この記事のひとつ手前の記事は、
という内容でした。
前記事→9月9日は重陽の節句・「菊」のパワーで邪気退散と長寿祈願
という妄想的前提に立ち、遊び心で文体模写をしてみたのが本記事です。
前記事と本記事、併せてご笑覧いただけますなら幸いです。
さて、まずは文体模写について少しお話ししたいと思います。
文体模写、つまり他人の文章スタイルを真似て書くことは、筆力向上におおいに役立ちます。
ですからこれは、暮らしに役立つ歳時記情報をゲットしながら、ついでに言葉力アップグレードをはかるという、一粒で二度おいしい企画なんですね。
年間シリーズ企画としてお届けする予定で、今回はその第5回目、三島由紀夫氏バージョンをお届けします。
暮らしに役立つパスティーシュ(文体模写)
第5回・三島由紀夫氏バージョン
「花ざかりの森」のあの作家だから、きっとこう書くだろう
「菊ざかりの森」
9月9日重陽の節句、いわゆる菊の節句の出来事である。
少年が丹精こめた菊は、まことに見事に生長した。
その姿を見ているだけで胸が熱くなり、何かしら感動のようなものを与えられることを少年は知った。
しかし、そうした在る感覚器官の発見は、彼にとっては、まるきり観念的な形をとらなかった。
なぜなら彼は菊の匂いをかぎ、その花弁をそっと口に含んでみて、舌先をしびれさすような苦みを味わっていたのである。
菊という植物が見せる優雅で柔らかな佇まい、それが石や鉄とは似ても似つかない強烈な味と香りを持っていることを発見した彼は、今ここで、その生命の不思議を立証したいという思いに駆られた。
「お母さん、今夜はひとつ、この菊を使って献立を考えてくれませんか」
彼は台所で忙しそうに立ち働いている母親をつかまえてそう言った。
「食べられるはずなのです、この菊というやつは。中国では古来、漢方の生薬として用いられてきたというじゃありませんか」
すると、母はただ黙ってうなずいた。
少年の目に、このときの母は現実の母ではなくて、観念的実在が単衣の着物をまとって博多の帯を締めて立ち現れたかのように映って甘い錯覚を引き起こし、彼を有頂天な気持ちにした。
(つづく)