私たちは通常、言葉を使って考えを組み立てています。
そして、考えを組み立てながら文を書いています。
考えることと書くことを同時進行しているわけですね。
書く前に考え、考えがまとまってから書き出すというよりも、
「考えをまとめるために書く」という人も多いのではないかと思います。
文が形を成していくにつれ、「自分が言いたかったことはこれだ!」と要点が見えてくるんですね。
ところが、その文を読む人にとっては初めて見聞きすることなので、文章にただ一言足りないだけでも、話がよく見えないということがあります。
読者がきちんと「理解・納得」できるよう、過不足なく説明できる文にしましょう。
具体的にどんな方法で?
と興味をお持ちになった方は、以下の記事をご参考になさってください。
●言葉の出し惜しみをしない
まず、悪文例を挙げます。
例文を読み、次の質問にチャレンジしてみてください。
気がかりなのは彼女の交際範囲、特に犯罪組織の影だった。
そして、少女時代に補導歴はあるものの、それ以外にこれといって疑わしいところはなくなった。
<質問>
1.ありそう
2.なさそう
3.どちらともいえない
(正解はおそらく、1)
<質問>
1.いろいろ調べた結果
2.ただなんとなく
(正解はおそらく、1)
<ここが残念!>
・「彼女」と犯罪組織とのつながりについて、疑わしい点があるのかないのか、判断しかねる文です。
・疑うに足る事実があり、だからこそこんなアクションを起こしたのだという説明をしないまま、単に「そして」で済ませてしまうと、何故そうなったのか、読者は理解できません。
気がかりなのは彼女の交際範囲で、中でも特に気になるのは犯罪組織とつながりがないかという点だった。
私立探偵を雇って聞き込みをさせたり、顔なじみの警察官にそれとなくお伺いを立てたりして、いろいろ調べた結果、彼女は少女時代に補導歴こそあるものの、それ以外にこれといって疑わしい点はないということが明らかになった。
↑<解説>
・「彼女」への疑いが晴れた理由として、「いろいろ調べた結果」と一言つけ加えることが必要です。言葉の出し惜しみをしてはいけません。
という文は、
という箇所で同じ意味の語が重複するため、くどい印象になりますが、はしょらずに語ったほうが読者に伝わりやすい、と私は考えます。
↓<補足>
【改善例】彼女の交際範囲、そこに犯罪組織の影が差していないか。
・例文の「彼女の交際範囲、特に犯罪組織の影」という箇所は、質的に異なる内容を同列に並べているため、違和感を覚えます。
たとえば「光と影が交錯し」とするべきところを、「熱と影が交錯し」と言っているようなものです。
ちなみに、2つ以上の物事を並べて語るときは、語られている対象が質的に同じ次元に属するものであることが必要です。
【改善例1】横浜市と神戸市は雰囲気が似ている。
【改善例2】橫浜と神戸は雰囲気が似ている。
●ここまでのまとめ
足りない言葉があるようならきちんと補足し、一読で理解できる文章にしましょう。
●ぼやけた論旨をはっきりさせよう
言葉を的確に使って考えを組み立てることにより、自分が伝えたいことや論旨が明確になっていきます。
論旨を明確に示すことにより、文章の輪郭がくっきりと際立ちます。
悪文例と改善例を挙げていきます。
どこに大きな違いがあるか、考えながら読んでみてください。
実感のないことを書いてはいけない。
それは、あやふやな薬を患者に売りつけるのと同じことだ。
実感の伴わないことを書いてはいけない。
それは、たしかな効用が認められないあやふやな薬を医者が患者に売りつけるのと同じことだ。
↑<解説>
足りない言葉があるようならきちんと補足しましょう。
そうすれば、自分が伝えたいことや論旨が明確になっていきます。
「言葉を的確に使って考えを組み立てる」とは、そのことを指します。
内装はクラシックなカウンターとテーブルと椅子で統一され、骨董好きのオーナーが1920年代アールデコ風につくった店だった。
骨董好きのオーナーがつくった店だけに、内装は1920年代アールデコ風のイメージで統一され、クラシックなデザインのカウンターとテーブル、そして椅子が配されていた。
↑<解説>
例文にある「クラシックなカウンターとテーブルと椅子で統一され」という表現は、意味不明です。
↑「クラシックなイメージで統一され」というのなら、まだしも理解できます。
この文章を書いた人が伝えたかったのは、次の3点でしょう。
・クラシックなデザインのカウンターとテーブルと椅子がある
・内装は1920年代アールデコ風のイメージで統一されている
情報を整理し、伝えたいのはこの3点だと明確にしていけば、その3点を1つの文にうまくおさめることができます。
思いつくままに書くのではなく、頭の中で情報を整理しながら書くことが大事です。
●あいまいな書き方をしない
自分の発言に責任を負わなければなりません。
それには、よく調べもせず、いい加減なことを書いてはいけないのです。
しかし、そうした思いが強すぎると、つい腰が退けて、あいまいな論調になりがちです。
つまり、結論をぼやかしてしまうわけですね。
人の話を聞くとき、あるいは本を読んでいるときは、受け身の状態でいられるので気楽だという部分がある。
↑「部分がある」って、どんな部分? と突っ込みたくなります。
人の話を聞いたり本を読んだりしているときは、受け身の状態である。自分の頭で考え、言葉を操る必要がないのだから、気楽なものだ。
↑受身の状態っていうのはこういうことですよ、と具体的に示すと、わかりやすい文章になります。
受身であっても、何らかの反応を示さないと、コミュニケーションは成り立ちにくいのではないだろうか。
それではまずい、と言えないこともない。
↑「~と言えないこともない」と二重否定をすると、もって回った表現になります。
また、「~ではないだろうか」と読者に結論をゆだねる、もしくは責任転嫁するような結び方は、できるだけ避けたいと私は考えます。
受身であっても、何らかの反応を示さないと、当然のことながら、コミュニケーションが成り立たない。それではまずい。
↑「それではまずい」と、ずばり言い切ってしまって問題ないでしょう。
↑一方通行のコミュニケーションでは早晩、関係が途絶えてしまうというのは、誰もが知っていることです。
「コミュニケーションが成り立たない。それではまずい」で終えてしまわずに、どうすればコミュニケーションを成立させられるか、自分の考えを述べると、より望ましい文になります。
話を聞かせてくれる相手の顔を見ながら適度に相槌を打つことで、「あなたの話を興味深く聞いていますよ」と示すことができる。
そして自分も意見や感想を述べ、相手に聞いてもらう。
コミュニケーションとは、そういうことだ。
相手が人ではなく書物の場合は、たとえばAmazonのサイトにカスタマーレビューを投稿するという方法がある。
それは多くの人の目にふれ、作者にも届く。
読者は本を通じて作者のメッセージを受け取り、作者は読者レビューを通じて返信メッセージを受け取るのだ。
間接的ではあるが、両者の間にコミュニケーションが成立している。
↑考えながら書き、書きながら考えることで、たとえばこのように自分の意見をまとめることができます。
●まとめの一言
読者が納得するに足る、きちんとした説明ができるようになりましょう。
書き手にとっては自明のことでも、あえて言葉にして説明することが求められる場合があります。
自分が理解しているだけではだめなのです。
読者が必要としている情報をもれなく伝え、内容をよく理解してもらってこそ、その文章は価値があるといえます。