫にしまう際にも良いですね。
今日はそれを(結局カレーになった)、病気の元彼にもお裾分け。
だけど彼のうちは遠いのよ、2時間近くかかるのよっ。
サマンサならば指パチンで着いちゃう、病気も治しちゃう。
魔女にもマゾにもなれない私はぶつくさ言いながら電車に揺られます。
元彼が買い物リストを送ってきました。
葉唐辛子、生海苔、岩海苔。
それって駅前のスーパーに売ってんでしょうねっ。
なければ却下だよ、です。
今日はこんなことしてますが、そのぶん週末に仕事がんばります。

【2016 July】
2016.7.23
(T子 facebookに投稿)
病気になっちゃった元彼と電話で会話。
彼は蚊の泣くような弱々しい声。
「こないだの大雨のとき、大丈夫だったか」と言われて泣きそうになった。
ううううう。
みんな誰かを心配しているんだなあああーーーー!

【2016 August】
2016.8.3
●K君──老人と海
読了。
…………………………
●T子──それはよござんした。感動した?
…………………………
2016.8.21
(T子記す)
Kより電話あり。
Kの病気について、妹のMちゃん、元妻、子供たちも知るところとなった由。
毎日みんなが交替で来てくれるようになったとのこと。
よかった、本当によかったと思う。
「なんでそんなに人のことを心配するんだ」とKに本気で不思議がられた。
私、脱力。

【2016 September】
2016.9.8
(T子記す)
Kの妹Mちゃんに電話。
Kの見舞いに行ってきた件を報告する。

【2016 October】
2016.10.3
●K君──本の調達ままならず。
ヘミングウェイ海流の中の島々上下。
新刊ピカソになりきった男。
…………………………
●T子──
ピカソ〜はAmazon在庫切れ。入荷未定。
リアル書店にはあるでしょう。
お子さんにでも頼むといいよ。
海流〜は、そのうち届けます。
あるいは、古書店から直接病院へ発送するようにしようか?
…………………………
2016.10.20
(T子記す)
Kの見舞いに病院へ行く。
ヘミングウェイの本、ケンタッキーフライドチキンを持参。
Kを車椅子で外へ連れ出し、タバコ。
病院の周辺を一周し、コンビニに立ち寄る。
コンビニの中でもKを車椅子で移動させ、Kが買いたいものを選べるようにした。
Kはフライドチキンを食べたあと、嘔吐3回。
私はKの背中をさすり、プラスチック皿(病院の)で嘔吐物を受け止めた。
「K君、吐きかた上手だよ」
☆☆
4時間一緒に過ごした。
「ボブ・ディランがノーベル文学賞をとったね」と私。
「うん」とK。
「日本では、次の芥川賞は吉田拓郎だよ」と私。
「・・・うーん、いや、中島みゆきだろ」とK。
「ばか、じょうだんだよ。本気にしないでよ」と私。
☆☆
帰り際、「Tちゃん」と呼び戻され、枕元の電気を消してほしいと言われた。
「ダメ。暗いところで本を読むと目が悪くなるから」と私。
「もーいいでしょ」とK。
これがKと私が交わした最後の会話となった。
…………………………
2016.10.25
(T子記す)
Kの妹Mちゃんより電話を受ける。
Mちゃんが言う。
「昔から、おにいに会うたびに、いつもT子さんの話を聞かされた。今度も、T子が本を出したんだって自慢げに話していた。おにいが今いちばん会いたいのはT子さんだと思う。T子さんはいちばんの理解者、とおにいは思っているはず」
…………………………
2016.10.26
(T子記す)
Kの妹Mちゃんより電話。
本日零時頃、K死去したとの報せ。
☆☆
最期の夜、Kの次女が見舞いに来ていたとのこと。
しかし亡くなる時刻には誰もいなかった。
Kはひとりで逝った。
しかしその死はおそらく穏やかだったろうと思う。
モルヒネを投与されていたので、痛みはあまりなかったはず。
…………………………
2016.10.27
(T子 facebookに投稿)
過日、私と縁のあった男が逝きました。
高校の1学年上級で、カッコいいひとでした。
私が入学してすぐ、お互いの存在に気づき、一目惚れだったと思います。
彼は最期に何を思ったでしょう。
入院中も日々の記録や考えついたことを絶えずノートに綴っていた彼ですから、意識が混濁し薄れていく中でもやはり何か文章を書いていた、書かずにいられなかった、と私は思っています。
☆☆
享年六十一。
私は百まで生きてやります。
☆☆
彼を見ていて、書こう、生きよう、と思いました。
彼が遠くへ行ってしまったという感じはせず、いつも身近に感じています。
彼と一緒に過ごした時間は私の中にいつまでも残ると思います。
つかず離れず、適度に距離があったから、45年も続いたのだと思います。
恥ずかしながら、気持ちは最後まで15歳と16歳でした。
だけど、これっきり これっきり もう これっきりですね~
ずいぶん泣いてきたので、もう泣けません。
私は今のこの記憶を鮮明に保つために、無意識のうちに感情を麻痺させているのかもしれません。
思い出してもつらくないようにって。

【2016 December】
2016.12.4
(T子 facebookに投稿)
横須賀の港に空母レーガンが寄港しているようです。
私は中学・高校時代から続く友人たちと忘年会を楽しんでいます!
男子3名女子3名、いつものメンバーといつもの話をして笑って。
でも今日は、昔からの彼が病気で亡くなったことを皆に知らせて、はじめて泣きました。
今年の涙 今年のうちに。