私は人に職業を訊かれたとき、表向きは単に「ライターです」と答えていますが、厳密に言うなら「ゴーストライターです」ということになります。
なぜゴーストなのかといえば、本来存在はずのない人、陰の存在だからです。
私と同じように陰の仕事に従事しているライターは、出版社が集中する首都圏を中心に、おそらく何千人、何万人といるでしょう。
今日はそんな話をしてみたいと思います。
●ゴーストライターという仕事
みなさんは本を読むとき、「この本を書いたのは、表紙に名前が出ているこの人だ」と信じて読んでいらっしゃることと思います。
特に、大学教授や学者、医師や弁護士といった人々の本ならば、得意の専門分野について著すのだから、他人の手など借りずに自分で書いているはず、と信じて疑わないでしょう。
でも実は、そうではないことがしばしばあるのです。
著者が非常に多忙で原稿執筆の時間がとれないとか、
この先生はいいネタをたくさん持っているが文章を書くのはあまり得意ではない、というような場合に、出版社はライターを起用します。
↑取材時にはまだ、先生方の考えが明確に言語化されていないこともあります。
↑そんなとき、私たちライターは先生を質問攻めにして話を引きだし、使える情報と使えない情報をふるいにかけて整理をしたのち、いかにもその先生が書いたように原稿をまとめていきます。
↑これは簡単なことではありません。
関連図書を何冊も読まないと理解できないこともあります。
さらには、単行本一冊につき10万字近い文字を書き記していかねばならないのですから、けっこう重労働です。
●何をどう書くかという企画力
私は書くことはかろうじてなんとかなっていると思うのですが、企画力が弱いと自覚しています。
「それ、いいね。売れるかも」
と編集者に喜ばれる企画を出したためしがありません。
幅広い年代層(中高生から中高年まで)が思わず手にとってしまうような本を書きたい、という思いはあるのです。
「健康になる」
「若返る」
「きれいになる」
「痩せる」
「モテる」
「お金が儲かる」
「頭が良くなる」
というように、御利益を期待させるハウツー本や自己啓発書の原稿を書かせていただく際には特に、
「その気になって書かなくちゃ!」と自分を駆り立てています。
●有名か無名か、その差は大きい
私はこれまでに単行本・新書・文庫本あわせておよそ100冊分を越える原稿を書いてきました。
売れた部数は累計約200万部になります。
自慢をしているように聞こえたら申し訳ないことですが、これはライターの成績として中程度だと私は思っています。
繰り返しになりますが、私が代筆した書籍は100冊以上にのぼります。
しかし自著は1冊あるのみです。
私の名前で本を出しても、売れる見込みがあまりないからです。
有名か無名か、これによって大きな差が生じます。
無名のライターはアンダーグラウンドで活動しているようなものなので、なかなか芽が出ません。
私の関わった書籍が何万部、何十万部と売れたのは、名のある方の著作として上梓したからであり、その本が発するメッセージが素晴らしいものだったからです。
編集者の力に負うところも大きいと思います。
編集者は出版の企画を立て、私たちライターが仕事をしやすいように取材や打合せの段取りをし、どのように原稿を書いたら良いかディレクションをしてくれます。
書き上がった原稿を整理し、装幀の手配をし、そして販売へとつなげてくれるのも編集者です。
本のタイトルを考えて決めるのも、たいていの場合は編集者の仕事です。
私の携わった本があれだけよく売れたのも、編集者が苦心してつけてくれたタイトルにインパクトがあったおかげです。
出版社営業部、取次会社、書店の方々にもずいぶんとお世話になっています。
そうした方々がいてくださるおかげで、私たちライターは原稿を仕上げた後は何一つせずとも、売れた部数に応じて印税をいただくことができるのです。
こんなありがたい仕事に不満のあるはずなどありません。
他にこれといって取り柄のない私が唯一まともにできるのは書くことであり、これを仕事とさせてもらえるのは本当に幸いなことです。
文句など、言えるわけがない。
それでも時々、飽き足らないと感じることはあります。
私には私の思いがあり、いつか書いてみたいと思うネタをいくつか温めているのです。
しかし、しつこいようですが、出版社のほうでは、ネームバリューのない人材の著作を手がけることは往々にして渋ります。
本を新刊するには百万単位のお金がかかるそうで、その資金を回収し、さらに利益を出せる見込みが薄い場合は、やはり「没」ということになります。
私も出版業界に生きる一員として、そのあたりの事情は理解しているつもりです。
ですから、脇目をふらずにゴーストライトの仕事に励んできました。
書いて、書いて、書きまくりました。
著者の先生が下書きしてくれた原稿をリライトすることもありました。
同業のライターさんが書いた原稿を渡され、加筆修正するようにと頼まれることもありました。
書くことは嫌いではないので、どんな仕事でもいただければうれしいものです。
●本が完成したら、お化けは消える
ライターが四苦八苦しながら代筆に取り組んでいる間、著者の先生はほかのお仕事をなさっています。
先生方は仕上がった原稿をチェックし、特に問題がなければ、ご自身の書いたものとして本を出版されます。
そこに書かれている文章はすべてライターの手によるものですが、内容そのものは著者の意見にほかなりません。
著作はやはり著者のものなのです。
本が完成した時点で、ライターはその存在を消すことが求められます。
なんとも虚しい仕事だね、とお思いでしょうか。
ところがそうでもないのです。
私のように書くことが好きな人間にとって、たとえゴーストであっても、ライター稼業は一度やったらやめられません。
文章というものは、書けば書くほど上達します。
天賦の才があってもなくても、書けば書くほど、なぜかうまくなってしまうという気がします。
仕事を通じて文章修業をさせてもらえるうえ、ギャラまで頂戴できるのですから、こんないいことはないと私は思っています。